弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月12日

チャイナハンズ

著者:ジェームズ・R・リリー、出版社:草思社
 中国にいたCIAの工作員がキッシンジャーの代理人となり、ついには中国駐在のアメリカ大使にのぼりつめたというのに驚いてしまいました。まことにアメリカというのは謀略を愛する国なのですね。ゾッとします。
 著者は山東半島で生まれたアメリカ人です。父親がスタンダード石油の中国駐在社員だったからです。そして、CIAの要員だったので、この本もCIAから内容のチェックを受けたことが付記されています。
 著者たち一家は1926年に青島に住むようになりました。ええ、チンタオ・ビールで有名な、あの青島ですよ。当時、1万5000人の日本人が青島にいて牛耳っていたそうです。日本人というのは、商人と実業家です。少年の目からみても、外国勢力のなかでは、日本の野望がもっとも貪欲に見えたようです。
 著者はアメリカの大学に進学します。イエール大学です。このイエール大学はアメリカ戦略情報局(OSS)の創設に一定の役割を果たしました。OSSがCIAに改編されたときも、その中核にイエール大学は卒業生を送りこんでいます。
 CIA工作員になった著者は中国で秘密作戦に従事します。毛沢東の共産党が勝利したあと大陸に残った160万人の国民党軍を支援することです。台湾から空路で中国人工作員を満州に送りこんだこともあります。しかし、見事に失敗しました。
 金門、馬祖両島に中国は砲撃しはじめた。この二つの島には、台湾側の軍事基地とCIAが協力してすすめていた中国本土への秘密作戦の発動拠点が置かれていた。私が小学生のころのことですから、今でも記憶に残っています。すぐにも戦争が始まってしまうような暗い雰囲気を子ども心にラジオのニュースに感じ、不安が高まりました。
 少年時代の体験から、中国人は概して外国人に酷い目にあった体験から傷つきやすく、ちょっとしたことで激昂する性格を持ち、国際社会に訴える能力があり、人心操作術が得意な人々である。著者はこのように考えています。
 中国人が歴史体験で深く傷ついているからといって、排外主義を見逃してしまうということにはならない。著者の職業的アプローチは、このように中国という国と、その意図を一定の距離を置いて観察することだ。
 著者は1979年8月に、CIA本部から情報殊勲章を授与されました。それは北京にCIA支局を開設したことを評価したものでした。そして、1986年11月に、著者は駐韓大使として韓国に赴任しました。全斗煥大統領から廬泰愚大統領へ替わろうとする時期です。与党の党大会にもアメリカ大使として出席してにらみをきかせました。大韓航空機が空中爆破され、犯人の一人である金賢姫が捕まった1987年11月も駐韓大使でした。
 そして、1989年3月、中国大使に任命されたのです。4月から天安門広場での民主化デモが始まりました。まさしく激動する中国に赴任したわけです。
 中国のサハロフとも呼ばれていた天体物理学者である方励之をアメリカ大使館内に13ヶ月間も匿(かくま)っていたことを明らかにしています。方夫妻は医療棟を住居にしていたとのことです。
 先日の仏検(準一級)の結果が分かりました。75点で合格していました(基準点は 70点。120点満点)。自己採点のとおりでした。今度の日曜日に口頭試問があります。3分前に問題文を渡され、2問のうち一問を選び、3分間スピーチをします。そして、そのあと4分間、フランス人の試験官と問答するのです。これまで1勝2敗です。思うようにスピーチできません。頭のなかを単語がぐるぐるまわってしまうのです。それでも、がんばってみます。

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