弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2006年10月24日
昆虫ー脅威の微小脳
著者:水波 誠、出版社:中公新書
まさに、おどろき、驚異の世界、生命の不思議のオンパレードです。こんな本を読むと、生きていて良かった。ああ、そうなんだ、人間ばかりが万物の霊長なんて言って威張っているのはチャンチャラおかしい、そんな気がしてきます。
著者は、前書きで本書を通して、日ごろ感じている昆虫の微小脳の面白さ、凄さの一端を伝えたいと書いていますが、たしかに、その凄さはしっかり伝わってきました。こんな大変な研究をして、それを分かりやすく伝えてくれる学者を大いに尊敬してしまいます。
地球上の昆虫は登録されているものだけで100万種にのぼり、すべての動物種の3分の2を占める。熱帯雨林には1000万種をこえる未登録の昆虫が生息していると推定されている。昆虫は海にはほどんどいない。昔、浅い海を生活の場としていた甲殻類の一部が陸上への進出を試み、そのなかの成功したグループの一つが昆虫の祖先となった。
昆虫が繁栄できたのは、一つに軽くて薄いクチクラからなる翅を獲得し、高い移動能力を実現したこと。二つは変態によって、成長と繁殖の完全分離を実現し、効率的な資源利用を可能にしたこと。三つには、花をつける植物(被子植物)と共生関係を結んだこと、にある。
ハエには、哺乳類のような血管系はなく、すべての組織や気管は直接血管に浸されている。これを開放血管系と呼ぶ。血液は、背脈管という心臓の役割をする気管の働きによって、体中を循環する。ハエには肺もない。酸素は体の両側にある気門から気管系によって体の組織へ運ばれ、また代謝によって生じた二酸化炭素は気管系によって体外に排出される。小型のエンジンでは空冷式の方が水冷式よりも効率がよいのと同じで、ハエのような小さな動物では空気を直接組織に運ぶほうがはるかに効率がよい。
ハエは翅を1秒間に300回も上下に羽ばたく。これによって、1秒間にその体長の 250倍も飛ぶ。これを誘導するのが複眼。複眼の視力(空間分解能)はヒトの眼より何十分の一と劣るが、動いているものを捉える時間分解能は数倍も高い。蛍光灯が1秒間に100回点滅するのをヒトは気がつかないが、ハエには一コマ一コマが止まって見える。だから、ヒトがハエを追っかけて叩こうとするとき、ハエにはスローモーションのように見えるので逃れることができる。
昆虫の複眼も微妙に異なっている。トンボの複眼は、空を見る背側(上方)の部分にはサングラスがかかっていて、過度の光が光受容細胞に入るのを防いでいる。
ハナアブでは、オスとメスの複眼の大きさも形も異なっている。オスは左右の複眼が正面で接していて、正面の物体を同時に捉えることができる。メスは、左右の複眼が離れているので、両眼視はできない。ハナアブは飛びながら空中で交尾する。オスは眼の正面にメスを捉えて距離を測りながら追尾し、タイミングを計って交尾する。メスは追跡行動しない。なーるほど、うまくできているんですね。
トンボの複眼は、左右2つあわせても個眼は5万個。デジカメの画素数500万というのに比べると粗い。単眼は、空と大地とのコントラストを検知している。単眼は、空間解像力を犠牲にして、明暗の変化を感度良く受容できるようになっている。
単眼は、ごく単純な情報しか検知できない。しかし、素早い行動の制御のためには、複雑な情報処理を行う複眼よりも圧倒的に有利だ。
鳥の翼は前肢が変化したもので、昆虫の翅は胸部の背板が側方に伸びて生じたもの。起源がまったく異なる。
ゴキブリの実験を紹介しています。
ワモンゴキブリに、砂糖水を与える前に、特定の匂いをかがす訓練を2〜3回すると、匂いを嗅がしただけで唾液の分泌を起こすようになる。ええーっ、これってパブロフの犬の実験と同じではありませんか。哺乳類以外にも唾液分泌の条件付けが可能なんですね。
ミツバチの有名な8の字ダンスが、実は真っ暗な巣箱のなかで行われるものであること、したがって、周囲のハチは視覚的に捉えることはできず、触覚にある音受容器によって音として読みとる。
ひゃあーっ、そうだったのですか。ちっとも知りませんでした。てっきり、見て分かっているのだとばかり思っていました。長さも幅も高さも、わずか1ミリ以内という昆虫の脳って、かくも精密なものだったんですね。大自然の奥深さに驚きます。
2006年10月20日
クマムシ
著者:鈴木 忠、出版社:岩波科学ライブラリー
小さな怪物、クマムシについて日本語で書かれた一般向けの本としては最初の本だと言われると、ヘーン、そうなのー・・・、という感じです。でも、読んでいくと、なるほど怪物としか言いようのない小さな生き物ではあります。
クマムシは大きいものでも1ミリぐらい。ほんの小さなケシ粒ほどの大きさしかない。昆虫ではないし、節足動物でもない。電子顕微鏡でとった写真があります。8本足のクマとしか言いようのない姿をしています。
クマムシは私たちの身近に、どこにでもいる。1000種ぐらいいて、そのうち1割は日本でも見つかっている。
オニクマムシの歩くスピードはクマムシのなかでは、ずば抜けて速い。その速度は、秒速0.1ミリだ。もちろん、これはゾウリムシの泳ぐスピードのほうが、よほど速い。
クマムシは海にもすんでいる。フジツボの殻のすき間にすむクマムシ(イソトゲクマムシ)は乾燥に耐性がある。しかし、フジツボの内部にすむ別種のクマムシは、乾くと死んでしまう。ただ、海こそクマムシの生まれた故郷であり、今もそこに大勢の種がすんでいる。
クマムシの化石も見つかっている。白亜紀のコハクに閉じこめられているクマムシは、現代のオニクマムシにそっくりだ。
クマムシは、絶対零度近くまで冷やされても生きのびることができる。また、X線をあてても、ヒトの致死量の1000倍の57万レントゲン(5キログレイ)にも耐えると報告されている。
ところが、クマムシは何をしても死なないというのは完全な誤り。クマムシには、実は簡単に死んでしまう。
クマムシをゆっくり乾燥させていくと樽のようになる。乾燥状態のクマムシはトレハロースという糖が蓄積される。組織に含まれる自由な水分はほとんどなくなる。水分がなくなると、それを媒体とする化学反応は起こらない。そして水の代わりにトレハロースが入りこんで、タンパク質や細胞膜分子の形をがっちり保持している。つまり、水を放出し、そのかわりにトレハロースを蓄積してクマムシは生きのびる。だから、クマムシを電子レンジに入れてチンしても、水分がないので、クマムシは平気なのだ。
カラーグラビアの写真を眺めるだけでも楽しくなる本です。生物の多様性を保全しようという呼びかけに、共感を覚えます。
ヒバクシャになったイラク帰還兵
著者:佐藤真紀、出版社:大月書店
ジェラルドは1974年に、カリブ海の島で生まれ、アメリカに移住した。貧しい家族に負担をかけずに教育を受けるために軍隊に入り、軍からの給付金で大学にすすんだ。ジェラルドはイラクに派遣され、5ヶ月後から、1日に5〜8回、針で刺すような激しい偏頭痛に襲われた。
アメリカ兵で体内に劣化ウランが確認されたのは、サマワに駐留していた兵士たちだった。サマワでは、開戦直後の一週間に激しい戦闘が行われた。劣化ウラン弾は、戦車が爆発するときにウラン酸化物の微粉末を発生するので、弾頭が命中した戦車は、戦場での放射線の大きな発生源になる。戦車が人に近いところにあればあるほど、微粉末を吸いこむ危険は大きくなる。
オランダ軍の分遣隊がアメリカ兵と交代するために、サマワに到着した。オランダ兵はガイガー・カウンターで宿営地の周辺を調べ、放射線のレベルが高いことが分かったので、宿営地にとどまることを拒絶し、かわりに砂漠に野営を張った。ジェラルドの娘が生まれたとき、赤ちゃんの右手には、通常の子どもよりずっと短くて小さい指が2本だけあった。劣化ウランの影響だとしか考えられない。
そこでジェラルドは、2005年9月29日、アメリカ合衆国陸軍省を相手に損害賠償を求める裁判を起こした。1人あたり500万ドルを要求している。
イラク戦争でのアメリカ兵の犠牲者は2500人(2006年6月)をこえた。傷病兵は数万人にのぼるとみられている。
そもそもアメリカ軍は、劣化ウランの危険性を熟知していたうえで、使用している。放射線によるガンの発生は、細胞分裂が盛んに生じている個体ほど生じやすい。つまり、細胞分裂が盛んな成長過程の胎児・乳幼児は成長のストップしている成人よりも、放射線によるガン発生率が上昇する。
イラクからの帰還アメリカ兵には、湾岸戦争シンドロームといわれる病気がはびこっている。1990年8月から2002年5月までに、22万1000人の帰還兵が障害者と認定され、1万人以上がすでに死亡している。ちなみに、戦闘での死亡は145人、うち35人は自軍の誤射による。
ミシシッピー州での調査によると、251人の湾岸戦争からの帰還家族で、戦争後に妊娠して生まれた子どものうち67%が重度の疾患にかかり、先天性の傷害をもっている。それは劣化ウランによる影響の可能性が強い。
イギリスは、イラク駐留兵に対して、あなたは劣化ウランが使用された戦場に派遣されています、という警告カードを配っている。では、日本ではどうしているのでしょうか。
サマワにいた日本の自衛隊員の今後の健康が本当に心配です。
分断される日本
著者:斎藤貴男、出版社:角川書店
日本の格差社会を英語でいうと、どうなるか。それは、不平等としか言いようがない。しかし、行政当局は、格差とはいっても、不平等とは言わない。格差はどこまでも客観的な現実をあらわす表現でしかない。ところが、不平等といってしまったら、そこには行政の失敗のイメージが生まれる。
そうなんですね。格差がどんどん拡大していっていますが、それは貧富の差がますます大きくなって、貧乏人はさらに貧しくなり、その対極にいるスーパーリッチは徹底して肥え太るということなんですよね。もはや「一億総中流社会」なんてことは誰も言えなくなってしまいました。とっても残念なことです。
先日の日経新聞(10月11日)によると、100万ドル(1億1900万円)以上の純金融資産をもつ個人を富裕層と定義し、日本には141万人いるといいます。アジアの富裕層の6割近くを日本人が占めています。2位は中国の32万人で、韓国、インドと続きます。そして、富裕層の保有資産総額でみると、日本はアジア全体の5割近く(46%)を占めるというのです。さらに、純金融資産が3000万ドルを上回る超富裕層についてみると、日本人の比率は30%で、中国の29%に並んでいます。
いやあ、日本のリッチ層って、こんなにも層が厚いんですね。こういう金持ち層が金持ち減税を推進し、規制緩和をすすめ、福祉をバッタバッタと切り捨てているのですね。
毎日新聞(10月17日)によると、東京では英国製生地をつかった60万円のスーツが30代の男性に売れている、1足10万円もするフランス製の靴がどんどん売れているといいます。そして、豪華客船で世界一周するクルーズ・プランは1人300万円〜
2000万円もするのに、即日完売でキャンセル待ちが出ているとのこと。それに反して、年収200万円以下の人が981万人にもなったというのです。世の中は不平等がますます深刻になっています。
ゆとり教育とは何か。できん者はできんままで結構。限りなくできない非才や無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらったらいいのだ。これまでできない子たちにかけてきた手間とヒマ、そしてお金を浮かせて、これをエリートたちにふり向ける。そのエリートたちが将来のわが国を背負っていってくれる。つまり、ゆとり教育とはエリート教育のこと。ズバリそうだとは言いにくいので、まわりくどく言っただけのこと。
なーるほど、そうだったんですか・・・。でも、それがうまくいかないことは、日本の現状が証明しています。むしろ、できない子にも手をかけるフィンランド式の教育を見直すべきだと私は思います。
明日のブルドッグ
著者:高橋三千綱、出版社:草思社
ブルドッグを飼うのは大変だ。とにかくむつかしい。なんたって手がかかる。冬の寒さに弱い。オスは、いうことをきかないので、まるで大変だ。ブルドッグは皮膚が弱い。
ブルドッグに訓練は向かない。犬のなかでももっとも頑固な犬で、訓練しようにも、言うことをきかない。とにかくマイペースの犬で、自分の好きなようにしか動かない。人間が創ったくせに、人間のいうことをもっともきかない犬だ。
マイペースだけど、ブルドッグほど愛情の深い犬はいない。
猟犬と違って、そんなに走るのが得意な犬じゃない。とにかくデリケートな犬なんだ。馬よりずっと敏感で神経質だし、手間もかかる。いつでも人のそばにいたがるのに、構われると、シカトしたりする。
家人の誰にも媚びようとしない。散歩の途中で犬と出会ったとき、相手の犬がどんなに吠えても見向きもせず、無関心のままだ。
寒さに強い犬はいくらでもいるが、暑さに平気な犬はいない。毛の長い大型犬にとって、高温多湿の日本の気候は敵といってもいい。ブルドッグの毛は短いが、暑さにはことに弱い。
妻を従えて角を曲がってきたブル太郎は、30メートルほど先で立ち止まる。向こうに立っている人間は誰だというように顔を上げて毅然としている。数秒後に歩き出す。飼い主を認めたのだな、と思って私はゴルフクラブを手に立っている。喜色満面で飛びついてくるだろうと私は待ち構えている。ところが、ブル太郎は私のすぐそばを通りはするが、顔を上げることも、立ち止まることもせずに、そのまま歩き過ぎてしまう。それを見て妻はくすくすと笑う。ときには、ほらパパよ、と注意を促すこともあるが、犬の方ではまったく無視して行ってしまう。コケにされた飼い主は憮然としてぶっ立っている。
飼い主の顔色をうかがう犬は多いが、飼い主に対して不機嫌な顔を向ける犬なのだ。
頭の固さは生まれつきで、そのためブルドッグは帝王切開で子どもを産む。その時点で、すでに親子とも人間の世話になるように出来ている。実際、成犬になってもブルドッグはひとりでは何もしないし、やろうとしない。大便のあと、肛門を拭くのも飼い主の役目である。そうしてくれと尻の穴を突き出してくる。耳の垢を取るのも、鼻をおおう分厚いしわの下の溝を清潔にするのも、すべて飼い主の仕事である。
この本は飼い犬のブルドッグの様子をそのまま描いた実話だとばかり思って読んでいましたが、実は小説なのでした。それでも、ブルドッグの性格などは本当のことなんだろうなと思いながら、最後まで楽しく読み通しました。
例の何とも言えない奇妙な顔をしたブルドッグの写真が何枚も紹介されていて、ほんわかした気持ちになっていくのが不思議です。
2006年10月19日
ポーランドのユダヤ人
著者:フェリクス・ティフ、出版社:みすず書房
アウシュヴィッツがあったのはドイツではなく、ポーランド。なぜ、ポーランドに強制(絶滅)収容所があったのか。
ドイツは、占領中のポーランド国内に合計400ヶ所ものユダヤ人ゲットーをつくった。最大のゲットーは、ワルシャワにあり、一時的には46万人のユダヤ人がいた。そこでは、むいたジャガイモの皮も捨てないように呼びかけられていた。
第一次大戦と第二次大戦のあいだ、ポーランド人の2000万人に対して、ユダヤ人は300万人で、民族としては少数派だった。ユダヤ人にとって、ポーランド人とポーランド国家との関係は死活の重要性をもっていた。しかし、ポーランド人にとっては、ユダヤ人は少数民族の一つ、それも政治的には最重要とは言えない少数派に過ぎなかった。
ユダヤ人は、ナチスの第三帝国の敗北が不可避と考えていて、何とか戦争が終わるまで生きのびようと考えていた。たとえ我慢の時期に老人・病人そして子どもたちを失っても、残りの人々は救われるのではないか、という考えである。たとえば、ナチスに協力させられたユダヤ長老会議の議長は、次のように考えていた。
我々の目標は唯一つ。戦争が終わるまで、持ちこたえること。そのための手段はドイツ人に有用であること。2万5000人のユダヤ人を絶滅収容所へ送り出した責任が問われている。しかし、ナチスはユダヤ人5万人の移送を計画していた。全員を失うのに比べれば、2万5000人を失う方がましなのだ。私は勝利を収めたのだ。
ゲットー内にはユダヤ人警官がいて、取り締まりにあたった。はじめはまともな人も、やがて堕落していく。するとユダヤ人警官は、自分を普通の人よりもましと思うようになり、他人を殴ったり強要するようになった。
こんな悲惨な境遇に置かれたユダヤ人ですが、ユダヤの教えを捨てる人はほとんどいなかったようです。次のように考えました。
私たちの前におかれた誘惑は大変重く、苦いもので、私たちの民をしてあなた様を疑い、背くように仕向ける。あなた様を信じなくするために、すべてのことをなさいました。けれども申し上げます。私の父なる神よ、あなたは成功しなかった。私をむち打っても、この世で私にもっとも大切なものを奪っても、私を死の責苦にあわせても、私はそれでもやはりあなたを信じます。
私には、このところがどうしても納得できません。神が実在するのなら、どうして、こんなひどいことを止めることができなかったのか。あんなヒトラーみたいなちっぽけな人間一人をのさばらせ、天罰を与えることができなかったのか。
ユダヤ人がゲットーのなかで活動力を欠き、死に直面しても受け身だったという決まり文句があるが、必ずしもそうではない。実際には、ユダヤ社会は戦争の時期には自助、相互援助と社会的敏感さを異常なほど高めていた。ゲットーのユダヤ人はいつにないほどの活発さ、持続性、希望のあかしを残している。ナチス・ドイツのユダヤ人に対する絶滅計画を自覚しはじめたとき、全員に対して死が迫っていることが分かってもなお学び続け、自分よりも飢えた者を養い、音楽を聞き、自己防衛を図っていた。
うむむ、そうだとしたら、なぜ何百万人ものユダヤ人がむざむざ殺されてしまったのか・・・。なお疑問が残ります。
ヒトラー・ナチスがポーランドの地をユダヤ人皆殺しの場として選んだ理由のひとつにポーランドには反ユダヤ意識が強かったことがあげられる。ここは、比較的に準備工作が少なくてすみ、ドイツ戦時経済への負担も軽く、前線への兵站業務も妨げない地点だった。この地で勤務するドイツ兵は、はじめから、ここでは何をしても罪に問われる心配はないと安心して鎮圧工作や恐怖政治を実行していた。テロルは、この地ではこれ見よがしに展開され、地下活動に参加したり、いかなる抵抗を示すポーランド人にも、ときにはただ恐怖を与えるためだけに死刑が科されていた。
ポーランドの地でナチスによって生命を奪われたユダヤ人は、少なくとも300万人に達する。ポーランド人のかなりの多数派は、ユダヤ人の運命を相対的なものとみなし、それを遠ざけて、ユダヤ人に対して無関心にふるまった。
ユダヤ人の受難に対してポーランド人が距離感をもった理由の一つが、ポーランドを占領したナチス・ドイツがまず第一にポーランド人の精神的・政治的エリート層を抑圧したこともあげられる。アウシュヴィッツ強制収容所が1940年5月から6月にかけて建設されたとき、初期に収容された人間はポーランド人だった。
ドイツ占領者の手中におちた300万人のポーランド人とユダヤ人のうち、戦後まで生きのびたのは、わずか6〜7万人に過ぎない。そのうち20%が収容所で生きのび、残り80%はポーランドの他の非ユダヤ人やポーランド人に匿われていた。
847人のポーランド人がユダヤ人を支援したことを理由に死刑に処せられた。殺された人の80%は農村の人々。ユダヤ人の支援活動に加わったポーランド人が少なくとも 20万人はいたと推定されている。ほとんど、人道的な動機からだ。その反面、没収されたユダヤ人の資産を自分のものにしてしまうポーランド人も決して少なくはなかった。
現在のポーランドには、ユダヤ人の全国組織はなく、ラビ中央組織もない。ユダヤ人の生活は個別に分散されている。
2002年に実施されたポーランド人の世論調査によると、ユダヤ人嫌いの人が増えている。1967年の第三次中東戦争でイスラエルが圧勝すると、ポーランド政府と党は反イスラエル=反ユダヤのキャンペーンをはじめた。その結果、それまでは27万人いたユダヤ人が1万人以下にまで激減してしまった。
アウシュヴィッツの根が深いことを、よくよく考えさせられる本でした。
2006年10月18日
ドイツ・イデオロギー
著者:マルクス、エンゲルス、出版社:新日本新書
哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである。
有名なセリフです。これがマルクスの言葉だったのか、エンゲルスの言ったことだったか分からなくなっていましたが、この本を読んで、マルクスの言葉だったことが分かりました。学生時代にこのフレーズに出会ったとき、新鮮な衝撃を受けたことを、今も鮮明に思い出すことができます。
この本は、マルクスとエンゲルスの草稿写真によって完訳を試みたもので、新訳となっています。大変読みやすい内容です。
人間の思考に対象的真理が得られるかどうかという問題は、理論の問題ではなくて、実践の問題である。実践において、人間は真理を、すなわち、彼の思考の現実性と力、此岸性を証明しなければならない。思考が現実的であるか、それとも非現実的であるか、にかんする論争は、それが実践から遊離されると、純粋にスコラ的な問題である。
私の大学生時代、学園内ではスコラと称する「理論闘争」が流行っていました。要するに論争です。並木路のあちこちで、セクトの論客たちが口角泡を飛ばして論じあっていました。
意識が生活を規定するのではなくて、生活が意識を規定する。なるほど、そのとおりだと、つくづく思います。しかし、もう一方では次のような指摘もあります。
