弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2006年9月 5日
脳視、ドクター・トムの挑戦
著者:中野不二男、出版社:大和書房
読字機能における脳のつかい方は第一言語によって決定される。
ヒトの利き腕が左利きか右利きかというのは、生まれたときには既に決定している。だけど、最初からそれが表に出るわけではない。赤ちゃんのときには、左右の手を対象に動かす、いわゆる鏡運動のくり返しをする。その鏡運動が消えるころ、生まれながらの利き腕が前面に出てくる。
しかし、言語における脳のつかい方はちがう。最初に読み方を覚えた言語によって脳のつかい方は決定される。そして第二言語、すなわち二つ目に覚える言語には、第一言語によって決定された脳のつかい方が、そのまま応用される。
たとえば、日本人、日系人、中国系、中国人という4人の若者がサンフランシスコで育ったとき、家庭ではそれぞれの言語で話していても、最初に読み方を覚えた言語は英語だ。そのとき、彼らの言語に関する脳のつかい方は決まる。つまり、アメリカ生まれのアメリカ人とまったく同じパターンとなる。そして、日本語や中国語は、母国語であろうとなかろうと、英語によって構築されたパターンのもとで学んだ二つ目の言葉にしかならない。
ヒトは、目や耳といった感覚器官から入ってきた情報により、脳をつかいながら言語機能をつくりあげていく。そのとき、前頭前野では、考えて理解することにより、理性ややさしさという人間らしさが生まれてくる。したがって、運動や言語を司る機能の部分、つまり脳の前頭葉や側頭葉に位置する領域を実際に行為する実践装置だとすると、前頭前野は、それを細かにコントロールしている制御装置だということになる。こころは、その制御装置と実践装置のつながりに生まれるはず。そのつながりを生み出しているのが、熱による脳内の対流、すなわち渦だ。
ヒトがものを考えたり記憶したりしているのは、大脳の表層部分の大脳皮質である。大脳皮質はニューロンの集まり、いわばユニットの集合体で、層のような構造をしている。それぞれのユニットは、正確に6層になっている。それも中心には吹き抜けに似た中空部のある、6階建てビルディングのような層構造だ。
脳の中央部の温度、すなわち、中核体温は、脳の表面よりも常に高い。脳のニューロンの代謝によって生まれる炭酸ガスをふくんだ液体が、その熱により対流を起こし、ビルの吹き抜けを通っていくはず。脳の活動が活発になるということは、すなわちニューロンの代謝が盛んになるということ。盛んになればなるほど、ニューロンは血液によって運ばれてきたグルコースをとりこみ、水と炭酸ガスを排出する。その液体の密度、つまり炭酸ガスの濃度の違いにより、シナプスというスイッチがオンになったりオフになったりすることで生まれるのがヒトの意識ではないか。
言語や運動などのヒトの行為を司る実践装置としての機能は脳の前頭葉や側頭葉にある。その行為を細かくコントロールしている制御装置は前頭前野だ。そして両者のつながりを保っているのは、脳の中心部から外側へ向かって流れる炭酸ガスをふくんだ温かい液体である。
この液体が、ニューロンで構成される大脳皮質のビルの吹き抜けを通り抜けて、6階建てビル群の屋上のような表面へと流れ出す。そのときに、ガスの密度の高低により、表面に広がる神経回路のスイッチのオン、オフを促していく。そしてガスを含んだ温かい液体は、大脳皮質の球形の表面に沿って流れるうちに冷却され、ふたたび脳の中心部へと戻っていく。それは、ヒトが生きている限り、ものを見て何かを感じ、考え、行為にあらわしている限り、ずっと続く対流である。この脳内の渦にこそこころが生まれる。
このように説明されると、ヒトの意識と思考について具体的なイメージが湧いてきます。なんだか、脳のなかのこころの存在も分かったような気がしてきました。
2006年9月 4日
食べる人類誌
著者:フェリペ・フェルナンデス・アルメスト、出版社:早川書房
電子レンジのある家では、家庭料理は消える運命にある。食事をともにしなくなれば、家庭生活は崩壊するにちがいない。魂が胃のようなものだとすれば、食事をともにすることのほかに、どんな精神的な交わりがあるだろう。電子レンジを見くびってはいけない。この装置には社会を変える力がある。
たいていの動物は、ブドウ糖からビタミンCを合成できる。しかし、人間は、サルやモルモットと同じく、これができない。食事からビタミンCを摂取するしかない。
体内に蓄えられたビタミンCは、補給されないと、6〜12週間たったら危険なレベルに下がる。ビタミンCのもっとも重要な機能は、細胞どうしをつなぐコラーゲンの生成の維持。毛細血管の壁が破れて体中の細胞から出血する。壊血病である。
酢漬けの状態でそこそこのビタミンCを保っていたのは、ザウアークラウトのみ。そこで、ザウアークラウトは長距離航海の定番の備蓄食糧となった。
ビタミンのすべてが食事からとれるわけではない。日光にあたることでビタミンKをつくっているし、ビタミンKは腸内のバクテリアによっても合成される。
馬乳は、ビタミンCを豊富に含んでいることで、草原に住む人々はこれを飲むことで、果物や野菜を食べなくても生き延びられる。
モンゴル人の火をつかわない調理法として、切りとった肉を鞍の下に置いて馬に乗ると、肉は繰り返したたきつけられ、馬の汗も加わってやわらかくなるというのがあるそうです。ええーっ、これって美味しいんでしょうか・・・。
ライ麦、大麦、キビ、アワ、コメ、トウモロコシ、小麦の発明は人類のもっとも目ざましい功績のひとつ。反芻動物の食べ物として自然がつくったイネ科の植物を、非反芻動物である人間の主要な食物に変えた。すべての文明が、生命維持に必要な食物を、この6種に頼ってきた。
20億人がコメを主食としている。人間が消費するカロリーの20%、タンパク質の 13%をコメが担っている。コメは世界でもっとも効率の良い食物として際立った存在だ。コメは、1エーカーあたり2.28人分の食糧がとれる。小麦だと1.49人分でしかない。
小麦を食べる西洋人の出現は5000年前、コメは8000年前のこと。アングロサクソンの世界では手を加えない食べ物のほうが、ごてごてと飾りつけた食べ物よりも好まれた。ソースをかけない、ただ網で焼いただけのステーキをアメリカ人は恋しがる。そうなんです。だから私は、アメリカに行きたくないのです。やっぱり手をかけた料理をじっくり味わいたいものです。
アメリカの独立はフランスの助けに負うところが大きかったにもかかわらず、簡素な料理を愛する心はイギリスらしい特徴のひとつとして大西洋の反対側で生き残った。
オスマン帝国のトプカプ宮殿の厨房は、16世紀には、毎日6000人、祭日には1万人に食事を出せるだけの設備をそなえていた。料理長は50人の副料理長をしたがえ、菓子づくり担当の責任者には30人の助手が、味見担当の責任者には100人の部下がいた。17世紀はじめ、一日に消費されるのは、若い羊200頭、食べごろの仔羊か仔ヤギ 100頭、鶏330つがい、子牛4頭(宦官の貧血予防のため)。すごーい・・・。
ヨーロッパで生産されるトウモロコシの大半は牛の餌になる。アメリカで生産されるもののほとんどはコーンシロップの原料にされ、残りの大半は飼料用である。
料理は文明の基礎だと考える人にとって、電子レンジは最後の敵である。電子レンジがもっともふさわしいのは、社会の敵、ひとりで孤独に食べる人。食事をともにすることによる親しい交わりは、食事時間を待つことから家族を解放する装置によって簡単に崩れ去る。焚き火や鍋やひとつのテーブルをかこんだ親密な交わりは、少なくとも15万年にわたって協力して暮らす人間同士を結びつけるのに役立ってきたが、いまやそれが打ち砕かれようとしている。うーん、電子レンジって、こんな役割があるんですね。ほとんど毎晩、夜の遅い(といっても8時から9時まで)自分用の夕食のために愛用している身からすると、この分析は驚きでした。
西洋料理で代表的な生の肉料理と言えばタルタルステーキがある。肉はやわらかく縮れた鮮やかなミンチにされる。香辛料、新鮮なハーブ、春タマネギやタマネギの芽、ケーパー、アンチョビー、酢漬けのコショウの実、オリーブ、卵など、風味を増すための材料を、客のテーブル脇でウェイターが仰々しい手つきでひとつずつ混ぜあわせていく。これにウォッカを加えると、風味がぐっと良くなる。
私がタルタルステーキを初めて見かけたのは、20年以上前にフランスに行ったときのことです。訪問先のフランスの弁護士が同じテーブルで一人注文し、いかにもおいしそうにタルタルステーキを食べたのです。私も彼と同じものを食べたいと思いましたが、生の牛肉だと聞いて、旅先で腹痛でも起こしたら大変だと思い、ぐっと我慢しました。だから、この恨みというわけではありませんが、タルタルステーキを食べたいとずっと思ってきました。これまで日本でも2度ほど食べた記憶があります。見た目に鮮やかな赤身の牛肉で食欲をそそります。味もなかなかいけます。みなさんも、ぜひ食べてみてください。
2006年9月 1日
アサギマダラ、海を渡る蝶の謎
著者:佐藤英治、出版社:山と渓谷社
アサギマダラは、一見すると弱々しく見えるが、実は、とても丈夫。薄い翅には張りがあり、少々のことでは破れない。胸を少し押したくらいでも弱らない。そして、なにより長生きする。モンシロチョウの平均寿命が14日なのに、アサギマダラは1000キロ以上の渡りをして半年後につかまったものもいる。
アサギマダラの幼虫の写真がたくさん紹介されています。まるでハラペコ青虫なのですが、黄色の斑点の目立つ垢抜けしたデザインです。
アサギマダラには毒があり、アサギマダラを食べたクモは、「ぺっ、まずいや」と言って逃げていく。その毒は、食べる草から仕入れる。しかし、カマキリなど、その毒に平気なものもいて、アサギマダラも食べられることは多い。
アサギマダラは、夏に台湾から飛んできて、東北地方などの高原に姿を見せる。秋になると、南へ移動する。そして晩秋には、暖かいふるさとで過ごす。1500キロメートル以上もの大旅行をするわけである。
どうして、こんな長距離を蝶が移動するのか?
