弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年12月15日

新説 鉄砲伝来

著者:宇田川武久、出版社:平凡社新書

 日本に鉄砲がもたらされたのは、天文12年(1543年)8月、種子島に漂着したポルトガル人による。これが日本史の教科書にものっている通説。ところが、その根拠となっている「鉄炮記」という本は、「伝来」から60年後の慶長11年(1606年)に種子島久時が祖父の鉄砲入手の功績を称えるために禅僧、南浦文之に書かせたもので、それほど資料的価値が高いものではない。著者はこのように冒頭、弾劾します。
 うむむ、では一体、誰が日本に鉄砲をもちこんだのでしょうか・・・?
 このころ明から密貿易で商船が日本に来航していた。それは、日本産の銀を確保するためだった。そして、日本人が倭寇の一員として活躍していた。すなわち、明の船が日本に鉄砲をもちこんだのだろうということです。しかも、それは一回きりではなく、続々と商船は入ってきていたというのです。
 日本全国に鉄砲がいきわたるのは永禄の年号に入ってから。毛利元就は永禄10年(1567年)ころ、最近、鉄砲という武器が戦場にあらわれて思いがけない被害にあうから気を許してはいけないと家臣にさとしている。
 永禄の次の元亀、天正(1573〜92)年になると、長篠合戦にあるように一度の戦いに数千挺もの鉄砲が投入されるようになった。
 いまの長浜市にあった近江国国友村は、大坂夏の陣のころ、空前絶後の好景気にわいた。鍛冶屋は73件、職人は500人をこえた。
 このように、種子島だけを日本にもちこまれた鉄砲の起点とするのには無理がある。西日本と広い地域に南蛮筒が続々と分散・波状的に渡来したのである。そして、職人層に属する砲術師が誕生した。このように著者は力説しています。
 日本人は鉄砲をみるみるうちに自己のものとし、秀吉のおこなった朝鮮半島出兵のときに、それを活用して日本を甘く見ていた朝鮮王朝を圧倒していったというわけです。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー