弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年6月21日

信長とは何か

著者:小島道裕、出版社:講談社選書メチエ
 すこぶる知的刺激にあふれた本です。ものすごく面白く、うん、こうでなくちゃいけないな。うなずきながら、頁をめくるのがもどかしいほど読みふけってしまいました。
 美濃の斎藤道三が信長に会見を申し入れたとき、大たわけと世間から見られていた信長(当時20歳)は、お寺に入る前は奇抜な格好をしていたが、寺に到着するとすぐに、屏風をめぐらして髪を結い直し、誰にも気づかれずにつくっておいた長袴をはいた正装で道三の前にあらわれた。道三の裏をかいたのである。
 桶狭間合戦についても、通説をコテンパンにやっつけています。今川義元は上洛しようとしていたのではない。そして谷間に陣を構えていたのではなく、桶狭間山に陣どっていた。今川義元はそれなりの人物だった。馬鹿にしてはいけない。信長は、雨のなかでなく、雨のやんだあと、低地から高地へ攻め上がった。それも少人数で正面突破をはかった。
 信長はその作戦を家臣たちにはかることなく独断専決した。あらかじめ家臣たちに明らかにしたら大反対にあうことが必至だったからだ。まわりに事を諮らず、家臣たちの常識は無視するのが信長のやり方だった。信長の作戦がうまくいったのは、はなはだ幸運だったから。これは藤本正行「信長の戦争」(講談社学術文庫)と同じ説です。
 信長の居館が山上におかれた岐阜城には、私ものぼったことがあります。麓にも屋敷がありましたが、家族は山上の館で生活していました。それにしては、かなり険しい山です。
 信長は客人と会うのを、山上から山麓への道の途中で出会うという独特のやり方をとっていた。これは、信長が身分にとらわれない人間だったので、格式と関係なく人に会うことのできる路上での面会を好んだからだ。
 信長が攻めた朝倉氏の館があった一乗谷にも行ったことがあります。発掘がすすんでいて、往古をしのぶことができます。一見の価値がありますので、ぜひ見に行ってください。
 信長の最期の居城となった安土城にものぼりました。このことは前にも紹介しました。
 信長は安土城で、天主を自らの居所としていた。天主に住んだ大名は信長くらいだろう。人目を奪う天主は、信長そのもの。自らを神格化しようとしたのだ。
 いま天主跡を訪れると、意外に狭い感じがするが、そこは、この地下倉庫の内側部分で、しかも、周囲の石垣は上部が崩れているから、それを補って想像しなければならないのである。そうなんです。天主跡は案外に狭くて、私はビックリしてしまいました。
 安土城の本丸御殿は、実は天皇を迎え入れるための施設だった。天主にいる信長が天皇の御殿を見下す位置にいることになる。明らかに、「天皇を従える信長」という構図だ。
 信長は官位に就かなかったが、朝廷の方が無冠では困るとヤキモキしていた。そこで、信長は、太政大臣か関白か将軍かのいずれかを推任するよう朝廷に要求した。これは、「なれるのだが、ならない」という信長の作戦だった。つまり、将軍に推任してくれといったら、もう断ることができない。しかし、「いずれかに」と言っておけば、どのような回答をするのも自由である。官職に任命された権力者となってしまえば、それ以上の者にはなれなくなってしまう。それは朝廷という権威に対する最後の切り札であり、可能な限りそれを引き延ばして、優位を得ようとしたのだ。なるほど、そういうことなんですか・・・。
 信長は、独裁者にありがちだが、人の言うことをまったく聞かない。とくに家臣に意見をされることは極度に嫌う。コミュニケーションがないから、人の不満に気づくのが遅れる。だから、予期せぬ相手がすぐ身近で反旗を翻す結果になってしまう。
 信長は、およそ政権と言えるだけの組織は何もつくらなかった。副官も奉行も何も置かず、すべてを信長が決裁する体制を続けていた。
 信長は各地を征服すると旧来の領主を登用せず、直臣を方面軍として配置して支配を委任し、最終的な権限は信長が持つという支配方法をとった。その結果、信長軍は各地に分散し、中央の信長周辺には軍事力がなくなってしまうことになり、それが本能寺の変を可能にした一つの背景となっている。
 50代も後半になってから上野の統治を命じられた滝川一益を見て、自分も丹波経営に苦労した光秀が、これから先どこに飛ばされるか分からないという不安を抱いたという推測はあたっている。恐らく、そういうことなんでしょうね・・・。
 戦国時代は、戦乱で疲弊しきっていたのではなく、むしろ社会に力がみなぎり、経済が非常な勢いで上向いていて、新しい社会的な枠組みをつくる機運が湧き上がっていたとみるべきだ、という著者の指摘には、ガーンと頭を一発たたかれたほどの衝撃がありました。そうだったんですか・・・。これからは映画「七人の侍」の味方も少し変えなくてはいけないようです。

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