どうやって海を渡っていくのか。海上では、風に身をまかせて渡るのか、それとも方角を知っていて羽ばたくのか。海を渡る方法は最大の謎となっている。
喜界島で確認された蝶には、800キロメートル以上離れた和歌山県でマークされて、わずか4日後につかまったものがいる。夜も跳び続けたのか、途中どこかで休んだのか。
でも、どうやって蝶が1000キロ飛んだとこが分かるのでしょうか。それは、つかまえた蝶にマーキングするからです。蝶の翅(はね)に油性のフェルトペンで記号を書いて放すのです。いまでは1年間に数万頭のアサギマダラにマークをつけて放しているそうです。ちなみに、蝶は1羽2羽ではなく、1頭2頭と数えるそうです。
アサギマダラの求愛行動は、オスがメスを待ち伏せするタイプだ。オスはメスを追いかけ、メスにフェロモンをかがせて、その気にさせる。交尾は長いときには12時間にもなる。そのあいだじっとしていることもあれば、一方が他方をぶら下げて飛んでいくこともある。
ちょっとみると、アゲハチョウに似た蝶です。日本中どこにも見かける蝶です。私もマークのついたアサギマダラをつかまえてみたいと思ったことでした。
北朝鮮に潜入せよ
著者:青木 理、出版社:講談社現代新書
韓国映画「実尾島」(シルミド)は大変な迫力がありました。まさしく衝撃の映画です。1968年1月21日、北朝鮮の武装工作員31人が板門店近くの軍事境界線を密かに突破し、4日後に、ソウルの大統領官邸(青瓦台)近くにまでやってきて銃撃戦を展開するという事件が起きました。生け捕りされた1人は、今では韓国で牧師をしているそうです。 大統領の首を取りに来た。そう言われて腹をたてた朴正熈大統領は仕返しを命じた。そこで、同数の31人からなる金日成攻撃の特別部隊が創設されたのです。先ほどの映画は、この苛烈な訓練風景を生々しく描いていました。
この31人を訓練したのは空軍諜報部隊で北派工作のベテランだった金淳雄(キムスンウン)。31人は、やがて24人に減っていた。そして、北侵命令を撤回された彼らはソウルに直訴するべく蜂起するのです。
この実尾島部隊を主管していたのが、KCIAの李哲熈局長。この李局長は、KCIA次長補として金大中拉致事件においても中心的役割を果たしています。
私は、この本を読んで、韓国が武装工作員を派遣しようとしたのは実尾島部隊だけと思っていた浅はかさを思い知らされました。その前にも後にも、韓国は大量の武装工作員を北朝鮮に派遣していたのです。1950年から1999年まで6446人いたというのです。そして、これは公式発表で、その実数はもっと多いとみされているのです。
韓国国防省によると、1951年から1994年までの間に、北派工作員として1万 3835人を養成し、そのうち7987人が死亡または行方不明になったとのこと。実に6割以上です。北朝鮮から武装工作員が南下するだけではなかったのです。私は、認識を改めました。
問題は、国が全責任をもつという甘言で派遣しながら、現実には、まったく何の手当もしなかったということです。まさしく国が国民を裏切ったのです。
そうなんです。いつだって国をあてにすることはできないのです。だって、支配層の顔ぶれが変わってしまえば、そこで責任の所在は曖昧にされてしまうのです。それが現実です。なんといっても、組織を動かしているのは、人なのですから。
なぜ、伊右衛門は売れたのか
著者:峰 如之介、出版社:すばる社
私の名前(昴)だから、この本をすすめるわけでは決してありません。一つの商品をつくり出す過程が描かれているのに心魅かれたからです。前にもトヨタのプリウスをつくり出す過程を描いた本を紹介しました。
開発者が何かをやりたいと言ってきたとき、提案された企画に対して自分が100%反対の考えを構築できなかったら、やらせる。なぜなら、止めるとこでチャンスを喪失するからだ。部下のチャレンジングな企画を抑制する思考方法を身につけてしまうと、人間って弱いもんだから、いつの間にか挑戦できない思考に染まってしまう。
開発者として実現しなければならないのは、飲んだときの実感だけではなく、飲み終わったときに、また飲みたいと思う微妙な感覚だ。過去に開発したヒット商品に共通している味覚は、もう一度飲みたい気持ちになる微妙な味覚設計にある。
味覚を敏感しておくためには満腹は大敵。敏感な味を感じとれる体調を維持するためにも、朝食は摂らない。空腹の午前中に味覚を評価して、午後から味覚レシピを工夫する。
臭覚を研ぎ澄ますため、タバコはもちろんのこと、家庭生活においても、臭気を発する生活商品は一切つかわない。
研究段階でおいしい味が実現できても、マスプロラインで同じ味が大量生産できる保証はない。伊右衛門の場合、無菌充填に加えて、微粉末の茶葉を使用する初めての試みだったので、生産ラインの構築が大変だった。
2004年3月16日。店頭に並んだ伊右衛門は、あっという間に売り切れ、発売4日目で出荷停止を発表した。無菌充填、石臼挽き茶葉、粉末処理、オリジナルボトルなど、ものづくりへのこだわりが逆にアダとなって、急激な増産がままならない状況だった。
清涼飲料史上、最速で年間販売額5000万ケースを達成し、1000億円超の販売金額を実現した。
緑茶を140度という高温に30秒間さらし、ペットボトルに飲料を充填して85度の高温で30分間殺菌する。これをホットパック方式という。これは優れた殺菌効果がある反面、度重なる高熱の影響によって緑茶本来のうまみがそこなわれてしまう。
2002年当時、コンビニで売られていた緑茶飲料はホットパック方式、加熱殺菌方式で生産されていた。殺菌効果はあがるが、緑茶本来の旨みは損なわれる。そこで香料を添加したりしていた。それでも完全殺菌できないため、抗菌作用の強い、つまり渋いカテキン含有量の多い茶葉を選ぶことになる。すると渋みが強くなる。まずくなるわけだ。
緑茶本来のいれたての旨みが実感できるには、非加熱無菌充填方式をめざすことになる。
緑茶を愛飲しているのは20代から50代の男性。急須でいれた緑茶を毎日飲用している。そこで、次の3つが必要条件とされた。その一、日本的スローライフ感を具現化する。その二、急須でいれた本格的な味わいを具現化する。その三、お茶のつくり手の顔が思い浮かぶこと。
プレゼンがうまくいったときは、部屋全体がシーンと静まりかえって、質問さえ出ない。なーるほど、そうなんですね。ちなみに、田上尚志弁護士(島根県浜田市)は、プレゼンはパワーポイントよりマックのキーノートが断然優れていると喧伝しています。
茶の水色から茶葉のダメージを推しはかることができる。赤みがかっているということは、お茶を生産する工程で茶葉に傷がついてしまったことを意味する。茶葉に傷がつくと、そこから発酵がすすんでしまうので、どうしても水の色が赤くなってしまう。
熱湯を入れて2分間待つのは、おいしいお茶の飲み方ではない。研究者としては、茶葉の味や性質を十分に引き出し、審査するための飲み方。上級茶といわれる茶葉は70度くらいのお湯をいれて飲むのが一番おいしい。
最後までこだわったのは、味にほのかな甘味をつくり出す石臼挽きの超微粒子粉末の混入技術。味にまろやかさを出す隠し味につかった。粉末の状態が少しでも粗すぎるとボトルの底に粉末茶が沈殿し、商品としては見た目が非常に悪くなる。そこで、1ミクロン以下の超微粉末をつくる石臼挽き技術を徹底的に追求して、究極のまろやかな味を実現した。
炎暑としか言いようのない残暑が続いています。水分補給にペットボトルの緑茶は欠かせません。伊右衛門の味はどうして出来あがったのか、そのネーミングにはどんな苦労があったのか、ヒット商品がつくり出されるまでの過程が手にとるように分かり、大変勉強になりました。
2006年9月29日
見えない貌
著者:夏樹静子、出版社:光文社
著者の5年ぶりの推理小説です。ハードカバーの600頁近い大作を読み終えて、ふーっと一息をついたとき、最後の頁の謝辞に目が留まりました。当会の船木誠一郎弁護士の名前が一番にあげられていました。私も弁護士会の役員になる前に、刑事弁護の課題について教えてもらったことがあります。船木弁護士は一時間ほどかけて懇切丁寧にさまざまな問題点を分かりやすく解説してくれました。今も感謝しています。この場を借りて、改めてお礼を申し上げます。
推理小説ですから、あら筋などを紹介することはできません。ぜひ、あなたも手に取ってお読みくださいというしかありません。
ただ、携帯電話とメールの利用についてだけ少し紹介します。出会い系サイトという言葉は、最近あまり聞きませんが、実際には大流行しているようです。名前はもちろんのこと、性別・年齢・職業なども隠し、また偽って誰かになりすましてメル友を求め、交流します。しかし、そのうち、どうしても会いたくなってしまいます。
メール上では、人は自分と別個のネット人格を持つ。いや、別人格になりたくて、人はメル友をつくるのかもしれない。別人格から紡ぎ出されるメールは、とかくオーバーな表現になり、現実から浮遊して、声も表情も伴わない言葉だけが独り歩きしていく。
最近の統計によると、女性のほうも、平均して10回のメールのやりとりをしたら、そろそろ会ってもいいだろうという気になる。この世界では、女性は待ちのスタンス、男が仕掛けていく。
携帯メールの履歴(ログ)は取り出しに2ヶ月ほどかかるという。私も刑事事件で警察が関係する携帯電話とメールをすべて割り出して一本に時系列でまとめた解析表を見たことがあります。犯罪捜査のためですから当然のことでしょうが、携帯電話にはプライバシー保護なんて、ないのも同然なんだと、つくづく思ったことでした。
人体、失敗の進化史
著者:遠藤秀紀、出版社:光文社新書
人間の身体は失敗の連続だ、なんて言われると、かなりの違和感があります。むしろ、ありあわせの材料で、よくもこれだけ進化したものだと私なんぞは感心してしまいます。
耳の歴史というと、設計変更の最たるもの、勘違いの中の勘違い、まったくその場しのぎで進化しているとさえいえる。耳小骨は爬虫類の頭のパーツ、それも顎の一部なのだ。
初期の哺乳類は、上顎側にあった方形骨からキヌタ骨を、下顎の後端についていた関節骨からツチ骨をつくり上げてしまった。進化とは、かくも予測外のことを平気でやってのける。しかも、その結果は大成功で、できあがった耳は聴覚装置として2億年以上も支えている。
オーストラリアにすむハリモグラは哺乳類にもかかわらず、卵をうむ。そして孵化した赤ん坊は、原始的な乳腺にかぶりついて育つ。この乳腺は、汗を分泌していた汗腺を改造したもの。
ヒトの背骨は、まっすぐにはほど遠い。横から見ると、大きくS字を描くのが特徴である。このS字は、ヒトの重心の位置を決めるうえで、大切な役割を果たしている。
ヒトは、まっすぐ立ったので、咽頭が重力の方向へ落ちこみ、咽頭の周辺領域に空洞がつくられた。この空洞をつかうと、筋肉の微妙な動きをもとに空気を震わせ、微細な声をつくりあげることができる。つまり、重力が90度傾いてくれたおかげで、言語を操るときに必須のヒト特有の発声装置をつくり出すことができた。声を出すために必要な音響機器が、直立二足歩行の副産物として生み出された。
言語の中枢は左の脳に局在する。ヒトの脳は左側の方が右より大きい。右手をコントロールする左側の大脳の方が早く発達し、結果的に左が大きくなった。
ヒトの身体がいかに精巧にできているか、その部品のつくりかたがよく分かる面白い本です。
巨大投資銀行(上)
著者:黒木 亮、出版社:ダイヤモンド社
案件としては、1件あたり最低100万ドル(2億5000万円)は儲かるものを追ってほしい。細かいビジネスはモルガン・スペンサーのビジネスではない。
小説のはじめのころに出てくる上司の言葉です。なんという世界でしょうか・・・。一人あたり年間純利益で100万ドル上げていれば、何とかクビがつながる。200万ドルだと安泰。ええーっ・・・。
自分、そして秘書。2人のアナリストの給与、直接経費、間接経費など一切合切を含めると、年間コストは100万ドルかかる・・・。うーん、なんという金額でしょう、まったく想像を絶します。
朝起きると、顔を洗い朝食をとりながら、今日一日、どんなことをして、どんな展開になるか、すべて、予想する。すると、全身にアドレナリンが流れ、だんだん興奮してくる。その興奮状態で会社に行って、仕事に取りかかる。これがインベストメント・バンクで生き残る道だ。うひゃー、という叫び声を、ついあげてしまいました。私も、朝のうちに今日一日のスケジュールを予想し、頭のうちに自分のとるべき言動を予習します。それでも、ここまでは・・・。
これは、年収5000万円の世界です。とてつもない金額が一瞬のうちに世界中を駆けめぐり、そこで、丁々発止の取引をしている人々の話です。私は、とてもこんな生活をしたいとは思いません。神経がすり減ってしまうだけ。お金の本当のありがたみも、まったく分からなくなってしまうとしか思えません。そして、ちょっとでも勘の鈍った人間は、たちまちお払い箱になるのでしょう。それでも、やめたときに大金が手元に残っていればいいのでしょうが・・・。あぶく銭になって消えているのではありませんか。
