弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年6月 2日

「無言館」ものがたり

著者:窪島誠一郎、出版社:講談社
 五月の連休に熊本城内にある美術館に出かけ、「無言館」の絵画を鑑賞してきました。
 残念ながら、「無言館」そのものには、まだ行ったことがありません。「ちひろ美術館」など、信州方面にはたくさんの素晴らしい美術館があるようなので、ぜひ訪れてみたいと考えています。
 本のはじめにカラーグラビアで絵が紹介されています。伊沢洋の「家族」という絵があります。裕福な家族が一家団欒している情景が描かれています。描いた本人も登場しています。いかにも幸福そうな、落ち着いた雰囲気の絵です。ところが、絵にも登場している弟さんの解説によると、当時はこんな裕福な家庭ではなく、これはまったく兄の想像の産物だというのです。そうなんです。絵は期待をもって夢幻の境地が描かれることもあるわけです。それはともかく、たしかな技量です。これだけの画才をもつ人が、あたら戦病死してしまったというのは、本当にもったいないことです。
 自分の愛する妻や恋人の裸婦像もあります。いずれも、愛情たっぷりの表現です。筆のタッチにそれを感じることができます。「温室の前」というタイトルの絵はいかにも戦前らしい装いの若い女性が3人坐って話をしている情景が描かれています。麦わら帽をかぶり、白いワンピース姿の女性がいます。今もいそうではありますが、戦前のハイカラ女性という方がピンときます。
 「無言館」美術館は、1997年(平成9年)5月、長野県上田市郊外にオープンしました。第二次大戦で戦病死した画学生の作品と遺品が展示されています。美術学校に学ぶ画学生ですから、その腕前は確かなものです。戦没画学生は、たいてい20代です。画をみればみるほど、あたら才能を喪ってしまったことが、国家的な損失だと惜しまれてなりません。こんな話が紹介されています。
 画学生は戦場に行っても、とてもマジメだった。絵の勉強に一生懸命な画学生であればあるほど、戦場でもいちばん前線に立って戦った。絵筆をにぎって一心に絵を勉強していた情熱と同じように、だれよりも前に出て敵と戦った画学生が多かった。
 なんということでしょうか・・・。言葉に詰まります。
 絵を描きたい。絵を描きたいと叫びながら、ついに生きて帰って二度と絵筆をにぎることのできなかった画学生たち。父や母を愛し、兄弟姉妹を愛し、妻や恋人を愛し、そして祖国を愛しながら、聖戦という美名のものに戦場にかり出され、飢餓と流血の中で死んでいかねばならなかった・・・。みんな、20歳台、30歳台の若さだった。
 「無言館」をつくるとき、戦没画学生の作品を見世物にして金もうけをたくらんでいるのではないのか。それではあまりにも画学生たちが可哀想だ。そんなものは、国につくらせたらいいのだ。
 こんな非難の手紙も舞いこんできたそうです。私も、その気持ちも、まったく分からないじゃありません。しかし、待てよ、という気もします。国によって殺されたのは事実だとしても、国がそのことを自覚し、反省していないときに、国につくらせるのを待っていたら、いつまでたってもできっこない。そのうちに画学生の遺族の方まで死に絶えてしまう。そんなことでいいのか・・・。
 反対に、国のつくった美術館ができたとしても、画学生の遺族が国に作品を預ける気になるだろうか、だから、ぜひつくってほしいという手紙も来たそうです。私は、やはり、こちらにひかれます。
 著者は、戦没画学生の遺族をたずねて全国をまわりました。その反応はいろいろありました。でもでも、善意の資金も得て、美術館を開館することができました。
 やはり、平和っていいな、戦争って理不尽なものだな、つくづくそう思います。
 ゴールデンウィークに、いい絵画を見て、心が洗われました。ぜひ、長野に出かけよう。そう思ったものです。

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