弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2006年10月19日
ポーランドのユダヤ人
著者:フェリクス・ティフ、出版社:みすず書房
アウシュヴィッツがあったのはドイツではなく、ポーランド。なぜ、ポーランドに強制(絶滅)収容所があったのか。
ドイツは、占領中のポーランド国内に合計400ヶ所ものユダヤ人ゲットーをつくった。最大のゲットーは、ワルシャワにあり、一時的には46万人のユダヤ人がいた。そこでは、むいたジャガイモの皮も捨てないように呼びかけられていた。
第一次大戦と第二次大戦のあいだ、ポーランド人の2000万人に対して、ユダヤ人は300万人で、民族としては少数派だった。ユダヤ人にとって、ポーランド人とポーランド国家との関係は死活の重要性をもっていた。しかし、ポーランド人にとっては、ユダヤ人は少数民族の一つ、それも政治的には最重要とは言えない少数派に過ぎなかった。
ユダヤ人は、ナチスの第三帝国の敗北が不可避と考えていて、何とか戦争が終わるまで生きのびようと考えていた。たとえ我慢の時期に老人・病人そして子どもたちを失っても、残りの人々は救われるのではないか、という考えである。たとえば、ナチスに協力させられたユダヤ長老会議の議長は、次のように考えていた。
我々の目標は唯一つ。戦争が終わるまで、持ちこたえること。そのための手段はドイツ人に有用であること。2万5000人のユダヤ人を絶滅収容所へ送り出した責任が問われている。しかし、ナチスはユダヤ人5万人の移送を計画していた。全員を失うのに比べれば、2万5000人を失う方がましなのだ。私は勝利を収めたのだ。
ゲットー内にはユダヤ人警官がいて、取り締まりにあたった。はじめはまともな人も、やがて堕落していく。するとユダヤ人警官は、自分を普通の人よりもましと思うようになり、他人を殴ったり強要するようになった。
こんな悲惨な境遇に置かれたユダヤ人ですが、ユダヤの教えを捨てる人はほとんどいなかったようです。次のように考えました。
私たちの前におかれた誘惑は大変重く、苦いもので、私たちの民をしてあなた様を疑い、背くように仕向ける。あなた様を信じなくするために、すべてのことをなさいました。けれども申し上げます。私の父なる神よ、あなたは成功しなかった。私をむち打っても、この世で私にもっとも大切なものを奪っても、私を死の責苦にあわせても、私はそれでもやはりあなたを信じます。
私には、このところがどうしても納得できません。神が実在するのなら、どうして、こんなひどいことを止めることができなかったのか。あんなヒトラーみたいなちっぽけな人間一人をのさばらせ、天罰を与えることができなかったのか。
ユダヤ人がゲットーのなかで活動力を欠き、死に直面しても受け身だったという決まり文句があるが、必ずしもそうではない。実際には、ユダヤ社会は戦争の時期には自助、相互援助と社会的敏感さを異常なほど高めていた。ゲットーのユダヤ人はいつにないほどの活発さ、持続性、希望のあかしを残している。ナチス・ドイツのユダヤ人に対する絶滅計画を自覚しはじめたとき、全員に対して死が迫っていることが分かってもなお学び続け、自分よりも飢えた者を養い、音楽を聞き、自己防衛を図っていた。
うむむ、そうだとしたら、なぜ何百万人ものユダヤ人がむざむざ殺されてしまったのか・・・。なお疑問が残ります。
ヒトラー・ナチスがポーランドの地をユダヤ人皆殺しの場として選んだ理由のひとつにポーランドには反ユダヤ意識が強かったことがあげられる。ここは、比較的に準備工作が少なくてすみ、ドイツ戦時経済への負担も軽く、前線への兵站業務も妨げない地点だった。この地で勤務するドイツ兵は、はじめから、ここでは何をしても罪に問われる心配はないと安心して鎮圧工作や恐怖政治を実行していた。テロルは、この地ではこれ見よがしに展開され、地下活動に参加したり、いかなる抵抗を示すポーランド人にも、ときにはただ恐怖を与えるためだけに死刑が科されていた。
ポーランドの地でナチスによって生命を奪われたユダヤ人は、少なくとも300万人に達する。ポーランド人のかなりの多数派は、ユダヤ人の運命を相対的なものとみなし、それを遠ざけて、ユダヤ人に対して無関心にふるまった。
ユダヤ人の受難に対してポーランド人が距離感をもった理由の一つが、ポーランドを占領したナチス・ドイツがまず第一にポーランド人の精神的・政治的エリート層を抑圧したこともあげられる。アウシュヴィッツ強制収容所が1940年5月から6月にかけて建設されたとき、初期に収容された人間はポーランド人だった。
ドイツ占領者の手中におちた300万人のポーランド人とユダヤ人のうち、戦後まで生きのびたのは、わずか6〜7万人に過ぎない。そのうち20%が収容所で生きのび、残り80%はポーランドの他の非ユダヤ人やポーランド人に匿われていた。
847人のポーランド人がユダヤ人を支援したことを理由に死刑に処せられた。殺された人の80%は農村の人々。ユダヤ人の支援活動に加わったポーランド人が少なくとも 20万人はいたと推定されている。ほとんど、人道的な動機からだ。その反面、没収されたユダヤ人の資産を自分のものにしてしまうポーランド人も決して少なくはなかった。
現在のポーランドには、ユダヤ人の全国組織はなく、ラビ中央組織もない。ユダヤ人の生活は個別に分散されている。
2002年に実施されたポーランド人の世論調査によると、ユダヤ人嫌いの人が増えている。1967年の第三次中東戦争でイスラエルが圧勝すると、ポーランド政府と党は反イスラエル=反ユダヤのキャンペーンをはじめた。その結果、それまでは27万人いたユダヤ人が1万人以下にまで激減してしまった。
アウシュヴィッツの根が深いことを、よくよく考えさせられる本でした。