支配階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想である。すなわち、社会の支配的な物質的力である階級は、同時にその社会の支配的な精神力である。物質的生産のための諸手段を自由にできる階級は、それとともに精神的生産のための諸手段をを意のままにするのであるから、それとともに、精神的生産のための諸手段を欠いている人びとの諸思想は、概してこの階級の支配下にある。支配的階級を形成する諸個人は、とりわけ意識をももち、それゆえに思考する。思考する者として、諸思想の生産者としても支配し、彼らの時代の諸思想の生産と分配を規制する。
先日発足した安倍内閣の支持率は、なんと7割もあるということです。今、テレビを毎日3時間以上みている人の7割が小泉を支持しているという世論調査の結果があったなんていう恐ろしい話を親しい友人がしていました。マスコミを握る支配階級が貧しい人々の心をつかんでいるのですね。恐ろしいことです。幻想にとらわれた人々をうまく操っているのが小泉でしたし、今の安倍だと思います。
国家は、支配階級の諸個人が彼らの共通の諸利害を貫徹し、ある時代の市民社会全体が総括される形態であるから、その帰結として、あらゆる共通の制度が国家によって媒介されて、政治的な形態をとることになる。そこから、法律は、意志に、しかも、それの現実的土台から引き離された意志である自由な意志にもとづくかのような幻想が生ずる。同様に、権利は、その場合にこれまた法律に還元される。
マルクス主義は古いとかいいますが、こういう指摘を読むと、うむむ鋭いぞ、これは、と思わずうなってしまいます。私は孔子の本も道元や空海の本も読みますが、マルクス・エンゲルスの本も、まさに古典として大いに読み直したいと考えています。どんなに古くても、やはり、いいものはいいのです。
2006年10月17日
競争やめたら学力世界一
著者:福田誠治、出版社:朝日新聞社
フィンランド教育の成功というサブタイトルがついています。いやー、実に良い教育ですよ。こんなに伸び伸びとした教育を受けることができたら、本当にどの子もすくすくと学力が伸びると思いますね。今の日本では全国どこでも中高一貫の学校がもてはやされていますけれど、私は大いに疑問です。なにより、それがうまくいったとしても、格差を拡大させるばかりで、日本社会は現在のアメリカ社会のように暴力が横行する、すさんだ社会になってしまうでしょう。それも私は心配です。
世界学力調査でフィンランドはずっと世界一位を誇っています。この本は、人口500万人の小国フィンランドが教育の力によって世界のIT産業の先端にいる秘密を探っています。フィンランドの面積は日本とほとんど同じで、宗教はルター派キリスト教徒が85%。
フィンランドでは高校間格差はほとんどないので、たいてい地元の学校に進学する。職業学校への進学率が高い。フィンランドの学校は、できない子の底上げはするけれど、できる子は放っておく。できるから。そもそも、学校は生徒の成長を支援するところだ。
フィンランドの教育の特徴は、ひとことで言うと、いやがる者に強制しないということ。あの手この手で促しはするけれど、要は本人のやる気が起きるまで待つ。というのは、人間というものは、もともと興味・関心をもって、自ら学んでいくものだから。強制すれば、本来の学習がぶち壊しになってしまい、教育にならず、かえってマイナスだ。
私は、ホントにそうだと思います。思い出すと、私も大学受験のとき、たくさん本を読みたいものだと痛切に願っていました。いま、腹一杯、本が読めて、本当に幸せです。
フィンランドの教育は、自分で学べ、うまく学べないときには援助する、というもの。
大学には同年齢の30%が、高等職業専門学校には35%が進学する。このほか、大人も成人学校で学んでいる。だから、フィンランドは、世界有数の高学歴社会だ。普通科高校では、1994年に学年制が廃止され、単位制になった。大学に入学するまで、たいてい2〜3年かけて社会的経験するのが普通なので、それほど卒業を急がない。
国は教科書の検定をしない。教科書の作成過程には教師組合の代表も、教師も加わり、一部の者が独走することはない。教科書を選択するのは一人ひとりの教師であり、それを校長が承認する。教科書は一つの教材でしかなく、その使い方は教師個人にまかされる。
一クラスの生徒は24人まで。午後4時になると、生徒も教師もいなくなる。教師は授業が終われば、生徒と一緒に帰宅してよい。夏休みの2ヶ月間も、まるまる学校に来なくてよい。だから、フィンランドの教師は、おそらく世界一じっくり準備して授業にのぞむことができる。
職員室は、教師がくつろぎ情報交換する場であり、日本のように会議をするところではない。教師は、同じ学校に定年まで勤めることがほとんど。
フィンランドの子どもたちは、競争やテストがなくても、なぜかよく学んでいる。
フィンランドは図書館利用率が世界一。一人あたり年21冊を借りている。日本は年に4.1冊。人口56万人のヘルシンキ市に図書館が38もある。同じ規模の日本の都市だと6〜13ほどしかない。私の町では、移動図書館(バス)まで廃止されてしまいました。
教師と生徒にゆとりがあると、学力が伸びるという見本のような国です。日本も参考にすべきだとつくづく思いました。
2006年10月16日
雷鳥が語りかけるもの
著者:中村浩志、出版社:山と渓谷社
ライチョウは有名ですが、残念なことに、私はまだ現物を見たことがありません。
この本を読んで、人を恐れない日本のライチョウは、実は世界で珍しい存在だというのを知りました。アメリカでは、ライチョウは人の姿を見たらすぐに飛んで逃げていくそうです。人間に射たれて食べられるからです。そう言えば、我が家にすむスズメもそうです。家の屋根瓦の下に巣をつくっていますし、しょっちゅう出入りしているくせに、巣を出入りするときだけは物音ひとつ立てません。実に静かにしています。でも、いったん外に出たら例のピーチクパーチクとかまびすしいこと、このうえありません。
高山にすむライチョウの写真がたくさん紹介されています。日本のライチョウは静かに近づくと1メートルの距離でカメラを構えて写真がとれるそうです。わが家の常連のキジバトは2メートルが限界です。毎朝エサをやっていても、そうなのです。
ライチョウは飛べないわけではありません。ちゃんと飛べます。日本のライチョウは人間にいじめられてこなかったので、人の姿を見ても逃げないのです。ライチョウは高山にすむ神の鳥として、古来からあがめられてきたのです。
ライチョウが高山にしかすまないのは、ライチョウが氷河期の遺留動物だから。高山は氷河期の気候に似ているので、雷鳥はそこで生き延びることができた。
雷鳥は北海道や東北地方にはすんでいない。標高が高くても、高山帯の面積が小さいので生きのびることができなかった。本州には、強い風と冬に多い雪があり、一年中、葉が緑のハイマツがある。そこは雷鳥の営巣場所として、また隠れ場所として雷鳥にとって重要な役割を果たしている。また、ヒツジが日本にいないことが幸いした。ヒツジは白い悪魔だとも言われている。山の草々を食べ尽くしてしまうから。それでは雷鳥は生き残ることができない。
雷鳥のオスはナワバリをめぐって激烈なたたかいをくり広げる。メスを確保すると、オスはメスを守ってつがいをつくる。ヒナがかえるとメスが子育てをし、オスは単独行動になる。ヒナは天敵のオコジョに補食されたり、危険が高い。だいたい3分の1以下に減ってしまう。
冬のあいだ、ライチョウは、とにかくじっとしている。動かず、じっとしていると目立たない。それが最良の護身術なのだ。
中央アルプスにもかつてライチョウがいた。しかし、駒ヶ岳にロープーウェーをかけ、年間に数十万人もの人間が入るようになって、数年のうちにライチョウはいなくなった。
ライチョウのオスのナワバリは平均して直径300メートルほどの大きさだ。ライチョウはニワトリに近い種類なので、砂浴びが大好き。
一夫一婦のライチョウだが、まれに一夫二妻のライチョウもいる。
日本に生息するライチョウは、3000羽ほど。ライチョウの夫婦は、翌年も生き残るのは全体の3分の1ほどにすぎない。ただ、オス・メスともに生きていたら、翌年も同じペアを組む可能性は高い。
ライチョウが減っているのは、日本に高山気候の地域が少なくなったことにもよると指摘しています。つまり、地球温暖化がここでも原因となっているのです。ライチョウ保存の試みも始まっていますが、なかなか難しいようです。
実物のライチョウをぜひ山で近くに見たいと思いました。
2006年10月13日
警察VS警察官
著者:原田宏二、出版社:講談社
警察官でありながら、警察の不正・まやかしとたたかっている人々を紹介した本です。世の中にはこんな勇気をもっている人がいるんだなと改めて人間の偉大さに感銘を受けました。
警察の裏金づくりは昔からあり、きっと今も続いているのでしょう。ところが、マスコミはまったく問題にしていません。残念なことに権力に歯向かう勇気がないからです。
裏金の使途は、上層部のヤミ手当、官官接待の費用、異動時の餞別、部内の飲食などにあてられる。その金額は300〜400人規模の警察署で年間6000万円は下らない。現場の捜査員などの激励経費にあてられることもあるが、それは例外。裏金システムは幹部が自由につかうためのものであり、現場の警察官のためのものではない。その手口は全国一律。裏金システムがばれないためのつじつまあわせの事前準備が、国の機関である警察庁会計課の指導で入念に事細かに行われている。
いやあ、ひどい話ですよね。不法を取り締まるべき立場の公務員が、税金を私物化していて、誰も問題にしないというのですからね。
勇気ある人々を励ますためにも、ぜひ、あなたにもこの本を買って読んでほしいと思います。
サイバー監視社会
著者:青柳武彦、出版社:電通通信振興会
アメリカのチョイスポイント社の個人情報データベースには2億2000万人について250テラバイトの情報が蓄積されて、毎日4万データが追加されている。ここが、大規模のなりすまし犯罪グループに情報を渡してしまった。犯人グループは、身元を偽って50件のアカウントを同社に登録し、正当な目的で情報を閲覧するように見せかけて、消費者の名前・住所・社会保障番号、クレジット履歴などの個人情報を引き出した。14万5000人の個人情報が漏れた可能性がある。
プロの犯罪集団はここまでやるのですね。コンピューターに登録された情報は、どんなに守ろうとしても漏れていく危険があるということです。
京都府宇治市の住民基本台帳のデータが流出した事件で、市民がプライバシーを侵害されたとして市に損害賠償を求めて訴訟を起こした。裁判所は1人について1万5000円を認めた。これは市の委託を受けたデータ処理システム会社のアルバイト従業員がデータを複写して社外に持ち出し、名簿業者に販売したもの。1人1万5000円といっても、住民全員が原告となったとしたら、総額は31億円を上まわることになる。
この本では、Nシステムも街頭の防犯カメラもその有用性が強調され、危険性は軽視されています。私は、社会全体の連帯心をもっと高める総合的方策をとるべきだと考えていますので、著者とは考えを異にします。それでも、問題を多角的に考えようとする姿勢自体は評価できると思いました。
