弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年10月30日

集中力

著者:谷川浩司、出版社:角川ワンテーマ21(新書)
 将棋を始めたのは5歳のとき。大山康晴、中原誠も同じで5歳のとき。羽生善治は6歳の終わりころ。うーん、なんという早さでしょう。そのころ私は、いったい何をしていたのか、思い出すこともできません。
 子どもが将来、将棋に強くなるかどうかは、思いついた手をどんどんさしていけるかがポイント。考えこんで指す子は強くはなれない。何か自分はこういうねらいを持っているのだということが、指し手に現れている子が伸びる。一時間かけて一局指すより、一局を10分、20分と数多くどんどん指す方がよい。直感的にどんどん指していく。知識や技術に頼るのではなく、閃いた手を指すのが、将棋に強くなる第一条件だ。そして、棋士の本当の強さの基盤になるのが集中力だ。うむむ、なるほど、そうなんですね・・・。なんだか、良く分かりますね、この指摘。
 20代の棋士には、将棋は技術がすべてだと考え、毎日6〜8時間も将棋の勉強にうちこむ人は珍しくない。しかし、30代になっても一日の大半を将棋盤に向かっているだけだという生活では、ちょっと問題がある。将棋の強さは、技術の占める面も大きいのだが、技術を100%出すには、その人の内面の奥深さが必要である。刻々と変化する局面に単純に対応し、こなしているだけでは、何も打開できない。状況をのみこみ、判断し、先を読む内面の広がりが重要である。将棋の研究以外に何かをプラスアルファできないと勝ち続けていけない。その意味で、30代に人間としての厚みを増やさないと、40代、50代と長く勝ち続けていくことは難しい。
 世界は違っても、弁護士についても同じことが言えると思います。法律論だけでなく、大局観が弁護士にも求められるのです。
 将棋を指しているあいだは、相手と会話を交わすことも、顔を見ることもない。視線は、せいぜい胸あたりまでで、神経は盤上に集中している。しかし、将棋を通じて、対局中の互いの考えや局面での心理は分かる。
 他人の力強さに焦っていては、自分の将棋に集中できるわけがない。
 トップにいる棋士の実力とは、不安と迷いのなかで、正しい手を選び、指せるという強さだ。そのためには、子どもの頃から、どのような厳しい局面でも、自分で考えるしかない。また、自力で考えるからこそ、勝つ喜びもあるという自覚を培うことが大切なのだ。
 集中力は、もって生まれた才能とは違う。好きなことに夢中になれるという誰もが子どものころからもっているもの。才能はそれほど必要ではない。最初の気持ちをずっと持ち続けられること、一つのことを努力し続けることを苦にしないことが、もっとも大事な才能なのだ。集中力の基本は、好きであることの持続。
 勝負に限らず、自分のペースを守り、集中力を維持するためには、感情をコントロールすることが大事だ。怒りで冷静さを失い、自分を見失ってしまうのでは損でしかない。
 焦らない、あきらめない。常に自分に言い聞かせた言葉である。小さなミスに焦らないという気持ちで集中していれば、「しまった」と焦らなくてすむ。プロの将棋では、とんでもない大ポカで負けるよりも、小さなミスが積み重なって負けるケースが多い。
 対局日が近づいても特別なことはしない。朝起きて、三度の食事をきちんととって寝る。睡眠だけはしっかりとって、ふだんの生活と同じレベルに対局があるのが望ましい。負けることに耐えられず、潔さを失ったら、将棋界から立ち去り、勝負から遠ざかるべきだ。
 うーん、なるほど。そうなんでしょうね。だから私は、勝負事には近づきません。そんなに潔く負けを認めることなんて、できっこないと自覚しているからです。
 小さな新書版ですが、内容にはズシリと重たさを感じさせるものがあります。さすが名人の言うことは違いますね。

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