弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年8月 4日

殿様の通信簿

著者:磯田道史、出版社:朝日新聞社
 「土芥寇讎記」(どかいこうしゅうき)という江戸時代の秘密報告書があるんだそうです。元禄時代に幕府隠密が全国をまわって、各地の藩主・家老について評価したものです。とても面白い内容です。
 「どかいこうしゅう」というのは、殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を親の仇のようにみる、という意味だそうです。初めて聞く言葉です。
 江戸時代には250の藩があって、だいたい13代あたりで明治維新となったので、およそ大名(殿様)は3000人ほどいたとみられる。
 徳川幕府は、足利・織田の子孫は優遇する。豊臣の子孫は殺す、という方針をとった。吉良家は足利の子孫だったので、高家としては破格の優遇をうけた。
 三大将軍・家光は、岡山の池田光政が謀叛するかもしれないと心配した。そこで、岡山と姫路のあいだに赤穂城が築かれた。そこで、浅野家は武断派の雰囲気が漂っていた。
 ところが殿様の内匠頭が奥の閨房で女と戯れ、ちっとも表の政務に出てこない。仕方なく、大石が筆頭家老として藩政を取り仕切った。それで藩士は大石の言うことをきく習慣ができていた。ふーん、そうだったんですか・・・。
 岡山の池田光政の子どもの綱政については、生まれつき馬鹿、愚か者で、分別がないと書かれていました。ところが、著者は綱政の書を見て、そんなことはないだろうと判定しています。
 綱政には、なんと70人(男子21人、女子31人。このほかにも18人ほど・・・)の子いたというのです。徳川家斉の55人をはるかに上まわります。いったい、その子たちはどうしたのでしょう・・・。
 綱政の遺言の一つは次のようなものです。政事においては、極重悪人といっても、十に一つも許すべき道理があれば、きちんと穿鑿(せんさく)して、重罪を軽くするのを真の政事と心得よ。仁愛慈悲第一の事、だったのです。これでは「生まれつき馬鹿」という評価は確かにあたらないでしょう。
 前田利家の言葉が紹介されています。
 子どもを悪くしてしまうのは、親のせいである。絶対に、子のことを親が悪く言ってはいけない。なかでも、他人のまえで自分の子を悪しざまに言うのが一番いけない。子どもに悪いところがあったら、こうしたほうがよいと、子ども本人に丁寧に教えてやればよいだけだ。
 うーん、なかなかいい言葉ですね。わたしなんか、胸に手をあてて、かなりズキズキとした痛みを感じます。
 殿様稼業も決して楽ではないということを思い知らされる本です。

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