弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2006年11月 8日
攻防900日
著者:ハリソン・ソールズベリー、出版社:早川書房
昭和47年発行の本です。図書館から借りました。2段組み400頁で上下2冊の大部な本です。第二次大戦のとき、ヒトラーのナチス・ドイツ軍に包囲されたレニングラードの無惨な実情が、ことこまかに、これでもか、これでもかと描かれていて、読む人の気分を重たくさせます。でも、戦争って、こんなにひどいものだったんだ。そこから目をそむけてはいけないと思い、じっと耐えて最後まで読み通しました。
安倍タカ派内閣のもとで、麻生だとか中川だとか、好戦的な連中が戦争をあおり立てています。本当に無責任な政治屋としか言いようがありません。戦争がどんなに悲惨なものか、この連中に読ませたいものです。でも、信じられないことに安倍内閣の支持率は68%だそうです。日本人には、そんなに流されるだけの人が多いのでしょうか・・・。
この本を読むと、ヒトラーの世界征服という、とんでもない野心はともかくとして、スターリンの見通しのなさに呆れ、かつ怒りを覚えます。そのうえ、自分の非を認めず、責任を他になすりつけながら、権力保身に汲々とし、部下の将軍たちを冷酷・無情に次々と射殺していくのです。スターリンによるすさまじいばかりの粛正テロルのあとナチスに攻めこまれて大苦戦してなお、それをやり続けるのですから、まさしく狂気の沙汰としか言いようがありません。
それでも、日本人は当時のソ連を笑ってすませるわけにはいきません。東条英機も昭和天皇も同じことでしょう。決して自己責任は認めなかったのですから。小泉前首相だって同じことです。あれだけ勇ましいことを言っておきながら、週刊誌にイタリアへ脱出か、なんて書き立てられているのです。無責任さは共通しています。こんなことを書いていると、一人でますます腹が立ってきました。あー、やだ、やだ。
1941年6月。ヒトラーは独ソ不可侵条約を無視して、一方的にソ連領内に侵入した。スターリンは、挑発に乗るなと、その直後まで叫んでいた。つまり、まさかの不覚をとったのだ。そんな馬鹿なトップをもっていたソ連軍はたちまち崩壊させられた。
ナチス・ドイツ軍は、ついにレニングラードを完全に包囲した。外部から食糧を搬入することもできない。レニングラードの人口は340万人にふくれあがっている。いったいどうするのか。
最初に死んだのは老人ではなかった。若者、それもとくに少ない配給量で生きてきた 14歳から18歳だった。男は女より先にくたばった。健康で丈夫な者の方が、慢性廃疾者より先におさらばした。これは配給量の不均等の直接結果だった。12歳から14歳までの配給量は、12歳までの幼児の量とまったく同じ。1日にパン塊の3分の1、たったの200グラム。これは労働者の配給量の半分。しかし、成長期の元気な子どもは、労働者と同じ量を必要とした。若者たちが先に死んだのはこのため。配給量は男女同じで、労働者は一日パン400グラム。他の食物合計200グラム。しかし、男たちは活動的な生活をするから、もっと食糧が必要だった。それがないため、男は女より早く死んだ。
古い皮革を煮てゼリーパテをつくったり、セルローズを煮出してスープをつくったりして、親は子どもを生きのびさせようとした。
飢えは、性別を事実上なくした。人は性欲をなくし、性衝動が消えた。女はお化粧をしなくなった。口紅も食糧として食べた。化粧クリームはバター代わりに代用パンに塗って食べた。工場の浴場に男女の従業員が一緒に裸になって入っても、何も起きなかった。
あとで飢饉が緩和して、配給がふえてくると、男女ともフロント・ラブ(前線愛)に芽ばえた。
人は愛犬を食べた。さすがに自分の手では飼い犬は殺せず、知人に頼んだ。ネコも鳥も姿を消した。ネズミはドイツ軍の前線へと逃げ出した。
闇市では人肉が売られているという噂が立った。本当かもしれないと人々は思った。食糧を貯蔵していた倉庫が焼失したあと、その土を掘り返して、売りに出された。鍋で煮出し、麻布でこして精製するのだ。
1942年1月に餓死した市民は1日に4000人。月に12万人にもなる。レニングラードは、包囲が始まったとき、難民10万人をふくめて250万人の人口があった。 900日の包囲が終わりに近づいた1943年末、その人口は60万人だった。100万人の市民が包囲中に疎開した。また、10万人は、前線に徴兵された。すると、少なくとも、100万人が餓死した計算になる。
その責任はヒトラーのナチス・ドイツにあるが、スターリンにも責任を分担してもらわなくてはいけない。しかし、実のところ、レニングラードが包囲を破ったあと、なんと、レニングラード包囲戦をたたかい抜いた将軍たち、そしてジダーノフやポプコフ市長などは、スターリンの毒牙にかかって、一斉に粛正(銃殺)されてしまったのだ。スターリンは自分に並ぶような英雄を許さなかった。戦争の非情さは、こんなところにまで貫徹したのです。
恐るべきノンフィクションでした。前に紹介したスターリングラードの戦いもすさまじいものがありましたが、レニングラードの飢えとのたたかいの凄絶さには、度肝を抜かれてしまいます。