弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年5月 2日

シルクロードと唐帝国

世界史(中国)

著者:森安孝夫、出版社:講談社
 唐が漢民族王朝でないという著者の主張に、思わず椅子からずっとこけ落ちそうになりました。唐には、東魏、西魏分立時代から中国に巨大な経済的負担をかけた突厥人もいれば、商人として活躍したソグド人もペルシア人も、あるいは高仙芝や慧超のような朝鮮人も、阿倍仲麻呂や藤原清河や井真成(いのまなり)のような日本人もいた。彼らは、すべて漢語をしゃべれた。しかし、それをもって「漢化」したとか、唐が異民族を受けいれたのは唐の度量が大きかったからだというのは、後知恵の中華思想にすぎない。
 唐帝国創建の中核を担った異民族は朝卑系集団である。これは定説だ。
 唐建国の中心は朝卑系漢人と匈奴の一部であった。著者は、唐の真の建国は618年ではなく、突厥を打倒した630年であるとします。
 唐は、漢人王朝ではなく、拓跋(たくばつ)王朝であった。すなわち、タクバツ可汗に率いられた唐帝国が、軍事力によって突厥・鉄勒を包含するトルコ世界を制圧したのである。
 唐って、当然、漢民族がうちたてた王朝とばかり思っていましたが、違うんですね。驚きました。
 唐の前、隋の煬帝のとき、回転式スカイラウンジや数千人が入れる超大型テントなどをつくって突厥人の度肝を抜いたというエピソードがあるそうです。それがどんなものなのか、想像もつきませんが、今みても、あっと驚くようなものだと思います。
 618年に、長安で李淵が皇帝として即位したとき、唐王朝は東突厥の臣属国であったといっても過言ではない。そのころ唐は、まだ隋王朝のあとを狙う群雄の一つに過ぎず、多くの敵をかかえていた。
 父である高祖・李淵から実権を奪った李世民は、まず皇太子となり、2ヶ月後には太宗として即位した。突厥が大軍を率いて中国に侵入してきたのを太宗は迎え撃ち、撃退した。
 唐は、自らが異民族の出身であることを、少なくとも初唐・盛唐までは自覚していた。ところが、安史の乱をはさんで中唐になると、唐は急速に内向的になり、中華主義に陥っていく。安禄山は、ソグド系突厥人であった。
 安史の乱以降、唐は自前で軍事力を調達する武力国家から、お金で平和を買う財政国家へと変身した。そのとおりなのだが、いわば別の国家とは呼ぶべきではない。うーん、そうなんですかー・・・。
 私もシルクロードに一回だけ行ったことがあります。ウルムチからトルファン、そして敦煌です。ここに大変な文化・文明があったことを、この目で見て実感しました。
 この本ではシルクロードは単なる通過点ではなく、大変な文化・文明があったことが強調されていますが、まったく異論ありません。問題は、ここにいたソグド人が中国大陸の支配層としても登場していた時期があったという事実です。遺跡から発掘された文書が詳細に解説されているのを読むと、なるほどとうなずかざるをえません。
 シルクロードと中国文明の関連について、大きく目を見開かされる本でした。学者って、すごいですね。私と同世代です。つい大きな拍手を送りたくなりました。

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