いえ、それより心配なのは、精神状態がまともであるかどうか、です。余計な心配だと言われるかもしれませんが、私にはそれが一番の心配です。
スイスの金融機関が日本の富裕層をターゲットとした活動を展開しているそうです。ターゲットにする富裕層とは、資産2億円以上。しかし、実際に狙うのは10億円以上で、なかでも核になるのは50億円以上の層だといいます。信じられない金額です。日本でも超リッチ層がアメリカ並みに生まれているのですね。
いったい、どれくらいリッチ層がいるのでしょうか。最近の新聞によると、純資産額が1兆円から5億円までの富裕層は81万世帯。これは、前年比33%増。5億円以上のスーパーリッチ層は5万2千世帯で、前年比21%増。5000万円から1億円までの準リッチ層は280万世帯いるといいます。やはり、日本もアメリカ並みの格差社会になってしまったようです。「美しい国」どころか、アメリカのように怖くて醜い国になりつつあります。小泉内閣の5年間で、日本はすっかり変わってしまいました。でも、私はめげずに人々の心が通いあう社会をめざしたいと思います。
2006年9月28日
チャベス
著者:ウーゴ・チャベス、出版社:作品社
ベネズエラのチャベス大統領がキューバの革命家チェ・ゲバラの娘であるアレイダ・ゲバラのインタビューにこたえて語った内容が本になっています。
今、アメリカのブッシュ大統領がもっとも倒したい男、憎々しく思っているのが、このチャベス大統領です。チェ・ゲバラの解放の夢を継ぎ、アメリカのラテン・アメリカ支配に対して果敢に挑戦中です。
ウーゴ・チャベスは1954年生まれ。元軍人。1998年にベネズエラの貧困層の支持を受けて大統領に当選。アメリカが裏で操った2002年の軍事クーデターで危うく殺されかかったものの、国民の圧倒的な支持を得て生き延び、クーデターをつぶしてしまいました。以後、何度もの選挙を圧倒的支持で乗り切っています。
アレイダ・ゲバラは1960年生まれ。チェ・ゲバラの娘で、父親と同じ医師(小児科)です。
チャベスに反対する右翼、財界勢力は職業俳優を雇ってチャベスの声を真似させた。反対政党の指導者は(殺して)油で揚げてしまおうと呼びかけた。これはすごい効果をおさめた。それでも、チャベスは、なんとか乗りこえることができた。
それまでの議会はチャベス反対派ばかり。だからチャベスは、国民投票を実施し、制憲議会を選出することにした。議事堂には、1998年の選挙で選ばれた、チャベスが少数派の国会と、チャベスが多数の制憲議会が同居することになった。議事堂の右翼棟と左翼棟で同時に憲法が審議された。
チャベスは、「軍が街へ」というスローガンを打ち出し、軍人が市民ボランティアとともに街頭に出て働くようにした。
チャベスは軍隊を変える努力を怠らなかった。チャベスの運動にとって重要なのは、士官学校や主要な基地を討論の場としてつかうことだった。市民の心をもつ兵士と軍人意識をもつ市民をつくることをチャベスたちは狙った。
チャベスは大統領として教育制度の改革に取り組んだ。公立学校の入学時の寄付金集めを廃止したところ、子どもたちが大津波のように学校に押し寄せてきた。兵営などを校舎に改造していった。実に、予想した倍の60万人の子どもが入学した。
チャベスは人民銀行をつくり、小口融資を始めた。
チャベスは私企業を国有化するのではなく、国営企業を設立した。
チャベスと民間企業との関係はあまり良くない。私企業の多くは堕落してしまっている。というのも、政治的商売と腐敗によって、反民族主義的で無国籍化したエリートだから。資本家にとって重要なのは経済的利益であって、主権や、死者が何人出るかなどには全く無関心だ。関心があるのは、財布の中身や銀行のドル口座の残高だけ。
チャベスは識字運動に大々的に取り組んだ。これにはキューバの支援を受けている。
2003年の6ヶ月間で、識字運動によって100万人が読み書きを覚えた。ベネズエラでは現在、人口の60%が勉強している。石油公社の資金をもとに奨学金制度を設けた。目標は、40万人を対象に1人月額100ドルを支給すること。しかし、まだ目標には達していない。
数学の教科書はキューバのハバナで印刷されている。スペイン語などを教えるビデオやテレビもハバナから来ている。ベネズエラは、以前はキューバに石油を売っていなかったが、今は売っている。
この本を読むと、新興国の若く有能な指導者が熱っぽく理想を語っていることがよくよく伝わってきて胸を打たれます。しかし、訳者が解説しているように、ベネズエラの現実は決してバラ色ではありません。
貧困層の多くにとっては生活が著しく向上したとの実感は依然として乏しく、富裕層をはじめとする旧支配階層との先鋭化している対峙関係や犯罪激発などで、社会的緊張はゆるむ気配を見せていない。石油収益を私物化する腐敗や、チャベスら指導部がいくら笛を吹いても踊らない不能率な官僚主義も深刻な問題のままだ。
ベネズエラの再生を目ざすチャベスの意気込みをよく伝えてくれる、元気の出る本です。
フラガール
著者:白石まみ、出版社:メディアファクトリー
ぜひ見ることをおすすめしたい映画です。炭鉱で首切りがすすむなか、炭鉱夫とその娘たちの働く場としてハワイアンセンターが計画され、見事に成功させた実話をもとにしています。
炭鉱長屋の生活が再現されています。かつては見慣れた光景ですが、福岡県内でも今はどこにも残っていないのではないでしょうか。CGでボタ山と炭鉱長屋が再現されていますが、実に壮観です。そこには人々の泣き笑いがありました。わたしの両親も炭鉱で働く人々相手の小売酒屋を20年以上営んでいましたから、本当になつかしい光景です。
この本は、映画の台本をもとにしたものですが、映画とは少し異なる部分もあります。
東京から炭鉱娘たちにフラダンスを教える先生が招かれます。SDSのトップダンサーだった彼女は、まったく経験のない、ド素人の炭鉱娘を見て絶望してしまいます。
やっぱりさ、あんたたちには一生無理だと思うよ。
これに気の強い紀美子が反発します。一生無理だなんて決めつけねえでくんちぇ。たしかにド素人かもしんねえけど、やるしかねえ。炭鉱だって、いつダメになるか分かんねえし・・・。
それで、先生は条件をつけます。私の言うことをすべて聞くこと。言われたとおりになんでもやる。いちいち質問しない。口答えも一切なし。あと、どんなに辛くても絶対に泣かない。これが守れるんだったら教えてもいいけど・・・。
フラダンスを踊るフラガールの話です。実は、わたしも舞台の上でフラダンスを踊ったことがあるのです。ちゃんとした衣装をつけて踊りました。というのも、わたしの事務所にしばらく本職がフラダンス教師という女性(今も九州一円で活躍されている田上やよい先生です。その折は大変お世話になりました)がいたからです。そのときの写真をお見せできないのが残念です。
フラダンスは奥が深い。フラの動きは実は手話である。フラは、もともと文字を持たないハワイの人々が、子孫に文化や伝統を伝えるために踊った神聖なもの。
私は、で両手を上にあげ、円をつくり、あなたを、で波乗りの形をつくる。そして、愛しています、で両手をくるくると回し、右手をすべらせる。
それまで私は、フラダンスのことをいわばエロチックな腰ふりダンスだとばかり思って馬鹿にしていました。実は文化だったんですね。
先生は真剣になって生徒である炭鉱娘たちを教えはじめます。娘たちも必死になりはじめました。
お客様は、あなたたちの笑顔とダンスを、お金を払って見にくるの。だから、常に最高の笑顔を心がける。それがプロよ。バカみたいに笑うの。どんなに辛いときだって、舞台の上では笑ってなきゃいけないの。それがプロなんだから・・・。
炭鉱娘たちは開場前に宣伝のための巡業に出ます。でも、お客はフラダンスなんてストリップショーとしか思っていません。とうとう、紀美子たちフラガールは切れてお客とケンカしてしまいます。帰りのバスの中ではフラガールのなかで非難しあい、ケンカまで始まってしまいました。先生がブチ切れます。
なにが一山一家なのよ。できないならできないなりに、助けあうとか励ましあうとか、そういう気持ちにならないの。炭鉱娘なんてこんなもんだ、と思われて悔しくないの。もう辞めちまいなさい。見てるこっちの方が恥ずかしいわ・・・。
そこまで言われて、フラガールはしゅんとして気をとりなおします。
昭和41年1月15日、いよいよハワイアンセンターのオープンです。入場料は大人 400円、子ども200円。キャッチフレーズは、1000円もってハワイへ行こうです。なんと、初日に1万人が押し寄せたといいます。
初日のフラダンスはまさに圧巻です。蒼井優は実に見事に踊ります。フラガールたちの踊りも最高でした。汗が全身にほとばしり、見ているわたしまで手に汗をかいてしまったほどです。主演の松雪泰子がひとりで演じたタヒチアンダンスも息を呑む見事さでした。
最近ちょっと疲れてるな。そんな思いをしている人には絶対おすすめの映画です。空気が入りますよ。
2006年9月26日
アイフル元社員の激白
著者:笠虎 崇、出版社:花伝社
そもそも、浪費する人間を国家も企業も望んでいる。着実に貯金し、無駄遣いせず、物を大切にして、なかなか物を買わない、なんていう人間が増えたら、今の日本の経済システムではたちまち不景気になってしまう。ホントにそのとおりだと私も思います。浪費を前提として今の日本は成り立っています。
借金してまで物を買わせようと、国家も企業もマスコミも必死になって、国民を借金漬けにしようとしている。そのことに気づかなければ、他人事だと思っている多重債務者に、あなたもなってしまうかもしれない。これも、まったくそのとおりです。多重債務に陥るのは、決して一部の不心得だけではありません。
著者は、アイフルは狙い撃ちされたのだと主張しています。というのも、アイフルが銀行系列に入らずに独自路線をすすんでいるからだというのです。
アコム、プロミスは銀行の軍門に下ってしまった。独自路線をいくアイフルは体制側・既得権益側にとっては、邪魔な出る杭なのだ。
うむむ、そう言えるのですか。知りませんでした。そんな観点がある、なんて。
金融庁は、国民無視の銀行を保護するための出先機関でしかない。まことに、そのとおりでしょう。サラ金の金利引き下げ問題で果たした負の役割を見たら、いよいよ明らかですよね。銀行とサラ金が一緒につくったサラ金CMがテレビでバンバン流されている。プロミスと三井住友銀行のアットローン、アコムと三菱東京UFJ銀行のDCキャッシュワンなど。ともかく、テレビも新聞・雑誌も、サラ金からの広告収入に大きく依存している。問題が起きれば批判キャンペーンを行い、そこで視聴率を稼いでもうける。そして、ほとぼりがさめたら、再び大量にサラ金CMを流して、またもうける。まことに、まことに、そのとおりです。テレビのサラ金CMこそ、諸悪の根源と言えるでしょう。あれが浪費をあおり、多くの国民を借金漬けにしてしまったのです。
CM好感度白書によると、チワワで人気を集めたアイフルが、二年連続で一位になったそうです。借り入れをあおって多重債務者や自己破産者を増やしているのは、他でもない、テレビ局なのだ。そのとーり。
お金にだらしのない人間は生活がだらしない。というより、生活がだらしないから、お金にもだらしなくなる。部屋が汚い債務者ほど返済が遅れる可能性が高い。きれいに整理整頓されている家は、返済もきちんとしてくれる可能性が高い。借金とは、生活習慣の問題。
なるほど、まったく、そのとおりです。ですから、借金漬けから脱け出すのは容易ではありません。毎日の何気なく過ごしている生活を根本的に変えていく必要があるからです。
サラ金は、借りようという人に借金のつかい道を執拗に訊く。それは、つかい道がしっかりしているかどうかで、その人の計画性と回収見込みが分かるからだ。これまた、なるほどですね。サラ金まみれの人がどうしてこんなに多いのか、どうしたらよいのか、について、元サラ金の有能な社員だった人の率直な指摘です。いくつかの異論はありましたが、同感できるところの多い本でした。
2006年9月25日
赤ちゃん学を知っていますか?
著者:産経新聞取材班、出版社:新潮文庫
赤ちゃんの目の前に二つの皿がある。一つは赤ちゃんの大好物なクラッカーが山盛り。もう一つは大の苦手な生のブロッコリー。そして大人が、赤ちゃんの目の前でクラッカーの入っている皿から一つを取り出して「うわっ、まずい」と顔をしかめる。続いて、ブロッコリーを取り、「おいしーい」と顔をほころばせて大喜びで食べる。そのあと、赤ちゃんに、「ひとつ、ちょうだい」と、その大人が手を出す。さあ、赤ちゃんは、どうするか?
