弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月26日

昭和三方人生

著者:広野八郎、出版社:弦書房
 三方(さんかた)とは、馬方(うまかた)、船方(ふなかた)、土方(どかた)の三つの職種を経験したという意味です。
 著者は船方、土方そして戦前の三池炭鉱などでの生活をずっと日記につけていたのです。プロレタリア文学運動にも参加していました。炭鉱生活26年のあと、万博景気にわく大阪で再び土木作業に従事しました。
 明治40年(1907年)に長崎県大村市に生まれ、1996年(平成8年)に福岡市で亡くなっておられます。
 戦前、佐賀の農家には農耕馬が必ずいました。私の父のいた大川もそうでした。そこでは競走馬の飼育も手がけて収入源としていました。馬は今とちがって身近な存在だったのです。
 船員時代にプロレタリア作家として有名な葉山嘉樹の知遇を得て、「文芸戦線」や「労農文学」などのプロレタリア文学運動の機関誌に詩や小説を投稿しています。
 土方をしながら「改造」を読んでいたというのですから、たいしたものです。
 昭和12年3月15日の日記に、こう書いてあります。「改造」を読み、新聞を見ると、いくらか世の中が分かるような気がする。時代は、ますます暗鬱な方に流れていくようだ。満州事変以来、大衆はこの嫌な空気の中で、もがいているのだ。
 同じ年の10月、佐賀にあった杵島炭鉱で坑夫として働きはじめました。夏目漱石の「坑夫」を読んでいます。どうして種を手に入れたか、よくこれほど実感を出したものだと感心した。しかし、しちくどいような漱石的臭味がくっついているので、鼻について仕様がなかった。内部から坑夫の生活を描いていない。これはただ見聞記といった感じがした。
 鋭い感想文ですね、まいりました。12月14日に南京陥落祝賀の旗行列が昨日あったと書かれています。
 ただやたらに沸き立つ人々の態度をみて、自分の心は訳もなく空虚を感じるのはどうしたことだろう。非国民だと罵られても仕方がない。
 あの南京大虐殺を日本人は知らずに旗行列して喜び浮かれていたのです。戦争から帰ってきた兵隊の話を聞くと、もう沢山だと言いたいぐらい残虐なことを並べたてるので、憂鬱になった、とあります。
 昭和13年2月から三池炭鉱で働きはじめました。24時間で1万トンの出炭記録をつくったころのことです。出炭記録にみんなの目がいくと、とたんに事故が多くなったということも記録されています。
 軍事講演を聞きに行ったとき、安井少尉が実戦談を語ったが、そのなかで、戦地の住民がいかにみじめであるか、戦争というものが避けられるものなら、平時、どんな苦痛を忍んでもいいことを痛感した、と語ったそうです。なるほど、ですね。
 「カラマーゾフの兄弟」、トルストイの「戦争と平和」、ジイドの「狭き門」を読んだりしていますが、そのうちに独ソ戦が始まりました。
 駅へ入営兵の見送りに出かけることも多くなりました。
 坑内労働は肉体疲労がすごい。労働の余暇に肉体が要求するのは食欲と睡眠。精神生活の入りこむ余地はない。しかし、そうは言いつつ、休みの日に梅見に出かけたりしています。
 労働者の日記も、続けていると歴史を語るものになることを実感させられた本でした。

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