弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年2月13日

救出への道

世界史(ヨーロッパ)

著者:ミーテク・ペンパー、出版社:大月書店
 シンドラーのリスト・真実の歴史という副題がついています。あの有名な映画「シンドラーのリスト」は実話を素材としていますが、映画化のとき、多少は脚色されています。この本は、シンドラーと相協力した収容所所長書記(速記者)をつとめた囚人によって書かれた本です。
 当時24歳だったユダヤ人青年のあくまで沈着・冷静な勇気ある行動が、シンドラーの大胆なユダヤ人1000人の救出作戦を可能にしたことが手にとるように分かります。映画「シンドラーのリスト」を見て感動した人に、その舞台裏を知るうえで必読の本として、おすすめします。
 剣をもって戦う者は、剣をもって滅びる。ドイツ占領者に対して抵抗する途は、武器を取る以外にもあるかもしれない。著者は、このように考えました。もちろん、むざむざ死んでいくつもりもない。ほかの人々のためになることだけが大切だ。それ以外のことは、とるに足りない。著者の考えはすごいですね。
 著者は、自分が晴れて自由の身になれようとは思っていなかった。所長のゲートは収容所が解放されそうになったら、その直前に口封じのため射殺するだろうと思っていた。
 著者は、出来る限り透明人間のようになっていた。だから、いつもごく普通の縞模様の囚人服を着ていた。
 収容所内で親衛隊と内通していたユダヤ人は、遅かれ早かれ、手の内を知った厄介者として親衛隊に始末されてしまった。本人は自分たちだけが戦争を生き延びると信じこんでいたのだが・・・。
 ユダヤ人囚人が強制収容所司令官の速記者だったというのは明らかにナチスの規則に反していた。
 所長のゲートは、あるとき、収容所の警報・防衛計画すら著者に立案するように命じた。極秘中の極秘のはずなのに・・・。それほどまで著者は信用もされ、かつ、有能だったわけです。所長のゲートとシンドラーは、同じ1908年生まれ。シンドラーは、限りなく楽天的な人生観、自由を求める意志、回転の速い知性をもっていた。
 シンドラーは、誰とでも知りあいになりたい、誰からもすばらしいと思われたいという人だった。恐ろしく自信たっぷりだった。決して聖人ではない。とても人間味があり、軽はずみなところも多々あった。しかし、シンドラーは、決してユダヤ人を見捨てることはしなかった。
 シンドラーは、カナリス提督のもとで、数年間、スパイとして働いたこともあった。
 シンドラーは著者と会うと必ず握手した。これはドイツ人とユダヤ人囚人との間では異常なこと、いや処罰の対象となりうることだった。
 シンドラーは、非凡な人間だったが、非凡な時代にしか通用しない人だった。波風たたない日常のなかで、シンドラーは挫折し、再起することなく、1974年にひっそりと死んでいった。生前に別れた妻も2001年に死んだ。しかし、シンドラー夫妻のおかげで助かったユダヤ人とその子孫が今では6000人もいる。
 著者が助かった一つの原因として、所長のゲートが横領罪でナチス親衛隊予審判事に逮捕されたことがある。ユダヤ人のゲットーを解体したとき、勝手に私腹を肥やしたことが職権濫用とされたのです。これで、収容所が解体されたときに著者はゲートから射殺されなくてすみました。
 もう一つの収容所では、シンドラーがその所長(ライポルト)をあおりたて、前線へ志願させて追い払いました。すごい策略です。シンドラーは、お金もつかいましたが、頭も相当につかったことが、この本を読むとよく分かります。
 ポーランドのクラクフには、戦前、ユダヤ人が5万6000人住んでいました。戦後、戻ってきたのは、そのうち4000人のみ。そして、21世紀の今、200人しか住んでいないそうです。
 シンドラーのリストがつくられていった過程も説明されています。ともかく、軍事上の重要性を強調し、この人たちでなければ優秀な砲弾はできない、シンドラーはそういった嘘をついて守り抜いたわけです。ところが、実は、つくった砲弾はナチス軍の役に立たない欠陥品だったのです。なんという離れ技でしょうか。
 絶望は勇気を与え、希望は臆病にする。なんという文章でしょうか。普通に考えると、これは正反対だと思います。まさに極限の状況に置かれていたことがよく分かります。
 ナチスのやることは完璧に近いが、それでも、ある程度の食い違い、不手際はいつもある。この悪魔のような絶滅のための万全の組織のなかにさえも、ある種の隙間と抜け穴がある。これをどうやって見つけるか、それが問題だった。うむむ、なるほど、すごい。
 ユダヤ人は人の形をした劣等な生きものだと考え、気の向くままにすぐ殺してしまうような狂暴な所長のすぐそばに2年ほどもいて、それでもこれだけの冷静さを失わずに、所長をたぶらかし続けたというのです。理性の勝利とはいえ、たいしたものです。こんなことを考えつき、それを実行できるとは・・・。
 写真でみる当時の著者の凛々しさは、神々しいほどです。
 ポカポカ陽気の三連休でした。澄み切った青空の下で庭仕事に精出しました。いまは水仙畑のように庭のあちこちに白い水仙が咲いています。黄色の水仙も一群れだけあります。春のような陽気のせいでしょうか、クロッカスが黄色い小さな花を咲かせはじめました。ちょっと早過ぎる気がします。アネモネの橙色の花もふくらんでいます。驚きました。
 紅梅・白梅は、今年はなぜかほとんど花を咲かせません。紅と白と一つずつ花が咲いているだけで、つぼみもチラホラしかありません。昨年は見事に咲いて、たくさんとれた梅の実で梅ジュースをつくったのですが・・・。どうしたのでしょう。今年は梅の花はお休みのようです。
 夕方6時まで明るいので、花壇づくりがはかどりました。がんばり過ぎて右腕が痛くなってしまいました。何ごともやり過ぎはいけませんね。

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