1歳2ヶ月の赤ちゃんは、迷わず自分の大好きなクラッカーを取って差し出す。1歳半の赤ちゃんは、自分は大嫌いなブロッコリーに手を出して大人に差し出した。1歳半になると、自分はクラッカーが大好きだけど、目の前の大人はブロッコリーが好きだと理解している。1歳半未満だと、自分と他社の区別がつけられない。だから、自分の好きなものを他人にも渡す。ところが、1歳半になると、自分と他者がそれぞれ別の欲求をもっていることが分かる。ひゃあー、そうなんですか。私もぜひ実験してみたいのですが、子どもたちには赤ちゃんがまだ生まれそうもありません(結婚もしていません)。残念です。
ベビーサインをつかった子どもには、つかわない子どもに比べて、会話能力が4ヶ月半ほど進んでいる。ベビーサインというのも、かなり意味があるようですね。
ヒトは、他の動物に比べて、おっぱいの出具合が悪い。生存という観点からみると、できるだけ連続して吸ったほうが効率がいいはずだが、これも言葉を習得するための本能的行動だという。赤ちゃんが吸うのを休むと、母親は、「よし、よし」と揺する。そして、赤ちゃんは、再び自分からおっぱいを吸いこむ。
ヒトの赤ちゃんは、あおむけの姿勢をとることで、早い時期から両手を自由に動かせるようになった。あおむけやおすわりという姿勢こそ、ヒトがヒトになるカギを握っている。
言葉の意味を解さない赤ちゃんにとって、大人の語りかけは、あなたに興味がある、私を見てくれるとうれしい、というメッセージなのだ。赤ちゃんの行動やしぐさ、音に丁寧に応じることの積み重ねで、赤ちゃんに、自分のやることは相手に反応をさせる効果があると思わせる。つまり、自分が主人公なのだ、と。その自己肯定の感覚が自信や意欲につながり、言葉を伸ばす。うむむ、なるほど、そうなんですか。
面倒くさがって、赤ちゃんに言葉を記憶させるためにテレビをつかってはダメ。親がそばにいて、きちんと相手をしてあげないと効果がない。赤ちゃんがおとなしくテレビの画面を見ていることは、決して集中力がついたわけではない。
乳幼児にテレビを見せるとき、巻き戻して見ない、一回に30分、終わったらスイッチを消す、誰かと一緒に見る、見終わったら同じ時間だけ外で遊ぶ。これが大切。
赤ちゃんにとってテレビは百害あって一利なし。テレビに子守りをさせたら、親子間のふれあいがもてない。
母乳は赤ちゃんが欲しがるあいだ、欲しがるように与えればよい。断乳すると、赤ちゃんは一番大好きなお母さんに裏切られたと思ってしまう。母親にとっても、乳房を吸われることによって、分泌されるホルモンは母親の下腹部やお尻の脂肪を母乳の脂肪に変える。長く母乳を与えると、母親は美しいプロポーションになれる。
赤ちゃんって、ヒトがヒトになる前の大切な一時期だということがよく分かる本です。身近なわが家にいないのが、残念でたまりません。
黄金色の稲穂が垂れ下がり、そばに紅い曼珠沙華が咲いています。百舌鳥の甲高い声も聞かれ、一気に秋の気配となりました。暑い、暑いと言っていたのが嘘のようです。
2006年9月22日
トンデモない生き物たち
著者:白石 拓、出版社:宝島社
カモノハシは単孔類というほ乳類の仲間。電気を感じる力がある。電気センサーはくちばしにあり、表面上はただの小さな孔に見える。しかし、その奥には電気感覚をもった神経がずらりと並んだ部分があり、高感度な電気を感じる器となっている。カモノハシは、生き物が出す生体電気を探査していて、それを手がかりに、小エビやザリガニ、水生昆虫などを食べている。
シロアリはアリとはまったくかけ離れた虫で、どちらかというとゴキブリに近い。ムヘイシロアリは敵が来ると、自分の腹部を爆発させ、体に含まれる有毒物質などをぶちまけて敵に浴びせる。まさに自爆攻撃だ。
ザゼンソウという植物がある。むかし、尾瀬あたりで見たような気がします。ザゼンソウは、自分で積極的に初熱し、恒温動物のように一定温度に調節する。周囲が氷点下に下がっても、20度の体温を維持することができる。
クモの糸は紫外線を吸収しやすい素材でつくられている。紫外線は昆虫類にはよく見える。そのため、紫外線を反射しにくいクモの巣は昆虫にはとても見えにくい。
ウズグモの糸には静電気があるので、近づいた昆虫を引き寄せる。
ウミホタルは、敵に襲われると、体内の分泌線からルシフェリンとルシフェラーゼを別々に、だけど同時に海中に吐き出す。そして、その二つが混ざると、両者の作用で青く発光する。体外発光する。
ペンギンは、水中で翼を上げるときも下げるときも前進できる。ふつうは下げるときだけなのに。ペンギンは潜水する深さを計算して息を吸うときの空気量を調節する。浅くもぐるときはちょっと吸い、深いときはたくさん吸う。これは浮力とのかねあい。深いところでは体内の空気が圧縮されて浮力が減るため。浮力と重力がつりあい自由に泳ぎやすくなる。また、ペンギンはもぐっているあいだは、脳以外の臓器への血流を止めてしまう。翼の筋肉にも血液が行かない。筋肉は無酸素で動けるだけ動くのだ。ええーっ、そうなんだ・・・。信じられないことです。
植物体内にも光をつかった高速通信システムがある。光が植物体内をかけめぐっている。この光は可視光ではなく赤外線。光ファイバーと違って、光が通路すすみながら、少しずつもれている。これは、植物体内に光が供給されていることも意味する。
わが家にも夜になるとヤモリがよく登場します。窓ガラスにペタリと貼りついて動きません。このヤモリの足の裏は、1本あたり50万本もの繊毛におおわれている。この毛の先端とガラス物質との間に分子レベルの引力がはたらき、接着力のもととなっている。ファンデルワース力という。計算上は、ヤモリ一匹で40キロの重さを支えられるという。たいていの大人は、私ももちろん、天井のヤモリ2匹をつかんだらぶら下がれることになる。本当なんでしょうか・・・。実験したら面白いでしょうね。
君を乗せる舟
著者:宇江佐真理、出版社:文藝春秋
サブタイトルに髪結い伊三次捕物余話とあります。いつものことながらたっぷり江戸情緒を味わうことができました。
函館に生まれた著者は団塊世代。今も函館に住んでおられるようです。
はいはいができるようになった幼女が脇役として登場し、話の展開にふくらみをもたせています。このあたりの情景描写も心憎いものがあります。
髪結い伊三次の裏の仕事は同心の小者。北町奉行所、定廻り同心の不破友之進の配下にある小者として探索に歩き、事件を解決していきます。若者愚連隊(旗本の二男・三男が主力)を取り締まろうと苦労し、また、若い女性の誘拐事件を鮮やかに解決します。
漢字をたくさん知ることができます。木場(きば)。贔屓(ひいき)。丁場(ちょうば。得意先)。熨斗目(のしめ)。銀杏髷(いちょうまげ)。月代(さかやき)。仕舞屋(しもたや)。束脩(そくしゅう。謝礼)。例繰方(れいくりかた)。紙魚(しみ)。胡散臭い(うさんくさい)。
江戸情緒にどっぷり浸るには、これらの小難しい漢字が読めて、意味が分かる必要があります。私の娘が漢検に挑戦中ですが、私も、いずれは受けようと思っています。やはり日本人なのですから、日本語を知る必要がありますので・・・。
1968年、世界が揺れた年(後編)
著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
1960年代後半になって、フランスは消費社会に変わった。突然、フランス人は車を持つようになり、家庭に屋内トイレが設けられるようになった。とはいえ、1968年までに屋内トイレを設けた家庭は、パリの半数にすぎなかった。
1958年、フランスは17万5000人の大学生がいたが、1968年には53万人と、イギリスの倍になっていた。ところが、フランスの学生は4分の3が落第して退学したため、学位取得者はイギリスの大学の半数でしかなかった。だからこそ、ドゴールは最初のうち学生運動を歯牙にもかけていなかった。ドゴールは、運動に関わる学生は単に目前の試験を恐れているのだと考えていた。大学には学生たちが溢れ、パリ大学だけで16万人の学生を抱えていた。学生がデモを始めれば、その大義に共感したデモ参加者が数えきれないほどに膨れあがることになった。
フランス共産党は、初めから学生たちのすることすべてに反対していた。そんな偽りの革命家どもは正体を暴かれてしかるべきだ、ジョルジュ・マルシェ書記長はこう言った。労働組合も同調しなかった。労働者もドゴール政権に怒りをつのらせていた。だけど労働者は革命を望んでいなかったし、ドゴール政権を転覆させることには関心があったが、それ以外の学生たちの問題については、どうでもよかった。労働者が望んでいたのは、労働環境の改善であり、給料値上げであり、有給休暇を増やすことだった。労働者と学生は、別々の運動だった。労働者が望んだのは、賃金や工場の抜本的改革。学生が望んだのは、生活の抜本的な改革だった。
学生運動の高名な指導者であるコーン・ベンディッドはユダヤ系だった。左翼運動には多くのユダヤ系が参加していた。
68年6月23日、ドゴール支持者は43%の票を勝ちとり、国民議会での絶対多数を獲得した。左派は国民議会の半数を失い、ニューレフトの学生は議席を得ることができなかった。
1968年秋、ビートルズは最初の自主制作レコードをリリースした。片面がレボリューション、もう片面がヘイ・ジュードだった。
アメリカで黒人暴動が起こるたびに、法と秩序を指示する白人有権者が増え、黒人とその権利にうんざりする人が増えた。人種差別撤廃運動に対する白人側の巻き返しは、一般にホワイト・バックラッシュと呼ばれた。ニクソンは、このバックラッシュ票をかき集めた。
1968年の1年間のうちに1万4589人のアメリカ兵がベトナムで戦死し、アメリカ人戦死者の総数はそれまでの2倍となった。1968年は、もっとも犠牲の多い年だった。ひどい一年の締めくくりがリチャード・ニクソン大統領の誕生だった。
この年、ビアフラで100万人が飢えに苦しみ、ポーランドとチェコスロバキアで理想主義が叩きつぶされ、メキシコで大虐殺が起こり、世界じゅうの反体制派が殴られたり無惨な目にあわされた。そして誰よりも世界に希望を与えた二人のアメリカ人が暗殺された。
クリスマスの日、3人の宇宙飛行士が月面から100キロの軌道を周回し、上空から月面が灰色の荒涼としたでこぼこであることを明らかにした。
1968年。私は大学2年生でした。6月から学園紛争が始まりました。いえ、他人事(ひとごと)のような紛争という言葉をつかいたくはありません。それに一兵卒としてかかわったものとしては、やはり学園闘争と呼びたいのです。大学がもっと学生の叫びと要求を真剣に受けとめてくれるものになってほしいと心から願っていました。ただ矛盾するようですが、もう一方では、勉強したくないという気持ちも強くありました。大学受験のような、押しきせの講義に対して反発していたのです。もちろん、好奇心の方は人一倍ありました。まったく矛盾する存在であり、行動でした。まさに20歳前後の分別のない年頃だったのです。この年に体験したことは貴重な青春のひとこまとして、今でも私の原点となっています。
2006年9月21日
1968、世界が揺れた年(前編)
著者:マーク・カーランスキー、出版社:ソニー・マガジンズ
60年代後半の学生は、60年代前半の学生にはない体験をした。そのひとつが徴兵である。徴兵によって学生たちは、何千人というアメリカ兵が殺し殺されている戦争にいやでも駆り出される。
もっと重要なのは、残酷で無意味な暴力に溢れた戦争そのものの様子が毎晩テレビに流れ、どんなに非難しても、こうした学生たちには戦いを止める力はなかったということだ。18歳で徴兵されるのに、21歳未満では選挙権すら与えられていないのだ。
アメリカの選抜・徴兵局は、ひと月に4万人の若者を徴兵する計画だったが、その数は4万8千人となった。ジョンソン政権は研究課程の学生に対する徴兵免除を廃止し、7月に始まる会計年度のあいだに15万人の大学院生を徴兵すると発表した。この政策は、大学院への進学を考えていた若者たちに大きな衝撃を与えた。ローズ奨学金を受けてオックスフォード大学の大学院へ進学することになっていた、ジョージタウン大学政治学部4年のビル・クリントンもそのひとりである。大きな衝撃を受けたのは大学院にとっても同じこと。一年生として入ってくる20万人の新入生を奪われてしまうと訴えた。
マーティン・ルーサー・キングは、アトランタの有名な聖職者の裕福な家庭に育った。FBIはキングの行動を執拗に追跡した。写真をとったり、周辺に情報提供者を送りこんだり、会話を録音して監視した。
フーバー長官はキングと共産主義者とのつながりを暴くという名目をたてていたが、実際はまったくつながりがなかった。FBIが握った動かぬ証拠は、キングが日頃から何人もの女性と性的関係をもっていることを裏づけるものだった。キングは、セックスはストレス解消法だと言っていた。公民権活動家の多くもセックスにふけっていたから、キングを批判できなかった。キングが女性を追いまわしていたのではない。行く先々で女性に追いまわされていたのである。
FBIはキングの情事に関する写真などを目ぼしいジャーナリストに提供した。しかし、それを報道しようとする者はいなかった。60年代には、この手の話題はジャーナリストの品位と倫理に関わるものとみなされていたからだ。
キングが40歳にならないうちに白人脱獄囚に暗殺されたというニュースが広がると、たちまち暴動がアメリカ全土ではじまった。暴力事件は120都市の黒人居住地区で起きた。殺された黒人はワシントンDCだけでも12人にのぼった。
この年、私は大学2年生でした。本当に世界が揺れた年です。日本は大変好景気が続いていましたが、学生は街頭デモをくり返していました。私も、銀座の大通りを何度もフランスデモで行進しました。深夜のことですが、壮観でした。なんだか世界を支配したかのような気分で,とても爽快でした。同じときにアメリカの青年は徴兵制のもとでベトナムの戦場へ狩りたてられていたのです。同世代の日本人青年がアメリカに行っているときに徴兵されてベトナムに送られ、日本に帰ってきたときに亡命を表明するということもありました。
2006年9月20日
がん遺伝子は何処から来たか?
