弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2007年2月 6日
司法改革
司法
著者:大川真郎、出版社:朝日新聞社
日弁連の長く困難なたたかい。こんなサブ・タイトルがついています。読むと、なるほど司法改革とは日弁連にとって長く困難なたたかいであったことが、ひしひしと伝わってきます。
著者は元日弁連事務総長です。その交渉能力は卓越しています。一癖も二癖もあり、それぞれ一家言をもつ副会長によって激論となり、難行することもしばしばの日弁連正副会長会を見事に取り仕切り、理事会や日弁連総会で熱弁をふるって全国の弁護士を何度も黙らせ(いえ、心服させ)ました。稀代の名事務総長と言えるでしょう。
近年のわが国の改革は、政治改革(見事に欺されてしまいました。小選挙区制になって日本の政治は決定的に質が落ちてしまいました)、行政改革(省庁再編って、何の意味があったのでしょうか)、税制改革(たしかに、大企業と金持ち優遇税制に大きく変わりましたね)など、すべて政府がすすめた改革であった。しかし、司法改革だけは、日弁連が初めに提唱し、行動に立ち上がった改革だった。
それは、「2割司法」とまで言われるほどの国民の司法離れを直視することにはじまった。裁判件数が減っていた。
ところが、福岡県弁護士会が大分県弁護士会とほとんど一緒の時期に始めた当番弁護士制度が弁護士会の体質を変えた。それは国民のほうに弁護士会が一歩足を近づける取り組みだった。やがて、この当番弁護士制度には、裁判所・検察庁そして警察も協力するようになっていった。
日弁連では、正副会長会、理事会、総会などにおける民主的討議を経て、合意が形成される。そして、その前提として、ほとんど、専門の委員会で調査・研究・討議されてできあがった案が日弁連正副会長会に出され、そこで承認されると、理事会にかけられる。理事は単位会の会長を兼ねることも多く、その出身会での議論をふまえて意見を述べ、裁決のとき賛否を表明する。このように日弁連は官僚組織と異なり、下からの討議を積み上げて合意を形成していくのを基本とする。毎月の理事会は2日がかり、正副会長会のほうは毎週のように開催され、徹底的に議論します。これは私も一年間ほとんど東京に常駐して体験しました。膨大な資料の山と格闘しながらの討議です。もちろん、議題によっては関係する委員会の担当者にも議論に参加してもらいます。
この本には、福岡選出の日弁連副会長が何人も登場します。西山陽雄、森竹彦、国武格、前田豊副会長です。なぜか荒木邦一副会長の名前が抜けていて、惜しまれます。
司法修習生の修習期間を短縮するのを認めるのかどうか、日弁連で大激論となりました。私は今でも2年修習が本来必要だと考えていますが、時の流れが短縮化にむかっていました。司法予算を増やさないなかで司法試験合格者を増やすというのですから、必然的に修習期間を短縮せざるをえません。
司法制度改革審議会が設置されたのは1999年(平成11年)7月。小渕内閣のとき。このような審議会をつくるのを決めたのは橋本龍太郎内閣のときのことだった。日弁連から、中坊公平元会長が委員として加わった。事務局にも2人の弁護士が入った。日弁連が内閣の審議会の運営にかかわったのは前例のないことだった。
2002年2月、合格者を年間3000人とする中坊レポートが発表され、弁護士会内に激震が走った。なにしろ、当時は、年間1500人増を認めるかどうかで激しい議論をしていたのだから、その2倍の3000人なんて、とんでもないという雰囲気だった。
久保井会長は、日弁連にとって重い数字であるが、反対するわけにはいかないと述べた。 日弁連は、このころ司法改革を求める100万人署名運動に取り組んでいた。結果的には、なんと260万人の署名を集めることができた。
2000年(平成12年)11月1日に開かれた日弁連臨時総会は荒れた。午後1時から始まり、夜10時までかかった。執行部案に反対する会員が議長の解任決議を求め、壇上にかけあがって議事の進行を阻止しようとまでした。このときの裁決は賛成7437、反対3425で執行部案が承認された。
ここに、法曹人口は法曹三者が決めるのではなく、社会の要請にしたがって決めるという新しい枠組みがつくられた(確認された)。そして、ロースクール(法科大学院)についても前向きにとらえることになった。
最終意見書が発表されると、その具体化のために11の検討会が設置された。これにも日弁連は積極的に関わった。
司法改革は今、一応の制度設計を終わり、実行段階に入っています。いろんな分野で一斉になされるため、まだまだ細かいところが決まっていないというところもあります。たとえば、裁判員裁判です。
それにしても、この本を通読すると、日弁連が会内で激しい議論を重ねながら、まさしく紆余曲折を経ながらも、国民のための司法をめざしてがんばってきたことが分かります。
あえて難を言えば、著者の主観が極力排除されているため、エピソードが少なく、あまりにも淡々としているきらいがあります。あくまで冷静に冷静に、激動の司法改革の流れを振り返った書物なのです。
多くの国民、とりわけ若手弁護士に読まれることを心から願っています。