弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年2月 1日

憲法は政府に対する命令である

社会

著者:ダグラス・ラミス、出版社:平凡社
 日弁連会館で著者の講演を初めて聞きました。まさに目が洗われる思いがしました。著者は日本語ペラペラのアメリカ人です。津田塾大学で20年間、政治学を教えていました。退職後の現在は、沖縄に住んでいます。1960年にも海兵隊員として沖縄に駐留していました。1936年の生まれです。
 著者は、日本国憲法が押しつけ憲法であることを否定するべきではないと主張します。
 憲法とは、そもそも押しつけるものである。なぜなら、憲法は政府の権力・権限を制限するものだから。民衆が立ち上がって、政府の絶対権力を奪取し、それを制度化するために憲法を制定するというのが世界各地で起きたこと。
 だから、問題は押しつけ憲法かどうか、なのではない。誰が、誰に、何を押しつけたのか、ということである。なーるほど、そういうことなんですよね・・・。
 日本を占領・支配したGHQが憲法草案をつくって日本政府に渡したとき、ホイットニーは、日本政府がすぐに案を日本の民衆に公開しなければ、GHQが公開するぞ、と脅した。GHQは、日本の民衆が必ず憲法草案を支持するという自信があった。そして、その予測は当たった。日本の民衆は日本政府への新憲法の押しつけに参加したのである。
 ところが、半年もたたずして、GHQのほうは日本の民衆を共産主義勢力ないし、そうなりやすい人々として敵意と恐怖心をもって見はじめた。そして、憲法施行してまもなくから後悔していた。
 いま、憲法9条、とりわけ9条2項が問題となっている。交戦権とは、兵士が人を殺す権利である。侵略権なるものは、現在の国際法のもとでは、そもそも存在しない。
 交戦権とは、侵略戦争をする権利ではなく、戦争自体をする根本的な権利である。交戦権は、兵士が戦場で人を殺しても殺人犯にはならないという特権だ。それは兵士個人の権利ではなく、国家の権利である。
 国家とは、正当暴力を独占(しようと)する社会組織である。
 自然権としての自衛権は、生きものに限って当てはまる。国家は生物でもなく、自然には存在しない人為的な組織である。したがって、国家が自然権の持ち主であるわけではない。自然権としての自衛権は国ではなく民衆が持っている。
 日米安保条約によって、アメリカ政府が日本国の主権の一部をアメリカへ持って帰った。日本の外交政策の基本を決める権利はアメリカ政府が握っている。
 著者は講演のなかで、日本の平和運動が安保条約反対を唱えることが少なく(小さく)なったことを不思議がっていました。なるほど、そう言われたら、たしかにそうですね。
 日本の首都にたくさんの米軍基地があり、沖縄は基地の中に点々と町があって、日本人が住んでいるといった感じです。世界で何か紛争が起きるたびに、日本政府はアメリカ政府の指令のままに動く意志なきロボットの存在でしかありません。
 世界中の笑われ者が日本という国です。そんな国が国連の安保常任理事国をめざすというのですから、ちゃんちゃらおかしいですよ。お金があれば、国連のポストだって買えると日本の支配層は錯覚しているのでしょうね。馬鹿げた話です。
 日本の自衛隊は、軍隊の組織を持ち、軍服を着て、軍事訓練を受け、戦争のための武器をもっている。しかし、肝心の軍事行動はまったく出来ない。わけのわからない組織だ。これは歴史の産物である。これは、日本政府と日本民衆の平和勢力との矛盾なのである。しかし、このような矛盾した状況ではあるが、憲法ができてから現在までの60年間、日本の交戦権の下で、一人の人間も殺されたことはない、という事実がある。すなわち、一見すると死んだように見える憲法9条は、すっとこどっこい生きているということだ。
 大変わかりやすく、日本国憲法がいかに今の世の中に必要なものか、アメリカ人が日本語で語った本です。一読を強くおすすめします。

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