弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月14日

三日月が円くなるまで

著者:宇江佐真理、出版社:角川書店
 神田堀に架かる栄橋を渡ると久松町だった。
 この出だしで、江戸の町並みと人々の営みにスィーッと引きずりこまれてしまいます。函館市に生まれ、今も同地に住む(?)団塊世代の著者の鮮やかな筆力で心地よく江戸の暮らしを味わうことができます。
 古道具屋と薬種屋を兼ねる紅塵堂(こうじんどう)に下宿することになった25歳の刑部小十郎の話が展開していきます。といっても、藩主の汚点を雪(そそ)ぐために指名された庄左衛門の助太刀をする役目です。決して気のすすむ役目ではありません。入居そうそう、主の娘に笑われて、小十郎は気を悪くします。でも、この娘、口は悪くても案外に気だては優しそうなのです。
 行雲流水(こううんりゅうすい)の心持ち、だとか、床見世(とこみせ、商品を売るだけで人の住まない店)だとか、見知らない言葉が頻出するのも時代物ならではです。
 小十郎は曹洞宗のお寺で特訓を受けることになります。東司の作法を真先に教えこまれます。
 東司に就いたら蒲(かま)でこしらえた草履に履き替え、衣の端をもってかがんで用を足す。汚してはいけない。声を上げてもいけない。はなをかんだり唾を吐いてはいけない。落書きしてはならない。歌ってはならない。
 用を足したら、また草履を履き替え手洗い場で備えつけの灰を手にとり、三度洗う。次に、土を水に点じて三度洗う。さらにサイカチの実の粉を取り、水桶に浸して丁寧に洗う。都合七度。
 次は行鉢と呼ばれる食事の作法。応量器と呼ばれる五鉢ひと揃いになった食器を使用する。応量器には、畳を濡らさないようにする水板と鉢単と呼ばれる敷物がついている。そして、サジやハシと一緒に袋に収められる。
 私も一度だけ永平寺を訪れたことがあります。春のことだったと思いますが、木立の奥深くにありました。そこで、食事やトイレの作法のことを聞かされたことを思い出しました。真理を究めるにも、まずは形から入るということのようです。
 小十郎たちは、結局、仕返しに失敗します。庄左衛門は責任を取らされ、市中引きまわしのうえ、獄門となりました。武士の身分を離れて浪人になっていたからです。
 引き廻しの行列は、小伝馬町の牢屋敷から江戸橋、八丁堀、南伝馬町、京橋、札ノ辻まで行って引き返し、赤羽橋、溜池、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷へ向かい、上野、浅草、蔵前を通り、馬喰町から牢屋敷へ戻る行程だった。
 小十郎は、それでも運よく処分を免れ、ついには恋する町娘と晴れて結婚できました。
 江戸時代の結婚も、その気になればかなり融通無げのところがあったようです。武家と養子縁組すればよかったのです。いつもかつも四角四面に江戸の人々が生きていたと考えるのは正しくありません。

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