弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年6月29日

天保暴れ奉行

江戸時代

著者:中村彰彦、出版社:実業之日本社
 天保の改革は老中であった水野忠邦が試みたものですが、途中で挫折しています。そのころ、水野忠邦に歯向かった江戸南町奉行がいたというのです。矢部定謙(さだのり)と言います。遠山金四郎と同じ頃の江戸町奉行です。
 長編時代小説ということですので、どこまでが史実なのか分かりませんが、小説としてもなかなか面白く、本のオビに「気骨の幕臣」がいたとありますが、なるほど、そうだなと本を読んで思いました。
 この本の面白いところの一つは、大人になって筋を通し抜いた定謙が、実は、子どものころは、父親からほとんどサジを投げられていた怠け者だったということです。堪え性のない気性だったのです。
 定謙は、小姓番組に加わって登城すると先輩たちから理不尽ないじめにあいます。江戸時代もいじめはかなりひどかったようです。自殺したり殺しあいがあったりしていました。
 新参者いじめに定謙は仕返しをし、番頭に報告して辞表をでしたしまうのです。たいした度胸です。
 ところが、定謙は、次に徒組(かちぐみ)に登用されました。徒組は、将軍の影武者となる役目を担っていた。徳川将軍は、平時も非常時も、徒組20組、計600人の影武者たちに守られて行動することになっていた。
 定謙は、火付盗賊改(あらため)を文政11年(1828年)から天保2年(1831年)まで、2年半つとめた。そして次に堺奉行となった。さらに、大坂西町奉行となり、そこで大塩平八郎を知った。このころ、大坂には、三郷借家請け負い人という制度があった。商売人が借金を返せなくなったとき、長屋住まいをしながら再出発するといシステムである。私は、このシステムについて前から知りたいと思っています。どなたか、専門に研究した本をお教えください。
 大塩平八郎と親密な交流をしたあと、定謙は江戸に戻り、勘定奉行に登用されます。見事なまでの出世です。役高3千石、役料として700俵、御役入用金として300両が支給される。朝は午前5時に出勤する。午前9時には御殿勘定所にいなければいけない。大変な激務のようです。
 このとき、大坂で大塩平八郎の乱が起きました。大塩平八郎に対する幕府の判決文に対して、定謙は水野忠邦に文句を言います。罪名を反逆とせず、大不敬の罪に処すべきだと提言したのです。怒った水野忠邦は、定謙を勘定奉行から罷免してしまいます。ところが、やがて水野忠邦は定謙を江戸南町奉行に任命するのです。人材不足からでした。
 しかし、水野忠邦の改革にタテつく定謙は、やはり罷免されてしまいます。そして、桑名藩に預けの身となり護送されるのです。そこで水野忠邦への抗議の意思表示として絶食をはじめ、49歳の若さで諫死してしまいました。
 定謙が「大岡裁き」のようなことをしたという話がいくつか出てきます。これはフィクションなのでしょうか・・・。

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