朝鮮王朝史(上)
著者:李 成茂、出版社:日本評論社
朝鮮王朝(李朝)500年の栄枯盛衰のドラマを活字にする本格的通史。オビにこのように書かれていますが、読めばなるほどと納得します。なにしろ上巻だけで600頁あります。私は東京までの往復2日間かけて、じっくり読みとおしました。
上巻は、李成桂の建国から、ハングルが制定された世宗朝、「チャングムの誓い」の舞台となった中宗朝を経て、第18代の顕宗朝までです。李朝500年が、激しい波に浮かんであらわれては消え去っていく様子が活写され、手に汗にぎる思いにかられます。
歴史は過去との対話である。
けだし名言です。過去を知らないことには、現在の自分を知ることは決してできません。
歴史において、善悪は表裏一体であり得る。小国の韓国が、これまで生き延びてこれたのは、能力を重視し、優秀な人材を選び、国家を経営してきたからである。能力主義こそ、韓国の誇るべき精神的資産なのだ。
科挙制度と朱子学は、400年かかって韓国のものになった。つまり、10世紀にとりいれられた科挙制度は14世紀になって韓国に定着した。12世紀に導入された朱子学は16世紀の退渓(テゲ)、栗谷(ユルゴク)の時代になって、やっと韓国のものとして定着した。
国王が世襲されるのに対し、官僚は科挙によって選ばれたから国王より優秀だった。彼らは巧妙な制度をつくって王権を制約した。人事権と軍事権は、形式的には国王にあったが、実質的には臣僚たちが握っていた。
臣僚のあいだで朋党が生じ、党争が公然と横行する。国王は朋党間の調整に汲々とするばかりだった。皇帝権が強かった朝鮮では朋党は公認同然だった。
朝鮮の歴代諸王たちの治世は、おおむね20年ほど。20〜30代に即位して、40〜50代に死去することが多かった。宣祖、粛宗、英祖のように30〜50年も在位した王は例外的だった。
次の王位継承者である世子の資格条件として、長子相続の原則は、朝鮮時代にすでに確立されていた。しかし、王位の継承のような政治的に重要かつ複雑な問題を原則どおりに行うというのは、それほどたやすいことではなかった。朝鮮王朝時代500年間に推載された王は27人。そのうち王の嫡長子など、正当性に何ら問題のなかったのは、わずか10人にすぎない。残り17人の王は、世子の冊封過程や王位継承において、原則にそぐわない非正常な継承者であった。兄弟次子継承もある。物理的実行行使によって即位した世祖、中宗、仁祖、王子でない遠縁の王族として大統を継いだ宣祖、哲宗、高宗、庶子として冊封された光海君や景宗、さらに世子が交代した定宗や世宗もいる。
王位継承には、能力や道徳性のようなものも重要な条件となっていた。王位の傍系から初めて王位を継承したのは宣祖だった。
大院君とは、王に後嗣がなく、死後、王族から王位継承者が出た場合、その父を指す呼称だ。
李氏朝鮮の内情を総括した歴史絵巻物を見ているような気持ちになる本でした。
2006年10月12日
明治天皇
著者:笠原英彦、出版社:中公新書
明治天皇が生まれたのは嘉永5年(1852年)秋のこと(9月22日)。孝明天皇の第二子。母は孝明天皇の側室、典侍として入内(じゅだい)した権大納言(ごんだいなごん)中山忠能(ただやす)の次女慶子(よしこ)。明治天皇は4歳まで母の実家である中山家で養育された。中山家には型破りな人間や熱血漢の儒学者などがいて、明治天皇は大いに感化されたと思われる。
孝明天皇は6人の皇子・皇女に恵まれながら、そのうち5人までが3歳を数えるまで生きられなかった。慶応2年(1866年)7月、徳川家茂が21歳で大阪城で死亡。慶喜が後継者となって長州征討を中止。孝明天皇も同じ12月に36歳で亡くなった。毒殺されたとも言われる。明治天皇の即位は、慶応3年(1867年)1月、16歳のとき。
イギリス公使が明治天皇と会見したときに同席したアーネスト・サトウは、次のように明治天皇を描いた。
天皇は眉を剃り、その上方に描き眉を施すなど化粧をし、応対はぎこちなかった。
横井小楠によると、明治天皇は面長で浅黒く、背丈はすらりとして声は大きかった。
天皇が東京に来たのは明治1年(1868年)10月13日。江戸城を皇居と定めた。京都から東京までの旅費80万円を天皇家の財政は負担できず、沿道の諸藩から借金した。
孝明天皇は外国や外国人を洋夷として忌避していたが、明治天皇はむしろ西洋に多大の関心を示した。天皇は政務に対してはあくまで熱心だった。必ずしも才気煥発とはいえないが、大変な努力家ではあった。
西郷隆盛が征韓論が容れられずに下野したとき、明治天皇は22歳。自律的な判断を下せるとは誰も想像していなかった。西郷に殉じる者はあっても、天皇に忠誠を尽くそうとする者はいなかった。天皇はむなしい気持ちに駆られた。天皇の権威失墜は決定的で、このような事態を如何ともなしがたかった。だから、次第に酒にふけるようになった。
明治天皇は、皇后とのあいだに子はなく、権典侍の柳原愛子(なるこ)とのあいだに皇子2人、皇女1人をもうけた。しかし、無事に成長したのは、のちの大正天皇だけだった。
西南戦争のとき、明治天皇は26歳。西郷との直接対決を避けようとし、西郷が死んだあと追悼歌まで詠んだ。西郷に対する同情には深いものがあった。
明治天皇は日頃、よく人物評を口にした。黒田清隆については、実にいやな男だと言い切った。しかし、天皇は内閣の輌弼を受けて消極的天子であることが望まれた。天皇が宮中で側近からの進言を耳にして意思表示することは、政治責任を負う内閣の動きと齟齬することが懸念された。
明治憲法を制定するまでの枢密院における審議に明治天皇は一日も欠かさず出席し、玉座で目を光らせた。明治天皇は政治に関心を示し、政策の方向づけや人事に介入した。天皇は政治的に成熟してきていた。
明治天皇は大隈重信の入閣によい顔をしなかった。明治天皇は進歩思想を敬遠する傾向があった。藩閥政府に加勢していた天皇は政党の進出を内心快く思っていなかった。
明治天皇は常に立憲君主としてのあり方を模索していて、能動的な行動を自制していた。つまり、明治天皇は「専制君主」ではなかった。
明治天皇の祭祀嫌いは半端ではなかった。主要な行事は掌典長が代拝した。
天皇についての「常識」は、たいてい明治以降のことであって、江戸時代までのものとは違うということを、今の日本人はあまりにも知らないように思われます。明治天皇の生活の一日を紹介した本(前にとりあげました)とあわせて読むと、ますます面白いと思います。この本を読むと、一人の等身大の人間が見えてきますから、明治大帝という呼び方には大いに違和感を覚えてしまいます。
2006年10月11日
ニッケル・アンド・ダイムド
著者:バーバラ・エーレンライク、出版社:東洋経済新報社
アメリカの女性ライターが、スーパーのレジ係などの低賃金労働者になった体験談をまとめた本です。前にイギリスの女性ライターが同じような体験をして本にまとめたものを紹介しましたが、アメリカの方が悲惨さはひどい感じがします。
求人広告とは、低賃金労働者の高い移動率に備えるための、雇用側の保険なのだ。現在の従業員が辞めたとき、補充するため、求職者を確保しておきたいということなのだ。
時給6ドルとか10ドルで暮らしている人々には、生き残るための秘策なんてない。ほとんどの場合、「住」こそ生活を破綻させる最大の要因になっている。時給6ドルとか7ドルということは、週に平均40時間働くとして、週給200〜250ドルでしかない。
求職者には、性格検査がなされる。マリファナに強くこだわる内容となっている。ところが、この性格検査は、年商4億ドル産業にまでなっている。アメリカでは、それほどまでマリファナ汚染がすすんでいるのですね。
アメリカでは職場での薬物検査を支持する声は高い。検査したら、事故や欠勤が減り、健康保険への請求も少なくなって、生産性が向上するという理由だ。しかし、アメリカ自由人権協会の報告はそれをいずれも否定している。検査には膨大な費用がかかっている。1990年に連邦政府が職員2万9000人を検査するためにつかったお金は1170万ドル。ところが、陽性反応が出たのは、たった153件だった。1人の薬物常用者を調べ出すのに、7万7000ドルもかかったことになる。なぜこんなことが続いているのか。一つは、20億ドル産業といわれる薬物検査業界が展開する広告の成果だ。もう一つは、この検査のもつ屈辱的効果が雇用主にとって魅力となっている。ええーっ、そういうことなんですか・・・。アメリカって、ホント恐ろしい国なんですね。
ハウスクリーニングがアメリカで流行している。利用している家庭は14〜18%もあり、どんどん伸びている。そして、使用人を監視し、その窃盗を防止するための隠しビデオカメラのテレビ広告が目立っている。
貧しい女は、とくに独身女性は、二重ロック付き、警報システム付き、夫付き、犬付きの家に暮らす女たちより、恐れなければならないものがこんなに多いのか、身に沁みて分かった。著者の女性ライターの文章を読んで、いやあ、ゾクゾクしてきました。ホントにホントに、アメリカって怖い国なんですね。いつもいつも、こんなにビクビクしながら暮らさなくてはいけないなんて、とても信じられません。こんな国には住みたくありません。
ウォルマートの女性従業員の多くは、底の薄いモカシン(靴)で一日中走りまわっている。ヘアスタイルも階級を見分ける手がかりになる。ポニーテイルが多い。肩まで伸びたストレートヘアを真ん中分けして、顔にかからないように二本のピンで留めるのもまた、希望もなく疲れ果てたウォルマート店員の典型的な姿なのだ。ウォルマートのなかにいると、ウォルマートがすべてになってしまう、それ自身で完結した排他的な世界に閉じこめられてしまう。
単純労働など、楽勝だと思われるかもしれない。だが、それは違う。どんな仕事も、どれほど単純に見える仕事でも、本当に単純ではない。
今や、私たち自身が、ほかの人の低賃金労働に依存していることを恥じる心をもつべきなのだ。ワーキング・プア(働く貧困層)と呼ばれる人々は、私たちの社会の大いなる博愛主義たちといえる。彼らは、その能力と、健康と、人生の一部をあなたに捧げているのだから。
アメリカの現実を深く考えさせられる本です。では、日本はいったいどうなんでしょうか・・・。町中、どこもかしこもコンビニだらけ。従来のパパ・ママストアーは見かけなくなりました。デパートも生き残りが厳しくなり、今や郊外型ショッピングモール全盛時代です。でも、これだって、いつまでもつのやら・・・。政府が福祉切り捨てを公然と語っているのに怒りの声が不思議なほどあがりません。日本人は、昔から一揆が大好きな国だったのですけどね。和をもって貴しとせよ、という言葉は、おまえたちあまりケンカばかりするな、そのころも日本人はたしなめられていたということですよ。もっと怒りましょうよ。2世議員か3世議員か知りませんが、日本の過去を無視してしまう、あんな安倍なんかに日本の国の将来をまかせておけますか、あなた?
