弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年6月 8日

吉備の弥生大首長墓

日本史(古代史)

著者:福本 明、出版社:新泉社
 岡山に楯築(たてつき)弥生墳丘墓というのがあります。この楯築という珍しい名前は、桃太郎伝説の下地にもなったという温羅(うら)伝説によります。温羅が城を築いて人々を襲うので、考霊天皇は皇子を派遣して退治しようとする。温羅と対峙して防御するために石の楯を築いた。これが楯築神社に今もある立っている巨石である。たしかに、写真でみると、かなりの巨石が立っています。
 楯築弥生墳丘墓も、都市化の波に洗われて、すぐ近くまで民家がたち並ぶようになりました。そして、給水塔がつくられることになったのです。ところが、給水塔によって墳丘墓の全部が破壊されたわけではありません。突出部の列石は保存されています。
 想定復元された楯築弥生墳丘墓の全容がカラー画像となっています。中心は円形になっていて、上下に長方形の突出部がくっついています。円丘部分は40メートル、突出部を含めると80メートルとなります。かなりの大きさで、弥生墳丘墓としては最大です。
 墳丘墓の中央に木棺がありました。木材は腐朽して残っていませんが、棺の底に朱が敷かれていました。今も鮮やかな赤色を放っています。厚さ1センチ、総重量32キログラムもありました。「途方もなく膨大な量」だと指摘されています。
 朱というのは、水銀の化合物である硫化水銀のこと。天然には辰砂(しんしゃ)と呼ばれる鉱物として存在する。この朱の産地がどこであるかは、まだ特定できていない。中国や朝鮮から搬入された可能もある。
 朱の役割は、引き継ぐべき首長の霊を復活させ、その霊力を高めるために使用されたもの。鎮魂のための道具立てとして大量の朱が用いられたと考えられる。
 この棺内から、鉄剣一口と三連の玉類が出土しました。翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)、瑪瑙(めのう)の棗玉(なつめだま)、碧玉(へきぎょく)の管玉(くだたま)です。
 円丘部の斜面にめぐらされた二重の列石と、その間を埋める円礫、そして墳頂部に立ち並べた巨大な立石群、周囲に敷かれたおびただしい数の円礫は、墳端から見上げると、そびえ立つように見えただろう。いやがうえにも神聖さと首長の偉大さを強調したと思われる。たしかに巨大な墳丘墓であることが写真と図版でよく分かります。
 岡山は日本文明発祥の地だと口癖のようにいつも言っていた同期の弁護士(山崎博幸弁護士)のふくよかな顔を思い出しました。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー