弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年5月16日

世界史のなかの満州帝国

著者:宮脇淳子、出版社:PHP新書
 満州という言葉は清の太祖ヌルハチの「マンジュ・グルン」から来ている。グルンは国のこと。この「マンジュ」を文殊菩薩の原語のマンジュシュリからきているというのは誤りである。なるほど、そうだったのですか・・・。
 満州と書くと満人の地という意味になるが、この言葉に土地の意味はなく、種族の名前であった。満州は、もともとは清朝を建てた女直人(女真とよばれることもある)のこと、つまり民族名であって、地名ではなかった。
 中国人とは、漢字を学んだ人々のこと。日常の話しことばがどんなにかけ離れていてもいい。漢字を知っている一握りのエリートが読書人と呼ばれて、本当の中国人。漢字を知らない労働者階級は実際には「夷狄」扱いを受けてきた。中国人とは、都市に住む人々のこと。城内に住んだのは、役人と兵士と商工業者。これらの人々が中国人であった。
 随も唐も、帝室の祖先は、もともと大興安嶺出身の鮮卑族である。倭国と軍事同盟を結んでいた朝鮮半島にあった百済には倭人の住民も多かった。日本列島のほうも同じような状況で、倭人の聚落と秦(はた)人、漢(あや)人、高句麗(こま)人、百済(くだら)人、新羅(しらぎ)人、加羅(から)人など、雑多な系統の移民の聚落が散在する地帯だった。
 当時の日本列島に倭国という国家があって、それを治めるものが倭王だったわけではなく、倭王が先にあって、その支配下にある土地と人民を倭国といった。
 共通の日本語をつくり、新しい国語を創造したのは、漢字を使える渡来人だった。彼らは漢字でつづった中国語の文語を下敷きにして、一語一語を倭人の土語で置き換えて、日本語をつくり出した。
 文化的に朝鮮人が日本人の兄だというのは誤りで、朝鮮=韓国人と日本人は、このようにしてほとんど同時に中国から独立して民族形成をはじめた、双子のような関係である。
 著者のこの指摘に、私はとても新鮮な衝撃を受けました。まったく新しい角度からの鋭い問題提起だと思います。
 1392年、高麗国王の位に就いた李成桂は、元末に咸鏡南道で高麗軍に降伏した女直人の息子だった。明の洪武帝が国号をどうするのかとたずねてきたので、高麗王朝は「朝鮮」と「和寧」の2つを候補としてあげて洪武帝に選んでもらった。洪武帝は、むかし前漢の武帝にほろぼされた王国の名前である「朝鮮」を選んだ。こうして朝鮮王国が誕生した。そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。
 日露戦争の前、ロシアは日本の軍事力をまったくみくびっていた。たとえば、日露開戦まで4年間、駐日陸軍武官だったブノフスキー陸軍大佐は、日本陸軍がヨーロッパにおける最弱の軍隊の水準に達するのに100年は必要だろうと本国に報告した。
 また、ロシアの巡洋艦の艦長は、日本海軍は外国から艦艇を購入し、物質的装備だけは整えたが、海軍軍人としての精神はとうてい我々には及ばない。軍艦の操縦や運用はきわめて幼稚であると語った。さらに、開戦8ヶ月前に来日して陸軍戸山学校を視察したクロパトキン大将は、日本兵3人にロシア兵は1人でまにあう。来るべき戦争は、単に軍事的散歩にすぎない、こう述べた。これって、なんだか第二次大戦のときに、日本軍がアメリカ兵をどう見ていたを思い出させる言葉ですよね。
 終戦当時、満州在住の日本人は155万人。そのうち17万6千人が死亡した。101万人が1946年10月末までほとんど民間の力で内地へ引き揚げた。
 日本と満州の関係を古代から現代まで論じた本です。いくつもの鋭い指摘があり、私の目は大きく見開かされました。

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