弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年5月26日

山内一豊と千代

著者:田端泰子、出版社:岩波新書
 戦国武士の家族像というサブタイトルがついています。
 山内一豊の妻・千代に対して内助の功と呼ぶのは正しくないと著者は指摘しています。
 戦国期の妻は、化粧料として特有財産をもち、夫とは対等な人格であった。一豊と千代の関係は、手柄を立てて出世する夫と、それを献身的に助ける妻という夫婦ではなく、妻に特有財産があって政治情勢も把握している、双方ともに賢い夫婦の共同歩調で獲得した出世だった。
 現代と戦国時代とのもっとも大きな差異は、戦国時代には妻の地位と役割の重かった点、妻が家庭にいて社会的活動をしていないという姿ではなかったという点にある。妻も夫も一緒に知恵を働かせ、大まかな役割分担をしながら、時代の変化に対応する手だてを考えたのであり、大まかな役割分担は相互に移行可能であったので、夫が亡くなり、後継者が幼い時には、妻が亡き夫に代わって後家として家を管轄した。妻は夫のパートナーであると同時に、夫のよき代理者でもあったというのが戦国期の夫婦の実態だった。「内助」の意味は現代とは大きく異なっている。
 戦国時代の婚姻はつねに離別を前提とした政略結婚だったというのも正しくない。婚姻関係を結ぶことによる家と家との平和的協力関係こそが、戦国期の武士階級の婚姻の目的だった。
 戦国期に生きた女性には男性と同じ賢さ、判断力、持続的な努力や忍耐力が、現在以上に必要だった。人形のように主体性のない一生を送ることは時代が許さなかった。
 鎌倉期の女性は、男性と同じく、所領や地頭職を持っていて、それを自分の意思で子孫に譲ることができた。
 日本の女性は古代だけでなく戦国期も、やはり強かったのです。

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