弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年5月18日

卜伴はまだ咲かないか

著者:小林尚子、出版社:文芸社
 医師が患者になったとき、大病院でどのような治療を受けるのか。寒々とした実態がその妻である医師によって淡々と暴かれた本です。
 ところが、逆に、主治医は、患者である先輩医師について、我々を次々に切り捨てたという感想を述べました。これに対して、医師でもある妻は、病んだことのない医師には、そんなに分からないものかと、次のように痛烈に皮肉っています。
 人間は神ではない。だから、すべてを分かるはずもない。でも、分からない、できない、ということを告げる勇気や良心は持てるはず。まして尊い人の命の問題である。心の問題も含め、そうしたことに真っ正面から挑むのが医師としてのつとめではないのか。
 卜伴(ぼくはん)は、患者である夫が、田舎の植木屋で求め、庭に植えたツバキのこと。夫が病床で、その咲く日を楽しみにしていたことから、このタイトルがとられました。
 濃紅色の花弁と紅色の花茎に白色の葯(やく)が鮮明に対比する唐子咲きの花をつけるツバキ。江戸の初めから知られ、関西では月光(がっこう)と呼ぶ。見てみたいものです。
 その医師が亡くなったのは1993年のこと。61歳でした。放射線によるガンに冒されながらも、ガンの放射線診療技術の向上に生涯をささげた外科医と報じられたとのことです。
 ところで、その大学病院では、他の大学から来た連中には絶対に協力しないことという申し合わせがなされていたそうです。1965年のことですから、今から40年も前のことになります。今では、そんなことはないのでしょうか・・・。
 学会について、会長職を得るための選挙運動、学会費用のための寄付集め、少しずつ狂っていくような気がする。そう書かれています。組織というのは、どこでも人間の嫌らしさが出てくるもののようです。
 ここでも、政治の世界と同じく、人を蹴落とすには、お金と女性関係。
 知人が入院したとき、早速、お見舞いにかけつける。しかし、病人にとってお見舞いは疲れるもの。こんなに疲れるものとは知らなかった。これからは、相手の気持ち、意向を聞いてからにしよう。そっとしておいてほしい。そんな気持ちも病人にはある。そうなんですね。親切の押し売りはいけないんです・・・。
 病人である夫の痛みをやわらげるため、ハリもしてみた。一時的には効果があった。しかし、一番きいたのは、妻によるマッサージだった。これにはなるほど、と思いました。
 医師が病気になったとき、自分のいた大学病院に入院していても、これほど患者と家族の気持ちからかけ離れた処遇を受けるというのに、正直いって驚いてしまいました。これでは、医者でないフツーの人が患者になったときに受ける処遇がひどいのも当然のことです。もちろん、どこでもそうだ、ということではないのでしょうが・・・。
 しかし、まあ、恐るべきは妻の愛ですよね。その執念にはほとほと敬服しました。

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