弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年12月 8日

ユーゴ内戦

著者:月村太郎、出版社:東京大学出版会
 チトーの率いていたユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は、チトーの死後、1991年初夏から1995年冬の内戦のなかで解体していった。
 ボスニア内戦の犠牲者は20万人、難民は250万人。1981年のボスニアの人口は412万人だったから、全人口の5%が死亡し、60%が居所を追われたことになる。
 ボスニア内戦と同じ時期に起きていたルワンダ内戦と比較すると、ルワンダでは1994年4月からの3ヶ月間で人口750万人のうち50万人以上が虐殺された。ところが、国際社会の注目はボスニア内戦に集まり続けた。それはなぜか?
 アフリカでは、それまでも大虐殺が何度もあっていたのに対して、第二次大戦後のバルカン半島では、終戦直後のギリシア内戦、1956年のハンガリー動乱、1989年12月のルーマニアの混乱を除くと、大量の流血を目撃する事態とは無縁だったから。
 そもそも、ユーゴ内戦は民族紛争なのだろうか。クロアチア内戦で実際に戦ったのは、クロアチア人主体のクロアチア政府警察隊、国防軍とセルビア人武装部隊だったことは事実だ。しかし、民族紛争として単純にとらえきれない面がある。各民族の構成員全員が民族を争点とする民族政治を求めていた訳ではなく、かなりの人々が他民族共存状態の継続や復活を希望していた。また、武装部隊の民族構成も必ずしも民族的に単一ではなかった。
 では、なぜ深刻な内戦が続いたのか。
 それには、各民族の政治指導者の自己保身とデマゴギー戦略が大きいようです。それまでユーゴスラヴィアを支配していたチトーは、両親をクロアチア人、スロヴェニア人としていた。チトーは1980年5月4日に、87歳で亡くなった。
 セルビア人共和国軍は、短期的には戦況を有利に導いたかもしれない。しかし、長期的には欧米に根強いセルビア人悪玉論が強まるという悪影響をもたらした。こんな評価があります。ここでもマスメディアの操作が有効だったのです。
 クロアチア軍がセルビア人勢力に勝ったのは、軍人コンサルタント企業が軍備の増強や部隊の訓練などによってクロアチア軍を増強しただけでなく、作戦内容も助言したからだという指摘がある。
 ユーゴ内戦を事実経過にしたがって丹念に分析した学術書ですので、読みやすい本ではありません。それでも、結局は軍事行動だけで決まるものではなく、投票結果が大勢を決めているという気がしました。やはり、力だけでは何ものも長く支配することはできないのです。良識は必ず生きている。しかし、その前に多大な犠牲を払わなければいけないことがある。こういうことのようです。
 でも、やっぱり政治家のデマゴギーって許せませんよね。小泉の優勢民営化選挙のとき刺客で負けた議員のほとんどが自民党に復党しました。なぜかマスコミが大きく取り上げませんが、年末までに議員が復党すると、自民党に2億5000万円の政党助成金が入るのですよね。これって、もちろん税金なんです。自民党をぶっつぶせ、は一体どこへ行ったのでしょうか。国民をバカにするのもほどがあります。それなのに、自民党の安倍内閣の支持率が6割以上だなんて、とても信じられません。いったい日本人はどうしたんでしょうか・・・。

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