著者:J・マイケル・ビショップ、出版社:日経BP社
原題は「ノーベル賞獲得法」だったそうです。ノーベル賞を受賞した著者が、それに至る経緯も紹介しています。
男の成功の陰には女性の呆れ顔がある。なんとなく分かる言葉ですね。
自分が本当に必要とされている場所を選ぶできであり、進むべき道を見栄などで決めてはいけない。まことにもっともな指摘です。私も今の弁護士という職業、そして今の活動場所(ホントに田舎です)に決めて良かったと本当に思っています。
三つの教訓を得た。第一に、その分野の専門家よりも、外から見ることのできる立場の人間の方が鋭い観察をすることがある。経験不足だからといって。ひるむ必要はない。第二に、自分の想像力に信頼を置くべきだ。たとえ通説と矛盾する内容であっても、というより矛盾するときこそ、自信を持たなければならない。第三に、常識に挑戦する知的態度が不可欠だ。平均以上の成果を上げようと思うのなら、危険を覚悟しなければならない。
この指摘にも、すごく同感します。
人に知識を伝えたいという欲望は、体の中から自然にわき出てくるものだ。身構えてするものではない。理屈も不要だ。これは文化の中で生きる人間として一種の義務であり、使命でもある。私のなかにも、私が理解しえたことを世の中の人に分かりやすく伝えたいという欲望があります。それはふつふつと湧いてくるもので、止めようがありません。私が、弁護士になって1年に1冊以上は本を出版してきたのは、その結果です。義務感とか使命感というより、ともかくおのれの心が命ずるままに本を書いて出版してきたということです。残念なことに、あまり売れませんので、最後はタダで配っています。
異質な者を受け容れる集団には、寛容な姿勢とともに優れた才能がおのずと備わっている。日本の社会そして日本の大企業に、この寛容さが失われている気がしてなりません。異なった思想・信条の人も広く包摂する集団こそが明日への飛躍を保証するのだということが忘れられているように思います。
多くの微生物は、人間が安心して快適な生活を送り、人生を楽しんだり、ときには快楽を味わったりするために不可欠な存在、少なくとも重要な役割を果たしている存在なのである。ヒト1人につき100匹もの微生物が生息している。たとえば、私たちの体に進入してくる一過性の微生物のうち、有害な菌が容易に定着してしまうことがないのは、正常細菌叢が退治してくれるからだ。排便後、トイレットペーパーをいくらつかっても、肛門の周囲の皮膚表面には何百万という腸内細菌が付着する。だが、数時間のうちに、この部位にふだんから住みついている細菌が侵入者を一掃してしまう。
ヒトの体は300兆個の細胞の集合体である。だが、細胞は単なる構成単位ではない。内部に精緻な仕掛けをもち、生きて呼吸する。機能を果たすために体内を移動することもある。その機能はまちまちで、それぞれ任務が決まっている。化学物質レベル、あるいは分子レベルの言葉で互いに会話もする。増殖能力をもち、人の場合、生まれて死ぬまでに述べ1京回(1兆の1万倍)分裂する。各細胞は、自分がいつ、どこでどのように仕事をすればいいか把握している。この秩序が乱れると、がんが発生する。がん細胞は、他の細胞とのあいだで取り結ぶ社会契約を無視し、無秩序な増殖を続け、版図を広げる。
ヒトの体内では、一生のあいだに少なくない数の細胞ががん化につながるような異常をきたすと考えられている。そして、たいていは手に負えなくなる前に、初期の段階で正常な状態に回復するよう処理される。しかし、まれにそのままがん化のプロセスがすすみ、一個のがん細胞が分裂を続けて塊を形成する。こうした歯止めのきかない増殖によって致命的な結果がもたらされる。
がん細胞はがん細胞を生む。がん細胞の機能は細胞から細胞へと受け継がれていく。
がん細胞とは何か。私たちは何を考え、どうすべきか。さすがにノーベル賞を受賞した人は違いますね。いろいろ示唆に富むことの多い本でした。
サバイバル登山家
著者:服部文祥、出版社:みすず書房
すごい山登りです。厳しい自然のなかで自分の全存在をかけて登っていきます。私にはとても真似できませんし、また真似するつもりもありません。冬に寒いのはいやですし、夏に蚊に刺されるのも耐えられません。ご飯はわが家でゆっくり食べたいし、トイレも水洗を愛用しています。雪の洞窟のなかに閉じこめられ、他人のいるところで用便するなんて、たまりません。それにしても恐るべき山登りの記録です。
夜テントで寝ているところを、キツネに食料をごっそり盗まれてしまった。あと10日ある山行の14日分の行動食をキツネが袋ごと持ち去った。残った食料はモチ1キロと乾燥米12袋、紅茶と砂糖、ヤッケのポケットに入れていたアメ6個とカロリーメイト1箱のみ。海岸で打ち上げられた昆布と海辺に生息する小さなウニを見つけて無心で食べる。スキーをザックにくくりつけた人間の出現にエゾシカが驚き、崖から転落して死んだ。
生きようとする自分を経験すること。これが著者の登山のオリジナル。山には逃れようのない厳しさがある。そこには死の匂いが漂っている。だからこそ、そこには絶対的な感情のある気がする。
生命体としてなまなましく生きたい。自分がこの世界に存在していることを感じたい。そのために山登りを続けている。そして、ある方法にたどりついた。食料も装備もなるだけ持たずに道のない山を歩いてみる。最大11日間の山行にもっていく食料は、米5合、黒砂糖300グラム、お茶、塩、コショーだけ。電池で動くものは何も持たない。時計、ヘッドランプ、ラジオも、コンロと燃料もなし、マットもテントもない。タープを張って雨を避け、岩魚を釣って、山菜を食べ、草を敷いてその上に眠り、山に登る。
えーっ、そんなことができるかしらん。
山梨県南部の見延から、富士川支流をのぼっていく。南アルプス方面だ。ヤマカガシ(毒ヘビ)を見つけ、頭をふんづけて殺す。皮をはぐと、腹から溶けかけたカエルが出てきた。その未消化カエルとヤマカガシとヒラタケを塩味のスープとする。もう一匹のカエルは皮をはいで内臓を出して丸焼きにする。でも、食べるところは、ほとんどない。
岩魚の内臓はスープ用にとっておき、卵は塩漬けにする。岩魚は、さばいたら塩・コショーして近くの枝にぶら下げておく。これで余計な水分が抜けて燻製づくりがうまくいく。岩魚は、ワタ(内臓)もアラも捨てない。捨てるのは胃袋の中身とニガリ玉とエラだけ。それが岩魚への礼儀だ。岩魚は型が良ければ、刺身が旨い。
カエルは皮をむいて、毒腺から出た毒をよく洗い、内臓はごめんなさいと森に投げ、身だけを燻製にする。おみやげに喜ばれるカエルの姿干しだ。このカエルはおやつ専用。
山のなかでの「なんとなく」という感覚は大事にする。言葉に還元できない総合判断、身体全体で考えているということ。研いだ米は、急がないなら誤ってけ飛ばさないところに置いておく。焚き火の近く、じんわり暖まるくらいに置く。
はじめ調味料は砂糖と塩とコショーだけだったが、最近はミソとゴマ油そしてしょう油も持っていく。塩・コショーだけではあまりにも味気なくて、まいってしまった。たとえ数日間でも、同じもの同じ味を食べ続けるのは、大いなる精神的苦痛だ。
一週間ほどの山行なら、全装備・食料が35リットルのザックに余裕をもって収まる。しかし、自給自足は手段であり、あくまでも登山が目的。
長い冬山のあとは、炒め物や生野菜が妙に旨い。サバイバル登山とは、自分の体が隠し持っている能力に出会う機会でもある。
山でもっとも厄介なのは風。風は、静かに降る雪や雨の何倍もの力で人の生命力を奪い去る。風の影響のないところに幕営地を変更した方がいい。予備の装備を持っていくより、道具をつくり出すための道具、使いやすいナイフや小さなペンチを持っていく。新聞紙が防寒具、タオル、ぞうきん、風呂敷のかわりをする。お尻は川か水たまりか雪で洗うから、トイレットペーパーも不要。シュラフは化繊から羽毛にかえる。軽く、小さくなる。
沢をゆく旅では、行動用の服と泊まり場用の服を分けたほうがいい。泊まり場用の服とは、毛の下着、ステテコとラクダのシャツのこと。ないと困るのは、完全防水を可能にするビニール袋。乾いた衣服と寝袋そして雨をさえぎってくれる空間があれば、そう簡単に人は死なない。
朝は6時までに出発する。出発したら9時を過ぎるまでザックは下ろさないし、何も食べない。これは自己規律。9時を過ぎたら1時間ごとに休みはじめ、ちょくちょく何かを食べる。12時を過ぎるころには、へたばってきて、その日の宿営地を探しながら歩く。13時から14時には泊まり場を決める。お米は2合強を一度に炊く。翌朝の分までつくっておく。
すごい、すごーい。すご過ぎます。とてもとても私には出来ない山登りです。本を読むだけで十分でした。でも、知ってみたい山行きの世界です。
台風一過、秋晴れの日となりました。曼珠沙華が咲いて、秋の気配が濃くなりました。
台風で、庭の葉がかなり吹き飛んでしまいました。エンゼルストランペットは全滅です。芙蓉の花はまだ生き残りました。酔芙蓉の花がまだ咲いていませんが、なんとか花を咲かせてくれるものと期待しています。庭を片づけて、かなりスッキリしました。チューリップの球根を植える準備をすすめなければいけません。
2006年9月15日
中国を取るアメリカ、見捨てられる日本
著者:矢部 武、出版社:光文社ペーパーバックス
アメリカ人にとって、日本はもはや魅力や興奮を与えてくれる存在ではなくなり、その座を中国に取って代わられてしまった。アメリカのメディアにおける日本関連報道は激減し、アメリカ人の日本への関心は低下している。アメリカのメディアは、東京支局を閉鎖したり、縮小している。日本軽視、中国重視の傾向が強まっている。
2003年、中国のGDPは1兆4000億ドルで世界第7位。2005年には2兆2000億ドルを超え、フランス・イギリスを抜いて世界4位となった。2017年には中国は日本に追いついて世界第2位となるとみられている。
靖国神社にこだわる小泉首相によって日中首脳会議も開けない。隣国と対話できない日本は、アメリカにとっても役に立たない。日米同盟が機能するのは、日本が東アジアのなかで役割を果たしてこそだ。
中国人の贅沢品・娯楽の年間消費高は20億ドル、世界全体の12%。これは、アメリカ、日本に次いで、世界第3位。カリフォルニア大学バークレー校では、2004年まで受講者数1位だった日本語は、中国語にとってかわられた。ハーバード大学でも同じ。日本語クラスを減らして、中国語を増やしている。受講者は中国語580人、日本語は半分以下の269人。
戦犯を祀っている靖国神社へ小泉首相が参拝すれば、中国・韓国だけでなく、欧米をふくむ世界の国々からの理解は得られない。それは日本の国益にとって大きなマイナスとなる。
小泉首相が何と言おうが、日本が中国を侵略したという過去を変えることはできない。小泉首相の靖国参拝は、「日本は悪くなかった。日本も被害者だった」と考える人々を勢いづかせ、それが一般日本人の対中観の悪化にも影響を与えている。その責任は重大である。そんな人々が小泉政権の強い支持基盤になっているのだろう。
日本国憲法9条を改正しようという動きは、アメリカが冷戦の終結後、憲法9条を改正して、「普通の国」になっているよう圧力をかけてきたことによる。普通なら内政干渉として大問題になるところだ。しかし,日本がアメリカに抗議したことは一度もない。こんなことで、はたして日本は独立した民主主義国家と言えるのだろうか?
