弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年5月 1日

カブールの燕たち

世界(アラブ)

著者:ヤスミナ・カドラ、出版社:早川書房
 タリバン支配下のアフガニスタン。公開処刑がありふれた日々。
 何が変わった? 何も変わっちゃいない。まったく何もだ。出回っているのは、同じ武器だし、だれもかれも同じ面をぶら下げている。吠えているのは同じ犬、通るのは同じ隊商だ。おれたちはずっとこうして生きてきたんだ。国王が去って、別の権力が取って代わった。そりゃあ紋章の絵柄は変わったさ。だが、それが要求するのは、同じ悪習なんだ。幻想を抱くなよ。人間の精神構造は何世紀も前から変わっちゃいない。 新しい時代を期待するなんて無駄さ。いつの時代も、その時代とともに生きる者もいれば、その時代を認めない者もいる。物事をありのまま受け止めるのが賢い人間だ。賢い人間はわかっている。おまえも理解したらどうだ。
 こんなセリフが語られます。そうかもしれませんね。乾いた、精気のない人々の日々が描かれています。
 彼は疲れていた。堂々めぐりを続けることに、渦巻く煙を追いかけることに疲れていた。朝から晩まで自分を踏みにじる無味乾燥な日々に疲れていた。なぜ20年間、伏兵からも、空襲からも、爆弾からも生き延びてしまったのか。まわりでは、女も子ども家畜も集落も容赦されることなく、数多くの肉体が打ち砕かれたというのに。その結果、これほど暗く不毛な世界で、いくつもの死刑台がたち並び、よぼよぼで無気力な人々がうろつく混乱しきった町で、細々と生き続けているのだ。
 「今日は、どうしてそんなにおしゃべりなんだ?」夫が妻に問う。妻がこたえる。
 「病気よ。病気というのは、大切な瞬間、真実がわかる重大な瞬間なのよ。自分に何も隠せなくなる」
 チャドリを身に着けるのはいや。あんなに屈辱的な束縛はないわ。あの不吉な身なりは、わたしの顔を隠す。自分が自分でなくなってしまうのよ。
 あの呪われたベールを着けると、人間でも動物でもなくなってしまう。障害のように隠さなければならない恥か不名誉でしかなくなるのよ。それを受け入れるなんて、あんまりよ。何より、かつて弁護士で、女性のために闘ってきた女にとっては耐えがたいことだわ。 そうなんです。彼女は、タリバンが支配するまで、女性弁護士として活躍していたのです。それが今では町中に出るのに顔を隠さなくてはいけなくなったのです。
 タリバンの宗教指導者は叫ぶ。西洋は滅びた。もう存在しない。西洋はいんちきだ。崩れ去りつつある大いなる茶番だ。進歩などいかさまだ。破れかぶれで進んでいるだけ。うわべの巨大化は猿芝居だ。さも奮闘して見えるのは、混乱のあらわれだ。西洋は絶対絶命だ。苦境に立っている。袋の鼠だ。信仰を失った西洋は、魂をなくした。空母と見かけ倒しの軍隊で我々を思いとどまらせるつもりでいる。
 この本は、タリバン支配下にあるカブールで暮らす2組の夫婦をとりあげて描いています。通りで笑い声を上げるだけで宗教警察から咎められます。市民の気晴らしは公開処刑。石打ち刑に加わって、死刑囚に石を投げつけて「楽しむ」のです。ぞっとします。
 この本の著者はアルジェリア軍の将校だった人で、フランスに亡命しています。イスラム原理主義を告発する本です。アフガニスタンに住む人々の心の内面をじっくり描き出しています。こころがささくれてしまう日々です。

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