弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月14日

わが真葛物語

著者:門 玲子、出版社:藤原書店
 只野真葛(ただのまくず)という江戸時代後期の女流文人を紹介した本です。一見ペンネームのようですが、本名です。父親は仙台藩江戸詰の医師であった工藤平助で、田沼意次に「赤蝦夷風説考」を献上し、自ら蝦夷奉行になれるかと期待したこともある人です。これは、田沼の失脚で夢と消え去りました。
 江戸に生まれた真葛は、仙台藩士の只野伊賀行義(つらよし)に嫁ぎ、35歳で仙台に下りました。寛政9年(1797年)のことです。夫のすすめから著作活動に入り、「みちのく日記」などを書き、代表作の「独考」について滝沢馬琴の批評を求めました。馬琴は手厳しい批判をしたようですが、これは彼女を高く評価していたということです。
 当時の女性にとって、大名の奥御殿に勤めることは、広く世間を見て、自分の教養・才能を活かし活躍できる最上の場だった。真葛も16歳のとき、仙台藩の御殿に上り、伊達夫人に仕えています。
 江戸時代にも多くの女性が文章を書いているが、女性の作品が刊行されることは、ごく稀であった。真葛は松島に遊んで紀行文を書いたが、その前に2人の女流俳人が紀行文を書いた。九州筑後出身の諸九尼(58歳)と長門の菊舎尼(30歳)であった。昔も今も、ほんとうに日本女性は旅行好きなのですね。
 「独考」は、たしかにかなりユニークな内容です。
 儒教の教えというのは、昔からご公儀がご政道に専用と定められているので、真の道だと思われがちだが、実は人のつくった一つの法に過ぎず、唐国から借りてきたもの。いわば表向きの飾り道具であって、小回りのきかないことは街道を引く車に似ている。家の内のことは、もっと融通無碍の、人情にそった処理法がある。
 人の心は性器を根源として体中にはえひろがるので、男女が逢いあう結婚というものは、心の根源たる性器を結合して勝劣を決めるのである。
 ここでは男女の性交渉(セックス)を、男女間の勝劣の観点でとらえています。セックスを正面から論じているのに驚かされますが、少しずれているように思います・・・。
 武家が町人より借りたお金は、結局、また利子を背負ってふくらんで、貸した町人のところへ帰っていく。そして、お金の尽きた武士たちは仕方なく町人に頭を下げ、お金を借りて日々を送り、利を取られたうえに、町人に卑しめられるのこそ無念である。
 このように、真葛は武家の立場に立ち、町人を敵と見ていたのです。これに対して馬琴は町人の立場から批判を加えています。江戸時代の人々の思索の深まりを感じることのできる本です。

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