いやあ、本当にそのとおりですね。情けないと私も、つくづく思ってしまいました。
日曜日(10日),庭に出て剪定しました。ナツメの木や梅の木などが伸びすぎているのをカットし、ヒマワリはまだ咲いていましたが強制終了させてしまいました。芙蓉のピンクの花、アンデスの乙女の黄色い粒々の花、そしてエンゼルストランペットの淡い黄色の花が今、咲いています。下の田んぼの稲穂も次第に頭を下げてきました。秋の気配を日々感じるこのごろです。
誠実さを貫く経営
著者:? 巌、出版社:日本経済新聞社
最近の欠陥商品は、例のマンションの強度計算のごまかしと共通していると思います。ソニー、パロマそしてトヨタです。トヨタは経団連の前会長。最近、日本社会に格差が拡大することはいいことだ。活力ある社会になるから。そんなことを言ったそうです。とんでもない人物です。そして、現会長の会社(キャノン)は偽装請負で摘発されてしまいました。金もうけのためには何でもする。安全性なんか二の次。そして、ライトがあたっているところでは建て前を述べ、教育論をぶち上げる。なんだかいやになってきます。
ルールの抜け穴や隙を、法の網をくぐり抜けることで利益をあげるという経営手法は、知らず知らずのうちに、利益をあげるためにはルール破りもよしとの発想にすすんでいく。理屈は簡単。トップがどこかでルール破りを期待していると部下が感じはじめると、部下は忠実にルール破りをやり始める。東横ホテルがそうでした。このホテルを紹介した本を読んで私も好感を抱き、いつか泊まってみようと思っていた矢先でした。障害者しめ出しのポリシーにまったく幻滅してしまいました。私は絶対にそんなホテルは利用しないつもりです。だって、弱者をいじめて金もうけするなんて最低でしょ。
会社が大きくなれば、そのように考える部下が次々に増えていき、ついにはみなの感覚が麻痺し、ルール破りができなくて仕事がつとまるかという論理にまで行き着く。
企業に求められている社会的責任のエッセンスをあげると、誠実さ(インテグリティ)に尽きる。インテグリティの本来の意味は、言うことと行うことが一貫し、そこにぶれがないということ。尊敬(リスペクト)と対話(コミュニケーション)も重要な価値である。
2002年にスーパー西友は肉の産地偽装があったことを自ら公表し、返金すると発表した。ところが、それを悪用した人間が多くいた。西友のレシートをもってレジの前に並んだのだ。それでも、西友は、列の中に1人でも一般のお客様がいたら、最後まで返金を続けるよう指示した。うーん、たいしたものですね・・・。
NHKのプロジェクトXがなぜ評価されたのか。それは、プロジェクトXが、無心に手を抜かず誠実に事に臨めば、情熱をもってまじめに事にあたれば、いつかは必ず成就するということを主題としていたからである。
日本ハムは2002年8月、補助金の不正受給が発覚した。事件のあと就任した藤井社長は、「日本で一番誠実な会社を」という名刺サイズのスローガンを胸につけて働くことにした。これは並大抵のスローガンではありません。実際、日本ハムはこのあと何度もマスコミから叩かれました。それでもスローガンをおろさなかったのです。うーむ、やはり信念をもつのは大切なことですよね。
アメリカ弱者革命
著者:堤 末果、出版社:海鳴社
2005年10月時点で、イラクでのアメリカ兵の死者は2200人。万一、生きて帰っても誰も面倒はみない。予算カットで軍病院の予約もとれない。
アメリカの自己破産申立の理由は2つ。医療費と離婚。まっとうに働いている中流階級の一家が、ある日、家族の一人が病気にかかっただけで、高すぎる医療請求書につぶされて破産し、社会的に抹殺されてしまう。
大統領選挙のときにつかわれた電子式投票機械は、たとえばオハイオ州の黒人居住区では、投票待ち時間が平均5〜6時間。通常なら、184人に1台あるはずの機械が、貧困地区では1000人に1台しかないから。
落ちこぼれゼロ法が軍のリクルーターに役立っている。この法律は、全米の高校からドロップアウトする生徒を救いあげ、ゼロにするため、周囲の大人が状況を正確に把握しておかなければいけない、としている。その大人のなかに軍も含まれる。だから、軍のリクルーターは、生徒の名前、住所、国籍、両親の職業、成績、市民権の有無、そして携帯番号を知ることができる。拒否した高校は、政府からの助成金が打ち切られる。
軍に入ったら大学へ行く費用を全額、軍が持つという甘言でつられる。本当はそうではない。そして、州兵になっても、イラクへ送られる。イラクに駐留しているアメリカ兵の10人に1人は州兵と予備兵。一度、入隊してしまえば、上官からの命令にノーとは言えないのだ。軍隊なのだから・・・。
アメリカ市民ではアメリカ軍の現役兵士が4万人近くいる。入隊すればアメリカ市民権を与えるというエサでつっているのだ。2004年にアメリカ軍がリクルート用につかった費用は3億3,100万ドル(330億円)。リクルーター若者には夢を見せてやるのだ、とうそぶいています。夢だけに終わるのだけど・・・。
アブグレイブ刑務所でイラク人の捕虜の虐待が起きたとき、拷問したのは、職を奪われた工場労働者たちだった。大学費用がほしくて入隊した一人だった。
イラクに駐屯したアメリカ兵の延べ人数は100万人。国防総省は、これから精神的治療が必要になる兵士は10万人をこすと予想している。極限状態におかれて精神が不安定になった彼らは、帰ってきても、普通に人と接することが難しくなる。家族とのコミュニケーションがとれない。夫婦仲がうまくいかない、自殺や殺人に走る。不安症や不眠症から仕事が続けられなくなる。
2004年時点でアメリカには350万人のホームレスがいる。そのうち50万人がイラク帰還兵だという。すさまじい現実です。侵略する国においても内部崩壊がはじまっているのですね・・・。
2006年9月14日
霞ヶ関、半生記
著者:古川貞二郎、出版社:佐賀新聞社
5人の総理に内閣官房副長官として仕えた佐賀県出身の官僚が自己の半生を語った本です。なかなか読みごたえのある内容が語られていました。著者は平成11年夏に初期肺がんの手術をされたとのことです。今後のご健勝を祈念します。
内閣官房副長官は、自治省(総務省)や厚生省(厚労省)など旧内務省系の出身者から選ばれることが多い。副長官は各省庁を引っぱっていく仕事なので、バランスが必要。旧内務省系は公平な立場から国家全体を考える役所だと考えられている。
私の知人に自治省のキャリア官僚がいます。あるとき、雑談のなかで、旧内務省キャリアの名簿があるということを知らされ、ひっくり返るほど驚いてしまいました。内務省って、戦前あった役所だとばかり思っていましたが、この本にも出てくるように、今も生きている役所なんですね。げに、官僚の世界とは根深いものがあります。戦後60年以上たっているのに、内務省官僚だった人なんて、ほとんど現存していないのに(失礼、まだ生きている人がおられるとは思いますが)、役所の方は今も脈々と生きづいているのです。
午前8時前に自宅を出て、午後7時まで分刻みのスケジュール。帰宅するのは、夜9時か10時。それから11時か12時まで番記者と懇談する。一日に少なくとも20人と会って話をする。弁護士の私も一日に20人ほど会って話をすることは珍しくはありません。でも、私が会う人は、みなさん肩書きもお金もない人ばかりです。いわば身の上相談みたいなもので、元気にしてますか、くよくよしないで下さいね、と励ますだけのことがほとんどです。まあ、それでも、ここに来るとほっとします、なんて言ってくれる人がいますので続けています。
官房副長官は東京を離れられない。休日を除くと、8年間で東京を離れたのは、あわせて2週間だけ。ただし、千葉に菜園をもっていて、そこには通っていた。
身体が頑健。そして、気分転換が上手でないとつとまらない仕事だ。
閣議の様子が写真で公開されています。初めて見ましたが、円卓です。テレビで映されるのは、閣議前の閣僚応接室の様子。閣議室には、総理と全閣僚と、政務(2人)と事務の副長官そして内閣法制局長官の4人のみが陪席し、事務職員は入らない。
しかし、閣議の前に次官会議がある。明治19年(1886年)から続いている必要なシステムだ。たしかに、そうなんでしょうね。
首相官邸を新築する責任者として、近くに建った高層ビルから狙撃されないような手配もした。私も2度だけ首相官邸に入ったことがあります。司法制度改革審議会の顧問会議に陪席するためです。せっかくですから、トイレも使わせていただきました。さすがに豪華です。
著者の父親は農業。成績は優秀でしたが、音楽と習字は苦手。一万人に一人という音痴だったそうです。音痴なのは私も同じです。九大に一度すべって佐賀大学の文理学部に入り、翌年、九大に入ることができました。そして、大手の損保会社に入れず、長崎県庁に合格。県職員として勤めながら厚生省を目ざしたのです。長崎県庁では、法令審議会で条例づくりを担当しました。これが後で役に立ちました。
厚生省の上級職の学科試験には合格したものの、面接で不合格。このとき、著者は人事課長に直談判したというのですから、すごいものです。ちょっと真似できませんね。このように、著者はすべって、ころんで、しかし、しぶとく立ち上がっていきました。その苦労が報われたのです。誠実な人柄は、その苦労からも来ているようです。
厚生省に入って、昭和35年(1960年)の安保改定反対デモにも飛び入り参加したそうです。これもすごいことですが、これを今堂々と語っているところも偉いですね。もっとも、今は安保条約肯定論者だということです。
2年間だけ、警察庁に出向しています。このとき、報告書には、哲学を書くように指摘されたとのこと。なるほど、ですね。自分の頭で考えたことを書いてほしい、ということでしょう。
そのあと環境庁に出向します。このころ仕事に没頭して家庭をかえりみなかったことから、長男から、「また来てね」と手をふられたそうです。ふむふむ、仕事人間だんたのですね。
著者は公害健康被害補償法の立案と実施にも深く関与しています。私も、この公健法には密接に関わってきました。四日市ぜん息裁判の判決が下ったのは、私が司法試験の受験中だったでしょうか。この判決について、当時、現職裁判官だった江田五月氏をチューターとして招いて司法修習生の自主的勉強会で議論したこともありました。弁護士になって2年目から、日弁連公害委員会のメンバーとして、この公健法の改正を目ざして各種の提言づくりに関わってきました。
著者は田中角栄首相の下で内閣参事官となりました。国会が始まると、質問を各省に割りふり、その答弁を首相宅に午前3時に届け、午前7時には家を出る。午前8時に登庁して官房長官に説明する。3時間しか眠れないので参事官だと冗談を言っていた。すごいですね。官僚を目ざしたこともある私なんか、官僚にならなくて良かったと思いました。
厚生省に戻って、官房長となった。霞ヶ関では、自分の10の力を12と錯覚するくらいの自信がないとやっていけない。一方で、同程度の他人の力量は8くらいに見がちだ。そこで、人事に不満が生じる。それをふまえて公正を心がけるしかない。
OB人事も官房長の仕事。うまくやらないと不満が出て、ひいては組織の士気にも影響してくる。組織を生かし、人を生かし、その家族を生かす。この理想はなかなか難しい。 平成5年、東大卒でない初めての厚生次官となった。
内閣官房副長官の在任8年7ヶ月は、歴代最長。司法制度改革にも関わった。
この本を読んで最後に疑問に思ったのは、これほど人柄が良くてバランス感覚抜群の人が、なぜ福祉切り捨ての福祉行政をすすめてきたのか、ということです。今や、老人は病気をかかえていても病院に長くいることができません。リハビリだって、途中で問答無用と打ち切られます。そんな冷たい福祉行政となってしまいました。すべては軍事優先(サマワへの自衛隊派遣には惜しみなく大金をそそぎこんでいます)の結果です。そのような冷たい政治の中枢に、どうしてこんな心の温かい人が中枢に座っていたのでしょうか。不思議でなりません。
2006年9月13日
織田信長、石山本願寺合戦全史
著者:武田鏡村、出版社:ベスト新書
織田信長と石山本願寺とのあいだの足かけ11年に及ぶ合戦の行方を詳しく追った本です。なかなか面白い内容でした。さすがの信長も宗教を敵にしたら、簡単にはいかなかったのですね。
石山本願寺が信長に抗して挙兵したのは1570年(元亀元年)9月12日。石山本願寺は、信長軍に包囲されながらも、4万人が生活できる空間域を確保していた。
信長は本願寺の退去をしつこく強要した。それには二つの戦略的な展望があった。まず第一に、本願寺を屈服させ、大坂から退去させることで、各地の大名と結ぶ門徒勢力の力を配下におけば、尾張、美濃、近江、京都そして摂津、河内、和泉、大和が結ばれて、織田軍の軍事と交易の回廊は瀬戸内海を通じて四国・中国・九州へと伸ばすことができる。
信長は本願寺勢力を長袖者と侮りました。これは、法衣などの長袖をまとう坊主や、それに従う農民などの力は、いかほどのものか、という侮り(あなどり)の思いがあらわれていました。しかし、その認識がまったく甘かったことを信長はやがて思い知らされるのです。逆に信長は、四面楚歌に陥ってしまいます。
1574年(天正2年)正月元旦、岐阜城の信長は朝倉義景・浅井久政・浅井長政の三人の首を薄濃(はくだみ。漆塗りして金粉で色づけしたもの)した三つの髑髏(どくろ)として、その前で織田家の前途を祝った。これは、真言立川流の秘儀によるもので、死者に非礼をしたものではない。7年間、安置して祀(まつ)れば、8年目にどくろに魂がよみがえってきて、神通力を与えるという風習を尊重したのです。つまり、信長は彼らのどくろを祀って、その霊力を受けて活力としたいという思いがあったわけです。
本願寺合戦で、信長も足に鉄砲の弾を受けて軽傷を負ったそうです。初めて知りました。
本願寺は、4年に及ぶ長期の籠城生活を余儀なくされます。それだけの本願寺の財力と、門徒衆の力、そして本願寺を支援することで信長の勢力を削ごうとする毛利などのバックアップがあって初めてできたことです。
信長は本願寺の完全封鎖を指示すると、近江の安土山に築いていた安土城工事の監督に帰ったりしています。安土城をつくる過程で本願寺合戦が同時併行していたのです。
