弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年8月10日

真説ラスプーチン(上)

著者:エドワード・ラジンスキー、出版社:NHK出版
ロシアの怪僧ラスプーチンと言えば、世界史でも習う有名な人物です。ロシア革命のうみの親とでもいうべき妖怪です。1869年にシベリアの農夫の子としてうまれた一介の農民(ムジーク)が、ロシア皇帝一家を思うままに操るようになっていった過程と、その理由を探った本です。ロシア皇帝が強大な権限をもちつつ、庶民の生活にあこがれていたという逆説的な状況も知ることができました。なーるほど、そういうことでもあったのか、全能の皇帝は孤独にさいなまれていたのか・・・、と思いました。
 ラスプーチンの死をロシアの民衆がどう受けとめたのか、その紹介が衝撃的です。
 1916年12月19日。ロマノフ王朝最後の12月。ペトログラードの小ネヴァ川に一つの死体が上がった。その両手は縛られたまま、上に持ち上げられていた。さんざん叩きのめされ、銃弾をうちこまれながら、氷のように冷たい水中でなおも生き続け、自分を縛った縄から身を振りほどこうとしていたことが分かる。その後、何日ものあいだ、川には大勢の人たちが水筒や水差しや桶をもって押し寄せてきた。この恐ろしい死体が浮かんだばかりの川の水を汲んでいく。人々は、この水によってロシア全土に知れわたった死体の信じがたいほどの魔力を汲みとろうとしたのだ。いやあ、すごいですね。死体の魔力を信じる人が大勢いたというのです・・・。
 ラスプーチンは皇后から長老と呼ばれていた。長老とは、とても年を取っていて、多くの経験を積み、高齢のおかげで、およそ地上のすべてを捨て去った人間をさす。ところが、実は、ラスプーチンは皇帝よりも若かった。だから、ラスプーチンは自分の年齢を何歳も多く偽っていた。
 若いラスプーチンは鞭身派の信者となった。鞭身派は、魂への聖霊の降臨に備え、極端な禁欲を説く。柳の枝や組みひもで自らを鞭うつ鞭身という儀がある。ところが、肉欲の抑制は、なんと際限のない淫蕩を通じて行われるという。熱狂的な儀式の際に、信者間の手当たりしだいの性交があるのだ。新興宗教にはよくある話ですよね、これって・・・。
 なぜラスプーチンがロシア皇帝夫妻に喰いこめたか、その謎が明かされています。皇帝は庶民とのつきあいを求めて一生懸命になっていたのです。それだけ全能の皇帝は不安が強く、足を地につけたがっていたということです。
 皇帝も皇后も、自分の宮殿にいながら、自由を奪われた奴隷でしかなかった。
 いまの日本の皇太子夫婦も、実は同じようなものではありませんか。週刊誌の毒々しい見出しを見るにつけ、可哀想だなと私は思います。もちろん、私はそんな週刊誌を買って読もうとは思いません。時間のムダでしかありませんから・・・。
 レーニンは鞭身派について、革命家は鞭身派に戦略的に接近すべきだとしているそうです。鞭身派が政府に由来するすべてのことを情熱的なまでに忌み嫌うからだ。
 ラスプーチンは断固として反戦の立場をとった。ストルイピンも皇后もラスプーチンも、みな戦争に反対した。ストルイピンを倒したのは国会でもなければ、右翼でも左翼でもなかった。しかし、ラスプーチンを攻撃したせいで息の根を止められた。
 当時のロシアの政治状況がもうひとつ分からないのが少しもどかしいところですが、怪僧の実像をかなり知ることができました。
 庭のフェンスにノウゼンカズラの橙色の花が咲いています。炎暑の夏が続いていますが,さすがに夜は涼しいものです。いまはちょうど満月です。寝る前にベランダに出て望遠鏡で月面をじっくり観察するのが,私の真夏の夜の楽しみです。はるか彼方の月世界を眺めると,地上の雑念をしばし忘れることができます。
 14日から16日まではお盆休みをとります。

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