2006年10月10日
笑いの免疫学
著者:船瀬俊介、出版社:花伝社
著者も団塊の世代です。北九州の荒牧啓一弁護士は早稲田大学の同級生だったそうです。消費者問題などの著書があり、私もいくつか読んだ覚えがあります。この本は、その延長線上にあるものでしょう。なかなか面白く、画期的な内容の本です。
かの有名なシュバイツァー博士は、こう言った。
いつも、自分がどんな病気にかかろうと、一番いい薬は、すべき仕事があるという自覚に、ユーモアの感覚を調合したものである。なるほど、ですね。
たとえ若い人でも、健康な人でも、一日に約3000〜5000個くらい、がん細胞は発生している。毎年31万人が死んでいると言われるがん患者の8割、25万人は抗がん剤や放射線、手術などのがん治療で殺されている。白血病やリンパ球腫などを除いて、抗がん剤で治るがんはない。抗がん剤により、命を短くしている印象すらある。
患者には抗がん剤をつかいながらも、自分ががん患者になったときには抗がん剤の投与を必死になって拒む。抗がん剤以外の代替療法でがんからの生還を期す医師(医学部教授)は少なくない。
毎日、数千個も産まれているがん細胞が無限に増殖せずに、人類が100万年以上も生きのびてこられたのは、がん細胞の増殖を抑える免疫細胞があるから。キラー細胞の強い人の生存率は弱い人の2倍以上。だから、がん治療の最大の目的は、このキラー細胞を強くすることに尽きる。
ところが、がんに対する三大療法は、どれも患者の免疫力を徹底的に叩き、弱らせてしまう。つまり、がんと戦うキラー細胞を徹底攻撃している。三大療法とは、抗がん剤、放射線、手術のこと。これは、実は、がん応援療法なのだ。
抗がん剤の最大攻撃目標は、患者の造血機能。赤血球が殲滅されて、悪性貧血になる。血小板が壊滅して内臓出血で多臓器不全で死亡する。また、リンパ球も消滅させられる。ナチュラル・キラー細胞は、リンパ球の一種。だから、抗がん剤の投与で、がんを攻撃するキラー細胞は全滅し、がん細胞が大喜びする。放射線治療でも、造血機能が殲滅される。
ところが、笑うことで脳血流が増加し、脳が活性化し、記憶力もアップすることが具体的な数値で立証されている。笑いは深呼吸に勝る。大量に息を吐くことで、その後、酸素を大量に取りこむ大深呼吸となる。ストレスで脳は興奮状態になり酸素を急激に消費する。すると脳細胞は酸欠となり、機能が低下する。しかし、笑うと大量の酸素が脳に取りこまれ、弱った脳細胞にいきわたり、脳のはたらきが活性化する。気分がスッキリすると、ストレス物質コルチゾールが減少し、ストレス状態が鎮められる。
著者は、『笑うと免疫力』(ノーマン・カズンズ、岩波書店)を推奨しています。私も読みましたが、笑いはたしかに心身を健康にするものだと実感しています。
私の法律事務所では、幸いなことに笑いが絶えません。ただし、深刻な相談を受けているときに大きな笑い声が聞こえてきて困ることもあります。それでも、深刻な内容を笑い飛ばせるような心の触れあいと交流を相談に来た人としたいものだと考えています。
2006年10月 6日
社長の椅子が泣いている
著者:加藤 仁、出版社:講談社
一代で大企業をつくりあげたオーナーの前では、立派な実績をあげた有能な社長であっても、簡単に社長を解任されることがあるのですね。オーナーは可愛い我が子を企業の存続・発展を無視してまで優遇してしまうのです。まるで豊臣秀吉の世界です。その理不尽さに呆れてしまいました。
舞台は静岡県の浜松市です。ここにホンダとヤマハが生まれました。ホンダの社長とヤマハの社長とが兄弟だったなんて、ちっとも知りませんでした。当事者も、それぞれの社員の手前、それを隠していたそうです。実の兄弟であり、ケンカしていたわけではなく、むしろ仲は良かったのに、公然と会うのは遠慮していたというのですから、やはり世間の目はそれだけ厳しいということですね。
この本の主人公は、46歳でヤマハの社長になった弟の方です。アメリカにも6年半いました。ただし、社長の在任期間はわずか3年あまりで、ある日突然、オーナー(創業者)に解任されてしまったのです。
会議をやれば、人間の能力がわかるんだよ。だれが馬鹿か、だれが利巧かね。
組織の最高権力者からこのような牽制球を投げられると、管理職は萎縮し、プレゼンテーションひとつとっても、権力者の気に入るようにするのが会議の主流となる。
ヤマハにおける川上源一は、実は、創業経営者でもなければ、オーナー経営者でもなかった。川上一族が所有する日本楽器の株式を合計しても3%にみたず、いわゆるサラリーマン経営者である。それでも源一が社長そして会長と30年にわたって君臨しえたのは、親が東大「銀時計」であるという出藍の誉れ、昭和30年代までのリーダーシップ、後継者候補を切り捨て続けた人事操作、くわえて自分を「殿さま」と思ってはばからない個性によるものだった。なるほど、そういうことだったのですかー・・・。それにしても、企業を私物化するエセ・オーナーって怖い存在ですね。
徹底したマニュアル化は、人間のロボット化にほかならず、ノー・シンキングの社員を輩出することになりかねない。必要なのは、自分で問題を発見し、解決する人材である。
河島博はヤマハ社長を解任されたあと、ダイエーの中内功に請われてダイエーの副社長に就任しました。ダイエーの建て直しに功績をあげ、続いてリッカーミシンの再建に力を注いだ。ところが、中内功に追放されてしまうのです。
企業における社長の椅子がこんなにも重く、また軽いものなのか、驚き呆れながら500頁近い大作を読み通しました。
死刑執行人の記録
著者:坂本敏夫、出版社:光人社
懲役受刑者は四級からはじまり、三、二、一級と進級する。上位の級に進むにしたがって自由の範囲が広がり、社会復帰が近くなる。1933年(昭和8年)につくられた、当時は世界の最先端をいく画期的な制度だった。
自由の範囲というのは、手紙を出せる回数、面会できる回数、自分のものがつかえる日用品等の物品の種類がふえるということ。手紙だったら、四級は月一回、三級は月二回、二級は週一回、一級になると毎日出せる。一級者になると、着衣や身体の検査もなく、独歩といって、刑務官の付き添いなしで構内を歩くことも認められる。
刑務官は1万5000人。その90%は幹部養成の研修も試験も受けない。幹部は転勤をともなうから。
仮釈放は、刑務所の推薦があってはじめて審査の対象となる。それはパロール審査会で決まる。そのときもっとも参考にされるのは処遇係長の意見。
死刑の執行は判決が確定してから6ヶ月以内に行うと刑事訴訟法に定められているが、実際には10年前後経過して行われている。もちろん、先日の大阪の例のような例外はある。
絞首刑によって心臓が停止するまで、つまり生物学的に死亡するまでの平均時間は10分だといわれている。
処刑に立会するのは高等検察庁の検察官と検察事務官、拘置所の所長、教誨師、医務課長。
日本における死刑執行の状況を小説という形をとって克明に再現した本です。死刑執行の是非を真面目に考えるときにはぜひ読んでほしい本だと思いました。
ナスカ、地上絵の謎
著者:アンソニー・ド・アヴェニ、出版社:創元社
ナスカの地上絵は、世界の8番目の不思議、考古学最大の謎とも呼ばれてきた。ペルー南部の海岸近く、石と砂の大地に1000平方メートルの広さに1000以上の図像がある。1930年代に航空機のパイロットたちに発見された。
パンパに刻まれた生物のなかで、もっとも多いのは鳥。最大のグンカンドリを描いたと思われるものは、6万7000平方メートルのスペースを占めている。コンドル、ペリカン、ウ、ハチドリ、そしてトカゲ、キツネ、サル、クモ、魚、昆虫。
1200年以上前に刻まれたにもかかわらず、ラインは当初の状態をかなり良く保っている。これはパンパが比較的安定した状態にあることによる。風による侵食は最低限であり、水によるごくまれでなきに等しい。
ひとつのチームの作業員が石を集めて積み上げ、その石をつかって別のチームがはっきりした黒い縁取り線をつくっている。ライン・センターの上に立つ親方が線のふちがまっすぐになるように照準棒をもった作業員に指示を出している。
一般の人々が抱くイメージとはちがって、2000年前のナスカにはラインをつくるための労働力は豊富にあった。ナスカには、土器と織物だけでなく、かなりの数の建築物が現有する。居住地跡と埋葬跡も数多くある。
また会う日まで
著者:早瀬圭一、出版社:新潮社
私も、いつのまにか老後のことを少しは考えなくてはいけないと思うようになってきました。いよいよ団塊世代も50代から60代へ突入しようとしているのです。
この本はラビドールという名の高級老人ホームの物語です。ラビドールというと、なんだかウサギ(ラビット)の小屋という響きですが、そうではありません。私の好きなフランス語で、「黄金の人生」というのです。
入居一時金は6000万円以上です。そのうえ、管理費が月7万4000円(夫婦2人だと10万1000円)。食事は月6万円(2人で12万円)。要するに、一時金として6000万円もの大金を支払ったうえで、夫婦なら月24万円ほど支払っていかなければなりません。まさしく高級の有料老人ホームです。
いったい、どんな人がこんな老人ホームに入っているかというと、大企業の管理職の退職者や公認会計士、大学教授といった人たちです。それでも、ここは良心的な老人ホームのようです。アルツハイマー症にかかった妻は24時間介護が必要になりました。1ヶ月56万円かかるうち、介護保険から出るのは、24万5400円。残りは老人ホームが全額負担してくれるというのです。預かり金から支払うのです。この老人ホームは終身介護の保証をうたい文句としているからです。だから、夫が負担するのは、一ヶ月のおやつ代3000円、リネンの洗濯代4000円、おむつ代1万5000円くらいのもの。
2001年10月時点で、全国にある有料老人ホームは400施設、入居者は4万人ほど。ええーっ、こんなに少ないのかと驚いてしまいます。
有料老人ホームにあっては、経営の安定と永続性にこそ事業目的が求められるべきである。しかし、現実には、このラビドールの母体だった千代田生命は経営が破綻してしまいました。そのとき、入居者がどうしたか。
動揺して退出者が続出したら存続は危うい。しかし、みながじっと入居したままだと絶対大丈夫と叫ぶ人がいて、存続することができた。
千代田生命のあとを日立グループの日立ビルシステムが引き受けた。入居者は、ものすごい不安を感じたと思います。でも、なんとか乗りこえたようです。
私も福祉をビジネスにしてはいけない、なんてことは思いません。しかし、人間なら、誰しも等しく安全・快適な老後を過ごせるように保障するのが政治の役割ではありませんか。大金持ちだけが老後を快適に過ごせる社会は間違っています。オリックスの宮内義彦会長は、自分だって既に老人になっているにもかかわらず、老人切り捨ての先頭に立ち、金もうけだけにしか目がありません。そして52歳の首相は自分をまだ若いと錯覚しています。日本はますます年寄りに冷たい政治を目ざしています。あー、いやだ、いやだ。本当に嫌になってしまいます。でも、あきらめたわけではありません。
2006年10月 5日
子ども兵の戦争
著者:P・W・シンガー、出版社:NHK出版
本当は、こんな本は絶対に読みたくなんかありません。子どもに銃を持たせて戦場で兵士として働かせる。それも兵站部門ではなく、安上がりの消耗品としてつかうなんて、本当にとんでもないことです。しかも、その子どもたちは誘拐してくるというのです。悲惨です。気の毒です。人道に反します。幼いころに人殺しさせられた子どもが大きくなったとき、どんな人生を過ごすでしょうか。考えただけでもゾッとしてきます。
南米コロンビアでは、子ども兵は「小さな鈴」と呼ばれて、使い捨ての見張り役にされ、また、「小さなミツバチ」とも呼ばれている。敵が気づかないうちに刺すから。「小さな車」という言い方もある。疑わずに検問所を通過して武器をこっそり運べるから。
ゲリラ部隊のなかには子ども兵士で3割を占めるものもある。子どもといっても、8歳とか11歳というのは珍しくない。
トルコのクルド労働党(PKK)は、3000人の未成年者兵を擁している。武装した最年少メンバーは7歳。また、未成年のメンバーの10%は少女である。
アフリカのブルンジでは、最大1万4000人の子ども兵が戦っていて、その多くが
12歳前後だ。難民の子どもやストリートチルドレンが徴集されている。
