弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月25日

満州国皇帝の秘録

著者:中田整一、出版社:幻戯書房
 まったく期待せずに読みはじめた本ですが、案に相違して、すこぶる興味深い内容の本でした。著者はNHKプロデューサーとして、現代史を中心に歴史ドキュメンタリー番組の制作に長く携わってきたそうですが、大変いい本を出されたと敬意を表します。満州国の一面の実情がよく分かりました。
 関東軍司令官は毎月3回、1のつく日、1日、11日、21日に満州国皇帝を訪問し、日本の政策の方向、日本政府の目的と意向を知らせていた。もちろん、これは満州国の最高機密事項であり、絶対に外部に漏れてはならないもの。ところが、これが記録され外部に漏れていたのである。その内容がこの本で紹介されているのです。
 外部とは日本の外務省のことです。新京にあった日本大使館の外交官たちの間には関東軍に対する不満と反感がみちていた。軍部の独断専行に対する危機意識と無力感との狭間で外務省は苦悩していた。そのため、危険を冒してでも本省に極秘情報を送ろうとする、現地外交官の決断と大胆な行動があった。
 形式は、在満大使館の参事官あるいは一等書記官から本省の東亜局長にあてて送ったもので、「半公信」と扱われた。半分は公の文書、半分は私信。だから、大使の決済を受けなくても本省にあてて送ることができる。つまり、大使である関東軍司令官の目にふれずに生え抜きの外交官同士の半ば私信として本省へ送られた。
 そして関東軍司令官はすべて大使という肩書きにされている。これは外務省の内部の問題だというわけである。関東軍司令官に関する情報を漏らしたわけではないので、軍事機密の漏洩にはあたらないという高等論理である。
 1934年3月、溥儀は満州帝国皇帝に即位した。この即位にあたって関東軍は、溥儀が清朝の皇帝即位の正装である竜袍を着用することを認めなかった。溥儀は満州国の皇帝であって、大清国皇帝の復辟ではない。したがって、満州国陸海軍大元帥正装を着用すべきだと関東軍は押しつけた。溥儀は納得しない。満州建国を利用して清朝復辟を狙っていた溥儀とその一族郎党にとって、皇帝即位の儀式は、対外的にもその意志を表明する千載一遇のチャンスだった。
 ようやく両者のあいだで妥協が成立した。祭壇では竜袍を着て即位したことを天に報告し、つづいて宮殿内では陸海軍元帥の正装で即位式典を行った。
 溥儀は1935年に日本を訪問することにした。この狙いは関東軍が関東州や満鉄のように日本政府の監督下に満州国はおかない、関東軍が満州国を直接に統治するということであった。
 溥儀は訪日のとき親しく歓迎されたことから大きな錯覚をした。日本の天皇の威光を借りて満州国における肯定の権威を高めるられるという幻想を抱いた。もちろん、そうはならなかった。天皇を利用すれば関東軍をおさえることができると思ったのである。しかし、現実には、満州国官僚の人事ひとつも皇帝の思うようにはならなかった。すべて関東軍司令官の指図によった。
 溥儀には何人もの女性(妻)がいましたが、性的不能者であったようです。といっても男性(若者)はいたようです。溥儀は、清朝皇帝の幼年時代、宮仕えの年増の女性にもてあそばれ、その特異な体験のため女性に対するトラウマに陥っていたということのようです。
 この厳秘会見録の送り先は、外務大臣、外務次官と東亜局長の3人だったが、外務大臣を軍人が兼任したときには、大臣ははずされた。
 記録をしていた林出賢次郎は日本政府内部と軍との人事抗争のなかで、1938年、突然解任された。そのとき、内地に記録をひそかに持ち帰ったものが残っている。林出は溥儀から大変信用されていたが、日本に帰ってからは天皇の中国語通訳として戦後の1948年までつとめていた。
 満州国の内情を知るうえで一級の資料だと思いました。よくぞこのような貴重な資料が残っていたものです。溥儀と歴代の関東軍司令官との生のやりとりが大変興味深いものでした。

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