毛利水軍は、焙烙火矢(ほうろくひや)という、投げつけると爆発炎上する火矢を信長方の水軍のもつ安宅船に投じた。この焙烙火矢の威力は絶大で、信長方の軍船は次々に炎上し、沈没していった。ところが、信長はこれを教訓として、2年後に焙烙火矢や弾丸をはね返す鉄板の装甲を施し火砲三門を備えた巨艦の軍船を浮かべて、本願寺の生命線を絶ってしまった。
本願寺の門主の顕如は信長と講和し、退去して明け渡すという方針をとった。しかし、その子の教如は徹底抗戦派だった。この親子の確執については、信長の目を欺く演技だったという話もあるが、著者はそうではなかろうとしています。
いずれにしても、信長が本当に約束を守るのか、大変な決断だったと思われます。
本願寺の講和は、天皇の要請を受諾した勅命講和として、天皇の権威を絶対視している。これは権威や権力と一線を画してきた親鸞以来の本願寺の立場を大きく改変した。第二に、信仰の主体を門徒から宗主に切り替えた。本願寺宗主の貴人化は、このときから増幅され、加速していった。
専制体制を開くか、中世的自由な特権を守るか、これが信長と本願寺の戦いの根底にあった。教如派の不満は、新たな本願寺の創立に向けられ、本願寺が東西に分立する大きな原因となった。
石山本願寺合戦で本願寺が信長に屈服したことは、中世的自由民の生活の終焉であり、宗教教団が政治に支配・統制される序章となった。本願寺は、自ら内部対立を惹起したことで、やがて東西本願寺に分立する原因をつくり、それによって武家の宗教統制と身分制度の受け皿となった。
このように石山本願寺合戦は日本の中世と近世を画する大きなエポックとなる戦いだった。なるほど、なるほど、よく分かりました。
2006年9月12日
ジェーン・フォンダ、わが半生(下)
著者:ジェーン・フォンダ、出版社:ソニー・マガジン
ジェーン・フォンダはベトナム戦争の真最中にベトナムに行きました。そして、北爆を受けたベトナムで少女からこんなことを言われたのです。
私たちのために泣くことはありません。私たちはなぜ自分たちが戦っているのかを知っていますから。あなたの国、あなたの国の兵隊さんたちのために泣いてあげてください。その人たちは、なぜ戦うのかも知らないで私たちと戦わされているのですから。
そして、別の男性役者はこう言いました。
私たちのような小国は、アメリカ人を憎んではやっていけません。いつか戦争が終われば、私たちは友人にならなければなりません。
ジェーン・フォンダは、少女の言葉でハッと気がつきました。この戦いは、彼らの問題ではなく、私たちの問題ではないのか、と。戦うのは簡単なのだ。だけど、平和を守るのは、戦うより難しいこと。
ベトナム戦争では5万8000人のアメリカ人(そのほとんどは私と同世代の前途有為な青年でした)と100万人のベトナム人の生命が犠牲になった。いま、アメリカはベトナムに10億ドル以上の投資をしている。アメリカとベトナムの貿易総額は60億ドルに達し、アメリカはベトナムにとって最大の輸出市場になっている。2003年秋ベトナムの国防大臣はペンタゴンの歓迎式典で最大の敬意を払って迎えられた。ベトナムは観光でもビジネスでも、もっとも安全な国のひとつと見なされている。変われば変わるものですね・・・。私も、ぜひ一度はベトナムに行ってみたいと考えています。
ジェーン・フォンダはベトナム反戦運動に身を入れ、とかくの批判を浴びましたが、女優としては、実は、それまで以上に花開いたのでした。そして、ジェーン・フォンダはホームビデオの世界に乗り出し、大成功をおさめたのです。実は、わが家にもビデオがありました。ジェーン・フォンダのエクササイズです。本を5冊、ビデオテープを23本もつくったというのですから、たいしたものです。1本のビデオを5日間で撮影しました。ただし、その準備には6ヶ月から1年かけたそうですが・・・。
ジェーン・フォンダは自分が浮気をしていたことを次のように告白します。
私の摂食障害は完璧という不可能を求めていたことの裏返しで、食べ物を体に「入れる」ことで自分の中の空虚を埋めようとしていた。過食して吐くという行為は止めても、私自身は変わっていなかった。自分の体と本気で向きあい、自分の心を包んでしまった偽りのコントロールという頑丈な容器を打ち壊さなければならなかった。
私は食べ物の代わりにセックスに逃げ場を求めた。浮気をしたのだ。それはすばらしかったが、同時に心の傷になって残るような経験だった。いつか、この背信の報いを受けるだろうという不安に絶えずつきまとわれながら、そのくせ心地よい解放感も感じていた。ただ楽しむために誰かと一緒にいる。妻でいなくてもいい相手と一緒にいることは、私のなかのずっと死んでいた部分を生き返らせてくれた。なんという大胆な告白でしょうか。
ジェーン・フォンダは45もの映画に出演した。本当に満足のいく演技のできた作品は、そのうち8〜9作しかない。今日は、おまえが分不相応なギャラをふんだくる詐欺師だったことがバレる日だという悪魔の声に絶えず脅えていたそうです。うむむ・・・。
グレゴリー・ペッグが一日中くり返し練習している様子も見たといいます。役者としてのアイデンティティは、すべて周囲で用意してくれ、その日のシーンで何を考え、何を感じ、そして言う言葉まで渡される台本が教えてくれる。役者の責任は演じる人物の感覚や言葉に命を吹きこむことの一点に絞られる。これこそが難しい。だからこそ役者は、これに対して報酬が支払われる。
役者は他者を感じ理解するために、他者の気持ちになることを要求され、この他者の目を通して物事を見ることが俳優に同情という感情を与える。芸術家が独裁者を嫌悪し、愛国者を装った独裁者にガマンできないのは、このためではないか。
芸術家は人の心がもつ多様性を愛するが、独裁者はそれを忌み嫌う。
私の言う親密さとは、セックスのことだけではない。セックスも親密さのひとつではある。だが、親密さのすべてではない。ときとしてセックスは快楽を目的とした単なる性器の刺激である。私の言う親密さとは、二人の人間が心を通わせあうことであり、互いに明らかな欠点があろうとも、心を大きく開いて向きあうことである。
心を開けば人は傷つきやすくなる。だからこそ信頼が大切になる。また、自分を愛することも大切である。自分を愛せなければ、誰かと心を開きあって真に親密な関係になることなどできない。
私は、相手が求めるとおりの女になっていた。セクシーな若い女であり、物議をかもす生活家、そして大実業家に寄り添う貞淑な妻だった。間違ってはいけない。女が男を選ぶ。男が女を選ぶんじゃない。私も、本当にそう思います。
ジェーン・フォンダが豊胸手術をしていたというのでビックリしました。そんな必要はなかったでしょうに・・・。ところが、そのインプラントをとる手術を受けたのです。そのときの女医さんは、こう言いました。
女性は、ある年齢になって、本当の自我が育ち、自分をもう外見で判断しなくてもよくなると、インプラントを取りたいと思うことが珍しくない。
ここまで確固たる自己分析をされると、さすがです。心から拍手を送りたくなります。
男性遍歴の数々がことこまかに描かれていて、そこらの小説を超えてしまいます。事実は小説より奇なり、なんていう言葉は今となっては古めかしすぎますね・・・。人生とは何かを考えたい人に一読をおすすめします。
2006年9月11日
動物感覚
著者:テンプル・グランディン、出版社:NHK出版
大いに目を開かされる本でした。自閉症をもつ動物科学者が動物の行動と感覚を分かりやすく解説した本です。なるほど、なるほど、そうだったのかー・・・と、思わず何度もうなずきながら読みすすめていきました。440頁の大部な本ですが、おもしろさと未知の発見でドキドキしてしまう本です。
著者は自閉症のおかげで、動物に関して、ほとんどの専門家とちがった見方ができる。動物は私たちの思っている以上に賢い。長年、動物とともに暮らしていながら、私たちが動物の特殊な才能に気づかない理由は簡単だ。その才能が見えないということ。
自閉症の人は絵で考える。頭の中では、まったくといっていいほど、言葉はめぐっていない。次から次へとイメージが流れているだけ。
動物は明るい場所から暗い場所に移動するのが大嫌いだ。とても大事なことは、動物は目に見える世界にきわめて敏感なこと。
ふつうの人の知覚系統は、見慣れているものを見るようにつくられている。
動物であれ人間であれ、目で見て考えるタイプは、こまかいことにこだわる。動物は細部にこだわる。自閉症の人も、ものの全体よりも細部に大きく注意を向けている。動物と自閉症の人は似ているところがいくつもある。
牛がなにか目新しいものに自分から近づいていくのは、好奇心があるから。動物はみな好奇心が強い。遺伝子に組みこまれている。好奇心が強くなかったら、必要なものを見つけたり、不要なものを避けたりするのに苦労する。好奇心は用心の裏返しだ。
自閉症の人は、ほとんど常に音に対する鋭い感受性で苦しんでいる。大量の音から受ける影響を説明しようと思ったら、太陽を直視することにたとえるしかない。ふつうの人には聞こえない音を聞いている。たとえば、となりの部屋であめ玉の包みをはがす音が聞こえる。
人間は意識して気づいている以上に、たくさん知覚している。不注意による見落としとしては、頭脳処理の高度なレベルで起きる。脳は、なにかを意識に送りこむ前に、数多くの処理をおこなっている。ふつうの人の脳は知覚情報が入ってくると、その正体を突きとめ、それからようやく人に情報を伝えるかどうかを、その重要性によって決定する。つまり、知覚情報を人が意識する前に脳がすっかり処理しているのだ。
ふつうの脳は、人が望んでも望まなくても、関心のない細部を自動的にふるい落とす。自閉症の人は違う。ふるい落とすことができない。身のまわりの何千億という詳細な知覚情報が意識のなかに入りこんできて、圧倒される。めくるめくような大量のこまかい情報だ。自閉症の人は、ほかの誰も見たり、聞いたり、感じたりできないものを、見たり聞いたり感じたりしているのだ。
動物と人間の情動の大きな違いは、動物には人間のような心の葛藤がないこと。動物は相反する感情をもたない。動物同士や人間と愛憎関係にはならない。動物は忠実だ。人を好きになったら、とことん好きだ。外見や収入など気にしない。子どもの情動も、犬の情動のように率直で、忠実だ。
自閉症の人の感情も、ほぼ単純だ。自閉症の人の気持ちは、動物の気持ちと同じように率直で赤裸々だ。自分の気持ちを隠さないし、気持ちにゆれがない。
動物は人間がもっているような複雑な情動を恐らくもっていない。
脳の探索回路が活発になるのは、ついに食べ物を見つけたとき、あるいは食べているときではなく、食べ物を探しているあいだだ。探索それ自体に快楽を覚えるのだ。動物と人間は食べ物探しを楽しむようにつくられている。だから狩猟家は、殺した動物を食べるわけでもないのに狩猟を楽しむ。猟をすること自体が好きなのだ。
遊びには新皮質がまったく必要でない。人間の子どもは誰でも成長して前頭葉が成熟するにつれて、だんだん大はしゃぎをしなくなる。前頭葉が支配的になるほど、「まじめ」になり、遊ばなくなる。
ラブラドールは、ニューアゥンドランドの作業犬だった。氷のような水中にとびこんで漁網から魚をとってこなければならなかった。ラブラドールは水中で、魚をつかまえようとして、がむしゃらに水をかく。ラブラドールは奇妙な犬だ。恐怖心があまりなく、攻撃性が低く、社会性が高い。しかし、これは正常な組み合わせではない。
犬をしつけるもっといい方法は、胸やおなかをくすぐったり、なでたりして、犬にとって楽しいゲームをしながら寝ころがせ、そのときに餌を与えること。こうすれば、犬は何もいやなことをされずに服従の姿勢をとる。動物に新しいスキルを教えるために罰を与えるのはよくない。ほとんどすべての場合、肯定的な方法をつかえば、動物に芸当を覚えさせたり、スキルを伸ばしたりする訓練ができる。
犬が人間と暮らすようになったのは、人間が犬を必要とし犬も人間を必要としたから。人間と犬の関係だけでなく、自閉症の人を動物と比較することによって、人間とは何か、どういう存在なのか、もうひとつ認識が深まった気がしました。
2006年9月 8日
日本のがん医療を問う
著者:NHK特別取材班、出版社:新潮社
がんの死亡率は欧米では下がりはじめている。アメリカでは1993年をピークに減少に転じた。イギリス、フランス、ドイツでも死亡率は頭打ちになっている。ところが、日本では依然として増え続けている。年間30万人、日本人の3人に1人が、がんで亡くなっている。
世界の治療現場で標準的につかわれている抗がん剤が、日本ではつかえない。アメリカの臨床医の教科書に標準的な治療薬として掲載されている抗がん剤111種のうち、3割にあたる35種が日本では承認されていない。
放射線治療施設と治療器の数がアメリカに次いで世界第2位でありながら、日本は、品質保証体制がまったく整っていない国となっている。専門医も診療放射線技師も少ない。
日本には、がん難民がうまれている。ほとんどの病院には、抗がん剤治療を専門とする腫瘍内科医がいない。抗がん剤は、誰がつかっても同じような結果の出る抗生物質のような薬とは違う。たとえば、乳がんの薬は、ホルモン剤や分子標的治療薬も含めておよそ20種。少ないとは言え、ほかのがんの倍近くある。その特性を知って、効果的にがんをやっつけなければいけない。それが腫瘍内科医の仕事なのだ。
日大病院では2003年度に手術を受けた乳がん患者のうち、温存手術は第一外科で 61%なのに、第二外科では27%、第三外科では46%だった。受診した曜日によって乳房を残せるかどうか左右されていた。治療方針は医局によって、それほど異なっていた。
全国のがん患者を128万人と推計し、そのうち半分の64万人が抗がん剤治療を必要とし、一人の医師が1年間で抗がん剤をつかって治療する患者を20〜50人とすると、抗がん剤を専門とする専門医が2万人は必要となる。
そして専門医をめぐって、2つの学会が争った。専門医は、明らかに不足しているのですが・・・。
集団検診がどれほど有効なのか、人間ドッグで本当にがんの治療ができるのか、いろいろ考えさせられました。
最後の狩人
著者:ニコラ・ヴァニエ、出版社:小峰書店
お盆休みに、福岡の小さな映画館で、この映画をみました。カナダのロッキー山脈の雄大な大自然がよく描かれています。
実在の罠猟師がそのまま主人公で出てくる映画です。彼が、木がどんどん伐採されて森に木がなくなりつつある、動物たちも減少していると嘆いているのをみて、森林とそこに棲む動物たちがいなくなったら、人間の将来もないなと思わざるをえませんでした。
