弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年6月29日

サフィア

著者:ヨハンナ・アワド・ガイスラー、出版社:清流出版
 2005年12月のイラク国民議会の選挙で初議席を占めたイラク女性議員の半生を描いた本です。オビにある文章を紹介します。
 イラクの若い女性政治家、サフィアは父がシーア派のベニ・タミム族を率いる有力な族長で、サダム・フセインの政敵だった。サダムの影響力が強くなり、サフィアが4歳のとき、レバノンに一家で亡命を余儀なくされた。その後も、ヨルダン、サウジアラビアを転々とし、ついに父はサダムの命令で暗殺されてしまった。父の遺志を継ぐべくサフィアは、混乱するバグダッドにいち早く帰還した。2004年9月、エジプト大使に指名され、エジプト2005年12月の選挙で念願の議席を得た。
 いま、サフィアは40歳。サフィアとは、アラビア語で、清純、を意味する。
 サダム・フセインは婚外子の烙印を押されていたが、出身地であるティクリート出身のスンニ派を軍隊と警察の主要なポストにつかせ、彼が目をかけた者も同じことをして、軍と治安機関の中枢に強大なティクリート一派が育った。ティクリート派はバース党の中核となった。そのおかげでサダム・フセインは彗星のように出世できた。
 サダム・フセインの策略は、いつも、ある部族の主要人物を重要な地位につかせたり、贈り物をしたりして喜ばせ、それと同時に脅迫して、その部族の支持をとりつける、飴と鞭のやり方だった。サダム・フセインは、部族の長の選挙に介入し、誰を最高位の族長にするか指図した。主に二番手か三番手にいる者を上に持ち上げた。逆らうのは自殺行為だった。この方法で介入された部族は、その忠誠関係も権力構造も崩壊した。競争が始まって、一族の団結が崩れたからだ。
 ソ連はサダム・フセインのために巨大な要塞を建てた。そこに、サダム・フセインは政敵を投獄し、拷問した。ドイツの企業は、サダム・フセインの兵器庫を建設した。ロシアとフランスは、イラク軍の軍備拡張をめぐって競争した。アメリカもイラクの高度武装化を強力に支援した。CIAは、イラン革命政府に対する戦争のための情報をサダム・フセインに流した。
 サフィアは女性なので族長にはなれない。しかし、もちろんベニ・タミム族からの支持は得ていた。
 イラク国民の60%が女性なのに、イラクの支配機構50のポストのうち、女性に与えられたのはわずか4席にすぎなかった。サフィアがポストを争ってなれなかった役職についた女性は数週間後に殺され、その後を引き継いだ女性も息子を爆殺されてしまった。
 サフィアはクルド人の男性と結婚した。そして、サダム・フセインがアメリカ軍の侵攻によって倒されたあと、アメリカ軍の輸送機に乗ってバグダッドに帰っていきました。
 イラクの族長クラスの女性の生きざまとパワフルな活動が伝わってくる本です。
 ただし、サフィアは宮殿育ちの女性ですから、主としてイラク上流社会の人々の生活が紹介されており、庶民のレベルの目線には乏しい気がします。

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