弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年6月15日

やむをえぬ事情により・・・

著者:フレッド・フレンドリー、出版社:早川書房
 映画「グッドナイト&グッドラック」のもとになったエド・マローの相棒だったプロデューサーの回想録です。この本では、マッカーシー放送以外のCBSテレビの取り組みも紹介されています。
 マローは第二次大戦中から活躍していました。真珠湾が攻撃されたとき、ルーズヴェルト大統領と一緒にいた唯一の報道人だったし、チャーチルとはロンドンの地下深くの防空壕にある首相の戦闘司令所で同席していた。
 マッカーシー旋風が吹き荒れていた1954年の冬ころ、放送業界は恐れおののいており、マッカーシーの攻撃演説に呼応して国策がうち出されることがしばしばだった。
 マッカーシーによってディーン・アチソン(のちの国務長官)は「赤いディーン」というレッテルを貼られたし、マーシャル元帥も反逆者扱いを受けた。
 マローはテレビで次のように述べました。
 ウィスコンシン州出身の新進上院議員は、調査と迫害との一線を何度も踏みこえた。彼が主として成しとげたことは、大衆の心に共産主義の内的脅威と、外的脅威についての混同を生じさせたことでした。我々は反対意見と虚実とを混同してはいけません。告発と証言とは違い、確信は証拠と正当な法の手続によって得られるということを常に忘れてはいけません。他人を恐れて歩くことはやめましょう。マッカーシー上院議員のやり方に反対の者も、それを認める者も、沈黙を守っているときではありません。彼がこの恐怖を生み出したのではありません。彼はただ、比較的上手に、それを利用しただけです。
 そうですよね。いま同じように、5年間も続いて日本をすっかりダメにしてしまった小泉純一郎の政治手法に反対する人も、それを認める人も、声をあげてその当否を議論すべきなのではないでしょうか。マスコミで真正面からの議論があまりにも少ないことに、私は残念でなりません。
 エド・マローのこの放送のあと、トルーマン元大統領夫人、グルーチョ・マルクス(コメディアン)、アインシュタインも賛成の意を表明しました。
 映画にも出ていましたが、この番組のスポンサーだったアルコアは、エド・マローを信頼し、スポンサーをおりることはありませんでした。アイゼンハワー大統領も記者会見のなかで、マローを私の友人だとわざわざ言って、讃辞を送ったのです。もちろん、このことは夕刊の見出しを飾りました。
 ニュース解説で重要なのは、優れた判断力と確かな抑制力をもっていると思われる真面目なジャーナリストを信頼することである。そのとおりだと私も思います。
 CBSはボストン警察が賭博場と密接な関係にあることを暴露するドキュメンタリー番組をつくって放映しました。この顛末も紹介されています。日本では、この種の報道がまったくないのではありませんか・・・。警察の捜査費ごまかしの追及もあまりに及び腰だったと思います。独走していた北海道新聞が警察に逆襲されたとき、他のマスコミは見捨ててしまった気がしてなりません(もし、違っていたら訂正します。ご一報下さい)。
 グレシャムの法則。悪貨は良貨を駆逐する。この法則はテレビ編成ばかりでなく、その視聴者にもあてはまる。今日の放送ジャーナリズムにおける編集者、プロジューサー、記者は興奮したり、とことんまでやりとげるということがほとんどなくなっている。
 短期的には経済的利益を生むつまらない番組が電波を満たしていくにつれて、嗜好がつくり出されるのである。ちょうどう広告が、食事や喫煙やドライブに影響を与えるように、これによって国民の嗜好がつくられる。今のテレビ編成についての作る側の弁明は、我々は人々が望んでいるものを与えているのだ、というもの。しかし、現実に起こっているのは、洗脳された視聴者たちが自分たちの好みのものを選び、その一方、もっと深遠なものを好む性向をもった人々は視聴者たることをやめてしまうといった事態である。
 そうなんです。私もテレビをほとんど見なくなってから30年ほどになりますが、ちっとも困っていません。困るのは、今どんな広告をやっているかを知らないことだけです。
 ある日、ウォルター・リップマンは、今日のテレビの窮状を次のように言い表しました。
 要するに、この国に三台の巨大な印刷機しかない、というのと同じこと。これにしても、たったの三台だ。われわれは、これをどうしようというのか、どう利用しようというのか、しかし、この三台の印刷機は、そのほとんどの時間を宣伝物の印刷についやしており、そのほか漫画本を印刷している。なるほど言い得て妙ですね。お互い、気をつけましょう。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー