弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2007年4月23日
お父さんはやってない
司法
著者:矢田部孝司、出版社:太田出版
映画「それでもボクはやってない」のいわば原作ともいうべき本です。あの映画は弁護士の私からしてもとてもリアリティーがありましたが、興行的には「Shall we・ダンス」のようにはいかず、パッとしなかったようですね。残念です。
今の裁判の実情がよく理解できる、しかも身につまされながら楽しめる面白い映画ですので、一人でも多くの人にみてほしいと思います。幸い福岡では再上映がはじまっています。ぜひぜひ、お見逃しなく。
実際の事件のほうは映画と違って、妻と子ども2人をかかえるサラリーマンです。フリーターではありません。ですから、ますます深刻です。あやうく一家無理心中になってしまいそうなほどの極限状態に追いこまれてしまうのです。弁護士としても、理解できる状況です。やってもいない痴漢事件で刑務所行きだなんて、世の中信じられませんよね。
デザイナーが本業だというだけあって、留置場の房内の生活や電車内の再現図などはよく出来ています。さすがはプロの絵です。
まず初めにやって来た当番弁護士は、本人が否認していることを知ると、励まし、家族にちゃんと連絡をとってくれます。ところが、2番目に私選弁護人となろうとした弁護士は日本の刑事裁判で有罪率が高いという現実をふまえて、被害者との示談をすすめる口ぶりです。三番目の弁護士は複数体制で否認する本人を支えます。
前科のないフツーのサラリーマンがぬれぎぬで捕まり、留置場に入れられて2ヶ月も生活させられると、どうなるか。背中に入れ墨を入れ小指を詰めたヤクザな男が怖がるほど、顔から一切の感情が消えて無表情だった。
なーるほど、ですね。絶望感にうちひしがれていたわけです。
起訴されたあと、妻は日本国民救援会のアドバイスを受けて夫の知人や大学の同級生たちに応援を求めた。夫はそれを知って怒った。知られたくないことを知られてしまった。プライドがズタズタにされた。ふむふむ、その気持ちも分かりますよね。
接見禁止がついていないので、友人たちが次々に留置場に面会にかけつけてくれた。
逮捕されて3ヶ月以上たって、ようやく保釈が認められた。保証金は250万円。つとめていた会社のほうは既に自己都合退職ということで辞めさせられていた。
友人たちの力も借りて、ラッシュアワーの電車内を再現し、被害者の供述のとおりでは被告人が痴漢行為をするのは客観的に不可能だということをビデオテープにとった。
ところが、本人が釈然としない思いがつのった。裁判所は信用できないところだという。それなら、そんな裁判なんか早く終わらせて人生を再建することが先決ではないのか。
なーるほど、被告人とされた本人の心の揺れ動きもよく分かります。
被害者の供述どおりでは痴漢行為は客観的に不可能だという点を立証するためには、被害者の供述調書を多くの人に読んでもらう必要がある。しかし、それは法律上問題があるということで、裁判官が弁護士に注意をしてきた。被害者の名前などを消して、その特定はできないように配慮しているのに、プライバシー保護をタテにとった「注意」だ。うむむ、難しいところだ。
被告人にされた本人の友人たちは、キミの幸せを取り戻すことに協力してるんだ。無罪を勝ちとるために生活そのものが無茶苦茶になったらしようがないよな。
なるほど、なるほど、そうなんですよね。実によく分かった人たちですね。
東京地裁の法廷には傍聴オタク族がいるようです。それも、わいせつ事件だけを傍聴するオタク族が。被告人は、つい切れて文句を言ってしまいます。
おまえは本当はやったんだろう。そんな罵声も浴びせられてしまいます。被告人が「もう生きていたって仕方がない」と何度も言っていたのを、ある朝、妻が起き上がれず同じセリフを口にすると、被告人が本当に子どもの首をしめはじめた。
「死ぬのなら一家で死なないと、私が死んだら残された子どもたちはどうなる」
妻は「やめて」と叫んで、夫を子どもから引き離した。大変な状況です。それほど追いこまれるのです。このくだりは弁護人の想像をこえるものです。
がんばってがんばってようやくたどり着いた判決。なんと、懲役1年2ヶ月の実刑判決。うーん、重い。実刑判決を言い渡した裁判官(秋葉康弘)は、証人として出廷した被告人の妻とは一度も目線をあわせなかった。
控訴審に向けて弁護団が大きく拡充された。元裁判官が3人も入った。弁護士というのはデザイナー以上にプライドが高く個人主義的なところがあり、被告はハラハラさせられた。9人も集まって、まとまらずに分裂してしまうのではないかと心配した。
元裁判官の一言がいいですね。
裁判官を飽きさせずに読ませる控訴趣意書をつくらなければ裁判は負ける。
なーるほど、ですね。これから注意します。
被害者が狂言ではなく、真犯人が別にいて、大人のオモチャでからかった。それを被告人がしたと間違って思いこんだ。そんな可能性が示唆されています。
被告人が無罪を主張したとき、その無罪を立証するのがいかに大変なことなのか。被告人とされた家庭の苦労とあわせて、よくよく語られています。弁護士にも必読の本だと思いました。