テレビにもラジオにも縁のない、森の中での生活です。エスキモーの妻が留守を守り、犬たちと一緒に狩りに出ます。犬ぞりに乗って・・・。
スノーモービルだと故障したら、もうどうしようもない。しかし、犬は故障しない。
シベリアン・ハスキーが森の中で生き生きと活躍し、素敵です。暑くて自然に乏しい町のなかで生活するような犬ではないのですよね。
凍った湖を犬ぞりで走行中に割れた氷のなかにおぼれるという実体験が、映画のなかで再現されています。スノーモービルなら氷中に落っこちたら、とても助からなかったことでしょう。でも、犬たちに呼びかけていたら、引き返してくれたのです。そこは日頃の付きあいのたまものでした。
主人公はいつも犬に話しかけ、ほめる。犬との付きあいの基本はほめること。そうやって心を通じていないと、いざというときに、いうことをきかない。
冬は氷点下40度の世界だから、氷中に落ちたとき、たとえはいあがれたとしてもマッチやライターが濡れていると、火はなかなかつかない。かじかんだ手もいうことをきかず、火をおこせない。凍死の危機が迫る。映画では犬の身体で手指のしびれをなくしてマッチをこすることができました。彼らは、こんな事態にそなえて、ワックスで防水したマッチを常にオーバーやシャツの襟に何本か縫いこんでいるというのです。
極北の地では体力と知力を総動員しないと生きていけない。これをフルライフという。一度フルライフを経験したら、快適な都市生活は安易に過ぎて退屈なのかもしれない。
オオカミは犬を襲う。しかし、近くに人間がいると襲わない。オオカミは物語と違って人間を襲わない。初めて知りました。
犬ぞりでシベリアを3ヶ月かけて8000キロ走破したという冒険家が監督した、大自然の素晴らしさを描いた映画です。
異端の大義(下)
著者:楡 周平、出版社:毎日新聞社
船が沈み始めてからではもう遅い。
ぐさっと胸につきささる言葉です。47歳でサラリーマンが転職しようとしても、どこにも引き取り手がないというのです。なんとむごい言葉でしょうか・・・。
窮地に陥ってから慌てて次の船を探すような人間に手をさしのべる企業はない。気配を察して、次の船を探す。それくらいのしたたかさと決断力がなければ、どこの企業も雇いたがるはずはない。最大の問題は決断力の遅さにある。
うむむ・・・、こう言われてしまったら、返す言葉はありません。
どんな会社でも、余人をもって代え難いなんて仕事はない。誰かが抜けたら、その後任が仕事を引く継ぐ。それが組織だ。これは私も、そう思います。
早期退職制度、年功序列の撤廃、能力給の導入、これらが会社にとって本当にプラスになったのか。早期退職制度は、事実上の指名解雇だ。同時に有能な社員の多くが会社を去っていく。不必要な人間の何倍もの能力をもち、多大な貢献をしてきた社員が真っ先に辞めていく。真っ先に手を上げるのは、人事考課が優れているうえに将来を嘱望される人間だ。有能な社員は再就職に苦労しないから。まして割り増しの退職金をもらえるなら、なおさらのこと。
同族企業の経営には問題がある。その経営は代々、創業者に連なる人間によって行われてきた。彼らがこれと目をつけた人間は、早くなら社内でグループを形成し、それに属さない人間たちよりも早い出世、重要なポストが与えられてきた。労働組合もそう。組合執行部の重要な役職につくメンバーは事前に会社からの内諾を得なければならず、賃金交渉や人事制度の改変も、すべて会社側の意向が100%反映される仕組みができあがっている。
成果主義といっても言葉のうえだけのことで、実際はそのグループに属する人間たちのサジ加減ひとつで決められている。だから、社員の士気が低下するのも当然だ。
会社の厳しい状況がよく伝わってくる本です。同時に、日本企業が倒産に直面していると、外資ファンドがそれをターゲットとして、金もうけに乗り出してくるカラクリも描かれています。
私の住んでいる街でもリゾート・ホテルが外資に買収されてしまいました。そして、それがまた売られようとしています。彼らは、投資額がどれだけの利まわりで回収できるか、しか頭にないのです。それでは企業に働く人々はいったいどうなるのでしょうか。
今日の日本企業の置かれている状況がよく分かる本でした。すごく調べてあるのに、つくづく感心します。モノカキは、こうでなくっちゃ、いけませんね。これは自戒の言葉です。
2006年9月 7日
大学生が変わる
著者:新村洋史、出版社:新日本出版社
青年期は、それこそ疾風怒濤の時代である。
久しぶりに、この言葉を目にしました。私の青春時代にはよくお目にかかったものです。たしかに、いろんな意味で大いに揺れた年頃でした。
今の学生たちも、まともな自己形成の道をたどっているし、また、たどることができる。しかし、次のような学生が増えてきたのも事実。本を全然読まない、文章を読解できない。つらい課題に我慢や忍耐力をもって挑戦してみることをしない。嫌なことは絶対にやろうとしない。
概して授業態度は真面目であり、いわゆる良い子や消極安定型の学生がふえた。精神的に安定はしているが、新機軸をうち出して何かに挑戦してみようという気概が乏しい。表情に乏しい学生、他の学生と関わりをもとうとしない学生の多いのが気になる。
企業の側から、今の学生について、やる気や学ぼうという意欲が不足している、文章の読み書き能力の不足、何が問題かを見つけて解決する力が弱い、思考力・判断力・表現力が低いという指摘がなされている。なるほど、そうかもしれませんね・・・。
自分としっかり向きあい、自分をみつめ、自我を拡大していこうという意識や意欲を失っている傾向が強い。自我理想を旺盛に心に描いたり、アイデンティティーを獲得・確立しようと勉強に励んだりすることが青年期の発達特性であるとされてきたが、この力が衰退しているのではないか。
自己発見、自己形成、自信獲得は学生の求める根源的な課題。ところが、自己概念が否定的で、自己肯定感をもてない学生が多くなっている。
学生のやりたいことは、私生活にかかわる狭い個人的な世界の事柄、たとえば、おいしいものが食べたい、映画をみたい、スポーツをしたいなど、に限定されてしまう。自分が置かれている現代社会への関心や公共的・共同的な関心が最初からほとんどないという生活感覚が認められる。
主体的・自律的な学びをしめだし、特定の知識・技能やルールに生徒を適応させていくような大学の学校化、専門学校化は既に極限にまで達している。資格獲得型の大学で、教養や自己形成の教育を創造していくのは、至難の業だ。
今の大学生は、誰とでも友だちになれるというわけにはいかない。仲間集団は2人から5〜6人。自分のホンネを出して言いあうことは避け、内心の真実を吐露しあうこともあまりない。自分や相手の価値観やプライバシーにかかわる話は避ける。話題は、いきおい、たわいもないことに限られてくる。友人関係、人間関係は貧困で空虚なものになっている。
これはこれで、けっこう神経をすり減らす。そんな一日を終えて帰宅すると、どっと疲れが出る。明日の授業の予習どころではない。満たされないむなしさ、空虚感をそこはかとなく感じながら、ただぼんやりとテレビを見ながら夜をすごす。仲間集団という親密圏でのこまやかな気遣いは、その反面の公共的・共同的問題に対する無関心や無力感と対をなしている。
何かの目標に向かって情熱を秘め、孤独に耐えて一人で本を読み考えるという営みができない。このような、仲間集団のなかの自我・人格が交錯しない空虚な人間関係それ自体が、人間としての孤立を意味しているのに、学生は孤立することを恐れている。
およそ2〜3割の学生しか、自分自身の未来が明るいと感じていない。そうですよね。自分の将来がバラ色、明るいと思える学生なんて今どきいるんでしょうか・・・。
関心というのは、結局のところ、主体的に世界を読みとり、世界に主体的にはたらきかけていく生き方や価値意識と同義である。
学生には、不安感や恐怖感が常にある。実は、私も大学生のころ、そうでした。いったい自分は何になったらいいのだろうか、そんな不安と恐怖心をずっともっていました。これはホントのことです。消去法で司法試験をめざすことを決めたとき、一応それは解消しました。でも、受験中は別の不安がつきまといました。この試験にずっと受からなかったら、いったい自分はどの道を選んだらいいのだろうか・・・、と。
自分がかけがえのない人間だという自己尊重の意識の発達、自我の成長発達を踏みにじるのは大人社会と教育の最大の間違いである。日本の子どもと青年は、学校に行くことや学ぶことを自分の権利とは考えていない。大人社会や親への義務として、仕方なく学校へ行くという観念は今も根強い。
実は、この本を読んでぜひ紹介したいと思ったのは、今までふれていない著者の大学教育の実践記録なのです。無力感にとらわれていた女子大生がこんなに大学の授業が面白くていいのかな、他人事と考えたり傍観者ではいけないという実感をもてた、自分だってもっと胸を張っていいと自信がもてた、・・・そんな学生に変身していく様子が描かれ、感動的でした。その部分だけでも読むことをおすすめしたいと思ったのです。
日曜日に久しぶり庭の手入れをしました。ナツメの木に実がなっていましたが、大半は地面に落ちてしまっていました。もったいないことをしました。昨年は、ナツメ酒をつけこみました。少しこってりとした味になっています。ナツメって漢方薬によく登場してきますよね。いま、芙蓉の花が咲いています。そのうち酔芙蓉の花も咲いてくれると期待しています。朝のうち白い花が昼からはピンク色に染まって、いかにも酔った感じの感じのいい素敵な花です。
2006年9月 6日
砂漠の女王
著者:ジャネット・ウォラック、出版社:ソニー・マガジンズ
イラク建国の母といわれるイギリス女性がいたということを初めて知りました。ガートルード・ベルという女性です。
ガートルード・ベルは2歳のとき、母を亡くしました。
怒りや裏切られて棄てられたという思いは、親を亡くした子どものなかにうねる感情だ。けれど、ガートルードには彼女を包む父の愛があった。彼女は幸運だった。なにより父は彼女の手本となった。ガートルードは、誰よりも父の行動をならい、つねに父に認められることを望んだ。そして、父から大いなる自信と、障害を克服する態度を受けついだ。
父が再婚したとき、ガートルードは本に逃避することができた。本は彼女の魔法の絨毯だった。当時、どれほど優秀であっても、ガートルードと同じ階級の少女たちが学校へ送られることはめったになかった。そのかわり、彼女たちは家庭教師をつけられ、17歳になると宮廷で拝謁を得て社交界にデビューするのがしきたりだった。そして、デビュー後3年以内で、生涯の伴侶を見つけることが求められた。
ガートルードは、オックスフォード大学に入った。18歳の彼女は、自分はどんな男性とも同じ能力があると信じていた。もし、それに疑いをはさむ人間がいても、彼女には、自分の信念を支持してくれる父がいた。
話題がなんであれ、だってお父様がそうおっしゃるんですものと熱心に言いはり、議論に決着をつけさせようとした。
誰ひとり彼女に結婚を申し込まず、彼女のほうも結婚したいと思う相手はいなかった。いえ、若い男性と過ごすのを彼女は楽しまなかったわけではない。けれど、彼女の容赦ない言葉は男性のエゴを切りきざんだ。また、知的な刺激に飢えているガートルードが、男性のお粗末な知識で満たされることはなかった。
1900年。31歳になったガートルードはエルサレムに赴いた。フランス語、イタリア語、ドイツ語、ペルシア語そしてトルコ語を自由にあやつり、苦もなく言語を切りかえた。アラビア語だけは苦手だった。それで、アラビア語の教師を雇い、朝4時間、夜も2時間ほど毎日勉強した。
イギリスで婦人参政権運動が起きたとき、ガートルードはそれに反対する運動を熱心にすすめた。東方では大胆な行動をしたガートルードも、故国イギリスでは伝統の境界の範囲内で行動した。彼女の伝統とは、上流社会の、特権をもち保護された人間のものであり、貧しく、教育もない労働者階級がそれに挑むことは許されなかった。
ガートルードは鉄工労働者の妻たちを助ける活動にも長く関わった。その活動から、女性には市町村の役場で働く権利はあるが、国政レベルに関わる力はないという認識をますます強めていた。ガートルードは、自分を男性と同等と見なしていたが、大半の女性は同等ではないと信じていた。
ガートルードは、砂漠を6回も長期にわたって旅した。そのため、シリアやメソポタミアの部族にも明るかった。北部そして中央アラビアのアラビア人の気質や政情に通じているという点で並ぶもののない専門家だった。
そのころ、アラビアのロレンスもいた。ガートルードは英国でも名の知れた家のひとつにあげられる一族の長女で、ロレンスは中流階級出身。出自はまったく異なる社会層だが、二人はよく似ていた。つまり、変わり者で、主流からはずれ、ひとりでいることを好み、人の多い応接間より閑散とした砂漠にいるほうに安らぎを感じた。この二人からみると、イギリス人よりベトウィンのほうが受容力があった。
1917年3月。イギリス軍が進軍してきたとき、バグダッドの街には20万人しか住んでいなかった。その多くはスンニ派イスラム教徒と、ユダヤ人だった。
ガートルードはイギリスの東方書記官となった。諜報活動を得意とした。教育を受け都市に住むスンニ派、地方の多数派であるシーア派、バグダッドの大きなユダヤ人社会、モスルのキリスト教徒。これらの動向をガートルードは見守った。
ガートルードはメソポタミアの自治を主張した。しかし、これはイギリス本国政府の政策に反していた。
イギリスのメソポタミアにおける商業的利益は長く深いものだった。メソポタミアの市場の半分はイギリスからの輸入品、石炭、鉄、織物などが占め、輸出品、ナツメヤシ・イチジク・オリーブ油・穀物の35%がイギリス向けだった。それに加えて、イギリス海軍そして空軍のため石油資源を確保する必要があった。
イラクには、1万7000人のイギリス軍と4万4000人のインド軍が駐留していた。
イギリスが委任統治という仕組みを導入しようとしているバグダッドで、ガートルードは無冠の女王と呼ばれた。イギリスの政策からはずれたため活躍の場所を狭められたガートルードはひどいうつ状態となり、1926年7月、いつもより多い睡眠薬を飲み、二度と目覚めることはなかった。
イラク独立の前史に関わったイギリス女性の一生を紹介しています。大英帝国のなかで羽ばたいたものの、結局は国家に利用され、押しつぶされた女性だという印象を受けました。