アフガニスタンの子どもの30%が成人する前に軍事活動を経験している。
子どもたちは無垢だから、闇の勢力に対抗する道具としては最高だ。
これは、あるタリバン兵の言葉だそうです。とんでもないことです。
スリランカのタミル・イーラム解放の虎(LTTE)は、少女兵士をもっとも多くつかっている。部隊の約半数が女子で、「自由の小鳥」とも呼ばれている。子どもたちの多くは自爆テロの特殊訓練を受けている。
LTTEは自爆テロによって、インド首相もスリランカ大統領も暗殺している。LTTEは、タミル族の少女を集めることが、女性解放を助け、農民制度の抑圧的な世襲制を是正することになると主張している。ええーっ、そんな馬鹿な・・・。まったく驚いてしまいます。
アフリカでは、部隊に加わって銃を持つのがかっこよくてスリルがある、と言って志願する子どもが15%もいる。そして、教育システムのなかで戦争を美化し、子どもたちが組織に共鳴し、仲間になるようにし向ける。
子ども兵士は、人を殺した瞬間から、自分の人生は永遠に変わってしまったと思う。儀式的殺人は、組織の権威に対する抵抗心をなくさせ、殺人にまつわるタブーを破る。子どもたちをおびえさせ、最悪の暴力行為に加担させる。道徳上の最後の一線を越えたことで、子どもたちは自分の知っている唯一の環境から忌み嫌われる存在となり、帰るところがなくなって、組織への依存度をさらに深める。人生のよりどころは、銃と仲間の戦闘員の二つだけになる。こうなったら最後、子どもたちは命令にほとんど全面的に服従する。
子どもは戦闘をゲームだと思うから、恐れを知らない。
子どもが本来もっている恐いもの知らずの面を強化しようと、子どもに麻薬やアルコールを服用させる組織もある。
子ども兵の悲劇は、紛争が集結したあとも後遺症が残る点にある。未成年の戦闘員をつかうことで、将来の暴力と不安定の土台ができる。子ども兵は、ひとりでに増殖していく。戦闘のたびに、戦争で心に傷を負い、希望も技能も持たない集団が新たに生まれ、次なる暴力への予備軍とも引き金ともなる。
アラブでは、殉教者は70人の身内を天国に入れる力を授かるとされている。このような素晴らしい未来は、貧困と絶望しか知らない子どもたちにとっては、非常に魅惑的だ。自爆テロリストを生み出す重要な要素は、周囲に対する失望と、天国に行きたいという欲望との結びつきだ。
子どもたちはテロリスト組織から、家族が受けとる報酬に心を動かす。最高2万5000ドルを家族はもらえる。ハマスは、5000ドルと、小麦粉、砂糖、衣料品だ。そして、子どもの「殉教」をまるで結婚式のように扱い、お祝いする。子どもの死は、新聞で告知され、遺族の家には、何百人もの客がお祝いにやってくる。死んだ子どもの遺書に従って、客には甘いデザートやジュースがふるまわれる。このような楽しげな光景や、自分も生まれ育った村で同じように名を上げられるかもしれないという思いが、ほかの子どもたちや、その家族の心をゆさぶる。多くの親たちは、我が子が自爆テロで死んだことを誇りに思っている。母親が小躍りして喜ぶことさえある。わが子を差し出すことをためらう親は、いじめにあったり、非難されたりする。
イスラム教は自殺を禁じている。しかし、子どもによる自爆テロは、敵がいるから、話は別なのだ。訓練の最後に、ビデオやカセットテープによる遺言や別れのメッセージを記録する。これによって後戻りはできなくなる。後戻りしたら、公の場で恥をかきかねないからだ。
テロをなくすためには、教育制度を再建し、経済を立て直すこと、そして、子ども兵士を集めようとする体制を弱体化させることだ。
本当に、本当に悲しい現実が、この地球上にみちみちているのですね。昔も今も、軟弱な若者を軍(今は自衛隊)に入れて鍛えろ、という意見があります。しかし、軍隊とは、要するに、ためらいなく人を殺せるマシーンにするところです。そんな、自分の考えをもたないまま人殺しマシーンになった人間をつくって、どうしようというのですか。やはり、人間らしい温たか味のある社会をお互いにつくりあげたいものですよね。
2006年10月 4日
グーグル誕生
著者:デビッド・ヴァイス、出版社:イースト・プレス
31歳のグーグル創業者は2人とも、純資産40億ドルという超大金持ち。40億ドルって、日本円でいうと、どれくらいでしょうか・・・。少なくとも4000億円ですよ。なんという数字でしょう。あまりの巨額に想像もつきません。
グーグルの時価総額は500億ドル。2005年の当初利益(3ヶ月)は、3億7000万ドル(上昇率は、なんと600%)、売上高は13億円。
グーグルは2002年には4億4000万ドルの売上と1億ドルの利益をあげた。
2004年度の上半期の売上は14億ドル。利益は1億4300万ドル。
不可能に思えることには、できるだけ無視する姿勢でのぞむこと。つまり、できるはずがないと思われることに挑戦すべきなんだ。実は私も、20年来、ベストセラーに挑戦しているのです。いつも、なんとか今度こそ、と思ってはいるのですが・・・。
サーゲイ・ブリンの両親はロシア生まれのユダヤ人。数字の天才。スタンフォード大学の博士課程の課す10試験を1回の挑戦で、すべてA成績でパスした。
ラリー・ペイジもスタンフォード大学の博士課程に入った。ラリーの親もユダヤ人。
この2人は、世間が検索エンジンを見限っているときに、その価値を見つけて向上させた。1999年にグーグルは1日7000件の検索に対応していた。ところが2000年には、検索件数は1日1500万件にはねあがった。
グーグルは広告の常識を破った。そのプリントページには広告が一つもない。広告をのせると遅くなる。迅速に表示するためでもあった。
グーグルは、どうやってもうけているのか。広告がクリックされたときだけ、広告主に請求する。グーグルでは企業が広告料を高く支払えば、高い順位になるとは限らない。もう一つ、ユーザーがどれだけ頻繁にクリックするかにもよっている。その点がヤフーとは違う。企業にとって重要なのは、グーグルの検索結果ページの上位に自分たちのサイトをのせること。
クリック詐欺という言葉が出てきます。ライバル社が大量にクリックして、無用な広告料を支払わせようとするものです。
グーグルの社員食堂には専門のシェフが高級で雇われていた。昼食のメニューは秘密にされ、何が出てくるか、お楽しみだった。社員に無料のランチは、ヘルシーでおいしく、愛情のたっぷり入ったランチとして社の内外で評判になった。これは社員が大切にされていることを実感させるものだった。
インターネット社会の底知れぬ巨大さを実感させる本です。といっても、私はグーグルを利用したことはありません。まあ、これって自慢にもなりませんが・・・。
2006年10月 3日
グラーグ
著者:アン・アプルボーム、出版社:白水社
ソ連集中収容所の歴史というサブタイトルのついた分厚い本(本文2段組み、650頁)です。主としてスターリンの恐怖政治のときに大「発展」を遂げた収容所ですが、スタートはレーニンの時代です。レーニンは、1918年夏に、貴族や商人などの革命の敵を信頼できない分子として集中収容所にぶちこむよう求めた。
1929年、スターリンは、ソ連の工業化促進と人跡まれなソ連極北地帯の天然資源開発の両方に強制労働を利用することにした。
第二次大戦期と1940年代を通じて収容所は拡大しつづけ、1950年代はじめに最大規模に達した。収容所はソビエト経済で中心的役割を演じるようになった。収容所は全国の産金額の3分の1、石炭と木材の産出額の大半を占め、その他のほとんどあらゆる産品を大量に生産していた。ソ連の収容所複合体は476ヶ所が確認されているが、それらは数千の個別収容所から構成されていた。
収容所の囚人総数はざっと200万人。この大量弾圧システムを1800万人が通過した。このほか600万人が先祖伝来の地を追われ、カザフの砂漠やシベリアの森林に流刑された。
スターリンの政治的後継者は、収容所が後進性と投資構造のひずみの元凶であることをよく知っていたので、スターリンが死んで数日したら解体が始まった。ゴルバチョフもグラーグ囚人の孫であり、1987年にソ連の政治囚収容所全体の解体に着手した。
1941年から42年にかけての冬にグラーグ住民の4分の1が餓死した。同じころ、ドイツ軍に封鎖されたレニングラード市民100万人も餓死したと推定されている。
ソ連における敵は、ナチス・ドイツのユダヤ人の定義よりずっと融通自在だった。死が絶対的に確定している囚人のカテゴリーはひとつもなかった。
グラーグのおもな目的は経済的効果にあった。全体として死体量産をめざして故意に組織されたものではなかった。1939年から、経済効果がモスクワの最大の関心事となった。囚人は機械の歯車のように収容所の生産に組みこまれた。
収容所内で、囚人は移動の自由が全部奪われたわけではなかった。監獄との相違点のひとつとして、作業と就寝の以外の時間に大多数の囚人はバラック内外を勝手に歩き回ることができた。そして、作業時間以外の時間をどうすごすかも、一定の制限内で自分で決めることができた。
ただし、移動の自由は、たやすく無秩序に転化しかねなかった。パンは収容所では神聖化され、それをめぐって特別の不文律ができていた。パンを盗むのは極悪非道な許しがたい行為と見なされ、死刑だった。
収容所で政治囚とされた数十万人の大多数は異論派でもなく、秘密礼拝をした聖職者でも、党のお偉方でもなかった。彼らは大量逮捕の網にかかった庶民であり、なんらかの確乎とした政治的見解をもっていたわけでもなかった。
工場で働いて、10分の遅刻を2回くり返して5年間の収容所入り。パン10個を盗んで10年間の収容所入り。こんな人々が刑事囚だった。
収容所の維持費は、囚人労働から得られた利潤をはるかに上まわっていた。1952年に国はグラーグに23億ルーブルを補助金として支出した。これは国家予算の16%だった。つまり、経済効果を狙ったはずの収容所は、とても非経済的だった。
いかにも非人道的なソ連の収容所です。だけど、いまアメリカに囚人が200万人いて、刑務所産業が栄えているといいます。また、キューバにあるアメリカのグアンタナモ刑務所にはテロリストという口実で何年も正規の裁判を受けていない「囚人」が何百人もいるようです。
ソ連はひどい、ひどかった。しかし、民主国家アメリカも同じようなことをいま現にしているのです。私には、こちらも黙って見逃せないのです。いえ、日本だって・・・。日本でも、ついに刑務所の民営化が始まりました。囚人が大量にうまれ、多すぎて「民間活力」を導入せざるをえないというのです。いつのまにかアメリカと同じ狂っている社会に日本もなってきました。小泉改革がそれに拍車をかけているのに、多くの日本人が「信念を貫く」という見せかけに惑わされて小泉に拍手しています。困ったことです。
2006年10月 2日
MBAが会社をほろぼす
著者:H・ミンツバーグ、出版社:日経BP社
MBAは間違っているという内容の衝撃的な本ですが、なるほどと思いました。ダメな会社ほど、ビジネススクール出身者が目立つのはなぜだろう、という問いかけがあり、それはMBAが時代遅れの経営技術だからです、という答えがオビに書かれています。
MBAをフルに活用した会社に、あの有名なインチキ会社エンロンがあります。エンロンは、1990年代、毎年250人の新卒MBAを採用し、大勢のMBA卒業生をかかえていた。エンロンは、ナルシスト型のリーダーをもっていた。このナルシストたちは、恐るべきマネージャーであり、他人の意見に耳を傾けず、実際以上に大きな手柄を主張する傾向がある。エンロンは人材重視の発想をもっていながら失敗してしまったのではなく、人材重視の発想をもっていたからこそ失敗した。人材神話は、人間が組織を賢くするという前提に立っている。実際は、その正反対だ。
MBA卒業生がCEOになって、その企業はどうなったか。惨憺たる成績を見せたというしかない。19人のうち10人は会社が破産したり、更迭されたり、企業合併が失敗に終わったりしている。あと4人にも問題がある。すなわち、ハーバードMBAのもっとも優秀な卒業生とみられていた19人のうち、失敗しなかったと思われるのは、わずか5人のみ。MBAは、大勢の不適切な人材にあまりに大きな優位を与えている。マネージャーの評価は、仕事で決まるべきだ。
ビジネスの世界で成功をおさめているMBA卒業生は、ビジネススクールで植えつけられた歪んだビジネス観を克服したからこそ成功できたのだ。
MBA卒業生は、頭が良すぎるし、せっかちすぎるし、自信満々すぎる。独善的すぎるし、現実からあまりに遊離しすぎている。白馬に乗ってさっそうとやってくるヒーロー型マネージャーの多くは、ブラックホールのように企業の業績をのみ込んでしまう。
アメリカでは、この10年間に100万人ほどのMBA卒業生が経済界に送り出されている。しかし、MBAプログラムは、間違った人間を間違った方法で訓練し、間違った結果を生んでいる。MBAの失敗の最大の原因は、学生の経験を活用できていないことにある。マネジメント経験のない人にマネジメントを教えるのは、ほかの人間に会ったことのない人に倫理学を教えるようなものだ。このたとえは、門外漢の私にもよく分かります。
マネジメントは実践であり、専門技術ではない。時期尚早だと、正しい人物までも正しくなくなる。ビジネススクール卒業生は頭がいいし知識も豊富だが、物事の全体を見ることができない。複数の学問領域にまたがる問題になると対処することができない。
ケースメソッドはロースクールでは有用だけど、ビジネススクールでは違う。MBA卒業生の際だった特徴は、傲慢であること。今日では、尊大な人間こそ、ビジネスの世界で出世できる。なるほど、そうですよね。日本でいうとホリエモン、村上、そしてオリックスの宮内がすぐに連想できます。
能力なき自信は傲慢さを生む。MBA卒業生の名だたる傲慢さは、弱さのあらわれかもしれない。私も、そうかもしれないと思います。私は、この本を読んで、アメリカのMBA礼賛をきっぱり捨てました。むしろ、日本企業のOJTの方がよいという著者の意見に全面的に賛成します。
2006年10月31日
栗林忠道、硫黄島からの手紙
著者:栗林忠道、出版社:文藝春秋
1945年(昭和20年)2月16日、アメリカ軍は硫黄島に総攻撃を開始した。戦艦6隻、重巡5隻、空母10隻を主力とする大機動部隊が島を包囲し、艦砲射撃と1日のべ1600機の飛行機による爆撃。3日間のうちに爆弾120トン、ロケット弾2250発、海からの砲弾3万8500発が島に撃ちこまれた。3日後の2月19日朝、アメリカ軍の上陸用船艇が一斉に発進した。作戦は5日間で完了するとアメリカ軍はみていた。ところが、日本軍が反撃し、最初の2日間だけでアメリカ海兵隊は3600人の死傷者を出してしまった。
栗林中将は、水際撃滅戦法をとらず、後方防御、それも地下陣地による迎撃戦法へと転換し、地下15〜20メートルの深さに陣地をつくり、延長18キロの地下道で結んでいた。無謀なバンザイ突撃もとられませんでした。
それでも、4日後の2月23日朝、摺鉢山に向かったアメリカ海兵隊は頂上に達し、大きな星条旗を押し立てました。かの有名な写真は、その直後にとり直したものだということが判明しています。クリント・イーストウッドの硫黄島2部作の映画が上映されることになっていますが、私は先日、500円のDVD「硫黄島の砂」を買って見ました。ジョン・ウェインが主人公です。
摺鉢山の陥落のあとも、実は、まだまだ日本軍は激しく抵抗します。アメリカ軍は26日後の3月16日に硫黄島全島を制圧しますが、そのときなお栗林中将は生きていました。戦死したのは3月26日、享年53歳。陸軍大将に昇進したことを知らないままでした。
日本軍の損害は戦死1万9900人、戦傷1000人。対するアメリカ軍は戦死
6821人、戦傷2万1865人。死傷者合計は2万8686人。上陸した海兵隊の2人に1人が死傷したことになる。太平洋戦争でアメリカ軍の反攻開始のあと、その死傷者が日本軍を上まわったのは、この硫黄島だけ。日本軍の捕虜は、1033人。すべて負傷して動けなくなってから。
この本は、栗林中将が家族に宛てた手紙を編集したものです。家族を思いやる内容に心が打たれます。奥さんは、2003年に99歳で死亡。二女が翌2004年に死亡(69歳)、長男が2005年に死亡(80歳)ということです。長男は一級建築士をしていたとのことです。
1944年6月の手紙に9分9厘まで生還できないとの悲愴な心境が述べられています。
もし私のいる島が敵にとられたら、日本内地は毎日毎夜のように空襲されるでしょうから、私たちの責任は実に重大です。私の健康からすれば、まだ20数年は生きられ、まだいろいろ仕事ができたろうと思いますが、鬼畜米軍のため、国難に殉ずることになります。
7月の手紙には、この世ながら地獄のような生活を送っていますとあります。
食事は乾燥野菜が主のため胸が焼けて閉口。清水は絶対ない。ハエとカは眼も口もあけられないほど押し寄せてくる。
8月。ここに比べると、大陸の戦争は演習のようなもの。
妻にあてた手紙で、おまえさんには長い間ほんとに厄介になりましたが、あまりいい目をさせずにしまうことが何より残念です。女ながらも強く強く生き抜くことが肝心です、と書いています。99歳まで奥さんは生き抜いています。
島ではアリに悩まされています。ナフタリンくらいで退治できるようなものでないと訴えています。
9月。私も米国のため、こんなところで一生涯の幕を閉じるのは残念ですが、一刻でも長くここを守り、東京が少しでも長く空襲されないように祈っている次第です。
20歳の長男のことを常に気づかっています。何をするにも意志の力、つまり精神力が一番大切である。精神力を養うことは、何もたいしたことではない。日常の生活でおのれのわがままを封じることができれば、その目的は半ば達せられる。朝、眠たくても、時間がきたらガバとはね起きる。ただ、そのことだけでも、目的の一部が達せられる。
うーん、なるほど、そうなんですよね。私も、一年中、いつも朝7時に起きるようにしています(ホテルでは、朝6時)。
ところどころ硫黄島での写真もはさまれていて、かなりイメージがわきます。
栗林中将は、最後まで健康をたもったようです。みなから不思議がられているが、それはやはり責任が重いから絶えず緊張していて、そのため病気にもならないのだろうと本人が書いています。なるほど、そのとおりなのでしょうね。
最後の手紙は、アメリカ軍の総攻撃の13日前、2月3日の日付です。本土への飛行機に託したのです。戦争のむなしさ、切なさが惻々と伝わってきます。
2006年10月30日
集中力
著者:谷川浩司、出版社:角川ワンテーマ21(新書)
将棋を始めたのは5歳のとき。大山康晴、中原誠も同じで5歳のとき。羽生善治は6歳の終わりころ。うーん、なんという早さでしょう。そのころ私は、いったい何をしていたのか、思い出すこともできません。
子どもが将来、将棋に強くなるかどうかは、思いついた手をどんどんさしていけるかがポイント。考えこんで指す子は強くはなれない。何か自分はこういうねらいを持っているのだということが、指し手に現れている子が伸びる。一時間かけて一局指すより、一局を10分、20分と数多くどんどん指す方がよい。直感的にどんどん指していく。知識や技術に頼るのではなく、閃いた手を指すのが、将棋に強くなる第一条件だ。そして、棋士の本当の強さの基盤になるのが集中力だ。うむむ、なるほど、そうなんですね・・・。なんだか、良く分かりますね、この指摘。
20代の棋士には、将棋は技術がすべてだと考え、毎日6〜8時間も将棋の勉強にうちこむ人は珍しくない。しかし、30代になっても一日の大半を将棋盤に向かっているだけだという生活では、ちょっと問題がある。将棋の強さは、技術の占める面も大きいのだが、技術を100%出すには、その人の内面の奥深さが必要である。刻々と変化する局面に単純に対応し、こなしているだけでは、何も打開できない。状況をのみこみ、判断し、先を読む内面の広がりが重要である。将棋の研究以外に何かをプラスアルファできないと勝ち続けていけない。その意味で、30代に人間としての厚みを増やさないと、40代、50代と長く勝ち続けていくことは難しい。
世界は違っても、弁護士についても同じことが言えると思います。法律論だけでなく、大局観が弁護士にも求められるのです。
将棋を指しているあいだは、相手と会話を交わすことも、顔を見ることもない。視線は、せいぜい胸あたりまでで、神経は盤上に集中している。しかし、将棋を通じて、対局中の互いの考えや局面での心理は分かる。
他人の力強さに焦っていては、自分の将棋に集中できるわけがない。
トップにいる棋士の実力とは、不安と迷いのなかで、正しい手を選び、指せるという強さだ。そのためには、子どもの頃から、どのような厳しい局面でも、自分で考えるしかない。また、自力で考えるからこそ、勝つ喜びもあるという自覚を培うことが大切なのだ。
集中力は、もって生まれた才能とは違う。好きなことに夢中になれるという誰もが子どものころからもっているもの。才能はそれほど必要ではない。最初の気持ちをずっと持ち続けられること、一つのことを努力し続けることを苦にしないことが、もっとも大事な才能なのだ。集中力の基本は、好きであることの持続。
勝負に限らず、自分のペースを守り、集中力を維持するためには、感情をコントロールすることが大事だ。怒りで冷静さを失い、自分を見失ってしまうのでは損でしかない。
焦らない、あきらめない。常に自分に言い聞かせた言葉である。小さなミスに焦らないという気持ちで集中していれば、「しまった」と焦らなくてすむ。プロの将棋では、とんでもない大ポカで負けるよりも、小さなミスが積み重なって負けるケースが多い。
対局日が近づいても特別なことはしない。朝起きて、三度の食事をきちんととって寝る。睡眠だけはしっかりとって、ふだんの生活と同じレベルに対局があるのが望ましい。負けることに耐えられず、潔さを失ったら、将棋界から立ち去り、勝負から遠ざかるべきだ。
うーん、なるほど。そうなんでしょうね。だから私は、勝負事には近づきません。そんなに潔く負けを認めることなんて、できっこないと自覚しているからです。
小さな新書版ですが、内容にはズシリと重たさを感じさせるものがあります。さすが名人の言うことは違いますね。
2006年10月27日
わたしはCIA諜報員だった
著者:リンジー・モラン、出版社:集英社文庫
10代のころからスパイにあこがれていた女の子。スパイ小説の読みすぎです。ハーバード大学を優秀な成績で卒業して、あこがれのCIAについに入りました。
CIAのスパイというのは、実はCIA局員ではなく、CIAのケース・オフィサーによってアメリカのために通常は金銭と引き換えにスパイ行為を働くよう勧誘された、不運な愚か者のこと。CIAは、そんな情報提供者を見つけて、査定し、関係をつくり、仲間に引きこむ。これを勧誘サイクルと呼ぶ。
CIAに入ってすぐ過酷な訓練が始まった。一緒に入った仲間の大半は、鼻持ちならない傲慢な連中の集まりだった。日頃から、自分たちは最高であり、最優秀だと意識させられる。子どものように甘やかされ、大きな任務に貢献しているかのように錯覚させられた。
厳しいサバイバル訓練を受けさせられる。毎朝、自分の車の安全を点検・確認させられる。海外に住むようになったら必要になると言われて。しかし、これで誇大妄想に陥り、やがて正気を失ったケースは数知れない。
CIA内の不倫は珍しいことではない。尾行者をまくコツも教えられた。尾行者は変装する。しかし、靴を見る。靴の方まではめったに変わることがない。
ケース・オフィサーとして情報提供者に会ったものの、きわめて疑わしい人間だった。嘘を言っているとしか思えない。CIAを金づるにしているのだ。
9.11があってCIAが動揺したのは、ゲームの規則にしたがって動かない人間がいると分かったから。冷戦が終わり、伝統的なスパイ対スパイの戦法がもはや通じなくなった。だけど、CIAは今もなお、ゲームをやめたくない男性たちの集まりだ。
著者がCIAを辞めたいと思った理由はたくさんあったが、イラク侵攻はアメリカがとったもっとも間違った方向だという確信が大きい。9.11の事件を起こしたテロリストの組織を撲滅しようとする努力がなんの実も結んでいないという事実をあいまいにするための、まったく不要なでっちあげの陽動作戦としか思えなかった。
CIAの上司はこう言った。ブッシュ大統領は戦争をしたがっている。我々の仕事は、大統領にその理由を与えることだ。
この話を聞いて著者は仰天した。それで、辞める決心がついた。
CIAに入って、たちまち幻滅してしまったインテリ女性の体験記として面白く読みました。かの恐るべき謀略機関の総本山であるCIAも、なかの実情を知ると、たいした組織ではないようです。
リビアを知るための60章
著者:塩尻和子、出版社:明石書店
リビアはアフリカ大陸で4番目に広い国土をもつ国。日本の4.7倍。広大な国土は、93%が砂漠地帯。サハラ砂漠からリビア砂漠がある。しかし、紀元前6000年ころまでサハラ砂漠の大部分は森林や草原だった。リビアには、常に水をたたえて流れる河川は一本もない。食料供給の4分の3は輸入に頼っている。
スペインはリビアを支配したが、労力を要する植民地支配を避け、港湾だけ支配した。
イタリアのリビア支配は、オスマン帝国の支配とは比較にならないほど苛烈なものだった。30年間のイタリア支配下で、全リビア人の4分の1が死亡した。1998年になって、イタリアはリビアに対して、占領の賠償金として2億6000万ドルを支払った。
革命を起こしたとき、カダフィ大尉は27歳でしかなかった。砂漠の遊牧民の子である。
リビアの人口は900万人。97%がアラブ系とベルベル系の混血。アラビア語が唯一の公用語。しかし、英語はよく通じる。
リビア人は、ほとんど誠実で穏やかな人柄。おとなしい国民性だが、驚くほど誇り高い人々でもある。
日本で有名なカダフィ大佐は、カッザーフィーという。37年間も、この広大な国を支配している。革命の直後に、イギリスとアメリカの巨大な軍事基地を撤去させた。銀行は国有化し、新聞社・教会・政党を閉鎖した。石油のメジャー会社の言いなりをやめた。イタリア人やユダヤ人の不在地主の土地も没収した。
カザーフィーは、首相でも大統領でも、まして国王でもない。わずかに大佐であるだけ。18歳以上の国民すべてが直接国政に携われるという建前のシステムだ。直接民主主義といっても、実際には、上に向かって権力が集中するピラミッド構造であり、あらゆることの決定権がピラミッドの頂点に存在する独裁体制になっている。
風に吹かれて豆腐屋ジョニー
著者:伊藤信吾、出版社:講談社
バイヤーから、あと5円だけ下げろ、あと10円下げろと迫られる世界から解放され、メーカー主導で納得のいく豆腐をつくる。これだけいい豆をつかい、これだけ製法を工夫したから、この値段になりますと。そういう直球勝負をする。いわば、ハレの日に食う豆腐をつくっている。
普通、天然にがりをつかって、1俵の大豆から400丁の豆腐がつくれる。すまし粉(硫酸カルシウム)をつかえば、同じ1俵で500丁、グルコノデンタラクトンなら700丁もつくれる。しかし、豆腐屋ジョニーは1俵から300パックもできない。
木綿豆腐の場合、固めたあと水にさらして、包丁で四角く切る。水分を抜いたり、水にさらしたりする過程でうま味が逃げ出してしまう。うま味という点では、寄せ豆腐のほうがおいしい豆腐にできる。水をゆっくり抜いていけば、限りなく濃厚な豆腐になる。
こぢんまり作ると絶対に売れない。客の心理は量が半分になったら、値段が3分の1に下がらないと高いと感じてしまう。
北海道など北でとれる大豆は甘みが多いのに、タンパク質が少ない。九州など南にとれる大豆は甘みが少ないけど、タンパク質が多い。豆腐の場合、にがりに反応させて固めなければいけないので、タンパク質が少ないと固まりにくい。なお、この「甘み」というのは、大豆のうま味のことであって、砂糖の甘みとはまったく別物。
豆腐の旬は、やっぱり春から夏で、冬場と比べて売上が3倍も違う。ものを売るときには、むしろ語感のほうが大切だ。
豆腐の形にこだわるのは、値下げ競争やパクリから自由でいるため。変わった形というのは、自分たちの味を守る手段でもある。
2005年3月から売り出して、一大ジョニー旋風が巻き起こった。出荷数は1日1万パックを軽くこえた。最高で1日1万5000パックをマークした。06年4月には、1日4万パックを記録。うちの豆腐づくりのコンセプトは、とにかく水にさらさないこと。水にさらすと、うま味が逃げる。レンジでチンして、ポン酢で食ってくれと売りこんでいる。うちは3丁の100円の豆腐とは市場がぶつかっていない。1丁380円の豆腐だ。
る。
二子玉川にある玉川高島屋で催事をもったら、一日で40万円もの売上げがあった。今も「男前豆腐店」のコーナーがある。ショーケースを見ると、まるでケーキ屋のようだ。
阪神百貨店で「ふんどし祭り」と銘うった催事をしたところ、ものすごい人だかりができて、社長がわざわざ見に来たほど。
味と形とネーミングにとても凝った豆腐ですね。私もぜひ一度食べてみたいと思いました。福岡でも買えるのでしょうか・・・。
2006年10月26日
丸腰のボランティア
著者:ペシャワール会日本人ワーカー、出版社:石風社
この本を読んで、日本人もまだまだ捨てたもんじゃないんだなと思いました。イラクのサマワに派遣された陸上自衛隊は、こっそり逃げ帰ってきました。立つ鳥あとを濁さず、ということもしなかったため、残った基地跡をめぐって現地で醜い争奪戦が起きていると報道されています。莫大な日本の税金をつかいながら、ほとんど現地の人に感謝されることもなく(大量のお金をバラまいたわけですから、それを喜んだ人はいたでしょう。でも、だからといって、感謝されたかというと違うようです)、かえって、日本がアメリカ軍と同じ占領軍であるとして、それまでの親近感をぶちこわしたのです。まるで、日本にとって大損ではありませんか。自衛隊のイラク派遣は大金を投じて日本の国益を損なったのです。
ところが、アフガニスタンのペシャワールを拠点として活躍しているペシャワール会は見事なものです。内乱状態のなかにあって、まったく丸腰で黙々と活動し続け、襲撃されたこともないというのです。それだけでもすごいものです。ハンセン病患者の医療にあたり、また井戸水を掘る。それも、すべて現地の人々との共同作業です。現地に技術が残るようにしていくのです。ちょっとできないことです。代表の中村哲医師を一度、福岡のとある駅のホームで見かけたことがあります。思いもよらず小柄な身体は風雪に耐えて鍛えられた険しい顔つきの男性でした。私とまったく同世代ですが、たちまち畏敬の念を覚えました。
この活動の大きな特徴は、単に外国人による一時的な援助ではなく、スタッフは、ドクター中村ともう一人の日本人以外はみんなアフガニスタン人であり、みなアフガニスタンから逃れてきた人たちであり、祖国復興を真剣に考え情熱をもって取り組んでいることにある。本当に、アフガニスタン自身による自立のための援助を目標にしている。
1年間で5万4000人を診療。スタッフも70人をこえる。
中村医師のモットーは、現地のスタッフを主として、外国人は脇役で、だ。
国際化とは、異質な人々と接することによって自分が変わっていくきっかけをつかむことでもある。自分を変えようという意思がないところには真の国際化はない。
アフガニスタンの人々がなぜ子沢山なのか、その事情が次のように紹介されています。ある医師は13人の子持ち、ある門番は14人の子持ちです。
我々は夜になると何も楽しみがないのですよ。ナイトクラブもない、ディズニーランドもない。夜になると治安が悪くて外にも出られない。朝から晩まで働いて、唯一の楽しみがこれですよ。夜間の娯楽の欠如も人口爆発の重要な原因なんですよ。
うむむ、なるほど、そうだったんですか・・・。日本の少子化は、夜の楽しみがいろいろあるからなんでしょうか・・・。
バカだから続くんだ。小利口者ばかりじゃ、世の中、面白くない。バカも世の中の味つけなんだ。
ペシャワールというのは、アフガニスタンにあると思っていましたが、正確にはパキスタンにあります。人口200万人の大都市です。しかし、中村医師たちの活動範囲はアフガニスタンの方にも及んでいます。国境はあっても、一連の地域のようです。そして、掘った井戸がなんと630ヶ所。すごいものです。井戸を掘ると、その井戸の保守・点検は現地の人々でできるように機械・工具を残していくのです。2年間に800本以上の井戸を掘ったとも書いてあります。井戸の深さは27メートルもあります。
入院費用は、入院するときに150ルピー(300円)支払ったら、あとはタダです。
そして、これまで柳を10万本、桑を2000本、オリーブを2000本、あんずを 400本ほど植えたといいます。
医療・水源確保・農業援助に従事する現地専従スタッフは300人、それに現地作業員が300〜800人。日本人ワーカーは20人。これを日本で支えるのがペシャワール会で、事務局は福岡市にあります。会員数1万3000人。補助金なしの年間予算が3億円。事務局員30人。最後に次のようにまとめられています。
この事業は、現地で1日1000人の失業対策になっている。この1000人には5〜10人の家族がいるので数千人の生活を支えている。灌漑用水路が完成すると、10万人の暮らしがなりたつ。この事業がなければ、人々は軍閥やアメリカ軍の傭兵になるか難民になるしかない。治安の不安定化につながる。このような事業が日本人への信頼につながり、結果として、軍事によらない日本人の安全保障になる。まことに、そのとおりだと思います。日本の自衛隊の「国際貢献」なんて、まったくかすんでしまう偉業です。こんなところにこそ、私たちの貴重な税金をまわしたいものだと、つくづく思いました。
2006年10月25日
憲法九条を世界遺産に
著者:太田 光・中沢新一、出版社:集英社新書
大変まじめな、いい本です。「爆笑問題」の太田光が語ると、悪ふざけのお笑いがという先入観をもつ人がいるかもしれませんが、内容はしごくもっともな真面目さにみちたものです。ところが、「太田、死ね」という反応があるといいます。本当に怖い世の中になりました。
僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇跡だと思っている。この憲法はアメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思う。エジプトのピラミッドも、人類の英知を超えた建築物であるがゆえに、世界遺産に指定されている。日本国憲法、とくに九条は、まさにそういう存在だと思う。
いま、憲法九条が改正されるという流れになりつつある中で、10年先、20年先の日本人が、なんで、あの時点で憲法を変えちゃったのか、あのときの日本人は何をしていたのか、となったときに、僕たちはまさにその当事者になってしまうわけじゃないですか。それだけは避けたいなという気持ち、そうならないための自分とこの世界に対する使命感のようなものが、すごくある。
イラクで日本人が人質にとられたとき、自己責任という言葉が吹き荒れた。人質の家族の、自分の子どもの命を救ってほしいという願いですら、口に出せなくなってしまった。国ではなく、国民が率先して、人質になった人や家族をバッシングした。そんな空気に違和感を抱いている人も、下手なことを言うと、自分もバッシングを受けるんじゃないかと思って黙ってしまった。あの空気は、ある一方向にワーッと流れていく戦前の雰囲気にすごく似ているんじゃないか。素直に自分の思っていることを表現すると、世の中から抹殺されることにもなりかねない。その意味で、かなり怖い状況になっている。
日本国憲法は、たしかに奇跡的な成り立ちをしている。当時のアメリカ人のなかにまだ生きていた、人間の思想のとても良いことろと、敗戦後の日本人の後悔や反省のなかから生まれてきた良いところが、うまく合体している。
僕は、日本人だけでつくったものではないからこそ、日本国憲法は価値があると思う。あのときやって来たアメリカのGHQと、あのときの日本の合作だから価値がある。
価値があるのは、日本人が曲がりなりにも、いろんな拡大解釈をしながらも、この平和憲法を維持してきたこと。日本国憲法をみると、日本人もいいなと思えるし、アメリカもいいなと思える、こんな日本国憲法を安易に変えてしまったら、あとの時代の人間に対して、僕たちは、とても恥ずかしい存在になってしまう。
いまこの時点では絵空事かもしれないけれど、世界中がこの平和憲法を持てば、一歩すすんだ人間になる可能性もある。それなら、この憲法をもって生きていくのは、なかなかいいもんだと思う。
イラクに一人で行った福岡の青年が殺されたとき、あんな危険なところに自分探しの旅に行くなんて、あまりに軽率だというマスコミの論調があった。しかし、僕は腹が立って仕方がなかった。僕だって、若いときには無鉄砲だったし、バカだった。今だって、たいして変わらない。この国は、バカで無鉄砲な、考えの足りない若者は守らないのか、死んでもいいのか、そう思った。
うーむ、なるほど、そうですよね。無鉄砲なバカな若者を日本で一番たくさん抱えているのが自衛隊でしょう。その隊員一人ひとりはまったく使い捨ての存在だというのを公然と認めたかのような論調ではありませんか。いろいろ深く考えさせられました。ズッシリ重たい、軽い新書です。