弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年4月26日

あなたのなかのサル

著者:フランス・ドゥ・ヴァール、出版社:早川書房
 イギリスの動物園で、ボノボの飼育場のガラスにムクドリが激突して落下した。ボノボのクニは高い木のてっぺんにのぼり、両脚で幹にしがみつき、両手でムクドリの翼をそっと広げ、オモチャの飛行機を飛ばすように飛ばした。ムクドリはまだ目がさめず、飛べないまま地面に着地した。そこで、クニは木からおりて、ほかのボノボが近づかないよう、長いあいだムクドリを見守った。やがてムクドリは元気を取り戻して飛び立っていった。このボノボの行動は、他者を思いやる共感行動ができることを証明している。
 別の動物園で、ボノボのリンダが産んだメスの赤ん坊(2歳)が、おっぱいをほしがった。赤ん坊が人工保育で育ったため、リンダのおっぱいは出なくなっていた。それでもリンダは赤ん坊の要望を理解し、水飲み場に行って口いっぱいに水を含んだ。そして、赤ん坊の正面にすわって唇をすぼめ、水を口うつしで飲ませてやった。赤ん坊が満足するまで、リンダは水飲み場とのあいだを三度往復した。
 ボノボのメスには乳房がはっきり認められる。Aカップぐらいはある。ボノボのトレードマークは、まん中分けになっている頭の毛。
 ボノボとチンパンジーは身体つきが相当ちがう。チンパンジーは頭が大きく、首が太く、肩幅も広くて、毎日ジムで鍛えているみたい。それに対して、ボノボは首が細く、肩幅も小さくて、上半身がほっそりして知的な外見をしている。二足歩行すると、ボノボは背中がまっすぐで妙に人間っぽい。ボノボは大型類人猿のなかでいちばん最後に1929年に発見された。ボノボは日本にいないそうです。残念です。
 チンパンジーとボノボは鳴き声で区別するのが一番簡単。チンバンジーはフーフーという低い声を出す。ボノボは、むしろヒーヒーといった高い声。
 野生状態のボノボは、思春期になってもとの群れを離れるのはメスのほう。オスはそのまま残り、母親の庇護を受ける。影響力の強いメスの息子は自然と地位も高くなり、食べ物をとっても大目にみてもらえる。動物園では、メスによるオスのイジメが問題になる。くんずほずれつの乱闘となって、負傷するのは必ずオスのほう。
 チンパンジーの世界は、潜在的な暴力という雲におおわれている。動物園でも野生でも、子殺しは死亡原因のかなりの部分を占める。
 第二次大戦中、動物園の近くが空襲を受けたとき、3頭のボノボは心臓発作をおこして全員死んだ。チンパンジーは無事だった。それほど、ボノボは繊細だ。
 チンパンジー社会は、1頭のオスが単独支配することはまずない。あったとしても、すぐに集団ぐるみで引きずりおろされるから、長続きはしない。チンパンジーは同盟関係をつくるのがとても巧みなので、自分の地位を強化するだけでなく、リーダーは同盟者を必要とする。トップに立つ者は、支配者としての力を誇示しつつも、支援者を満足させ、大がかりな反抗を未然に防がなくてはならない。人間の政治とまったく同じ。
 チンパンジー社会では、上下関係があらゆる面に入りこんでいる。メスがトップの座につくのは、誰もがリーダーと認めるからであり、そのため地位をめぐる争いはほとんど起こらない。オスのあいだでは、権力は早い者勝ち。年齢その他の基準で授与されることはない。あくまで競争の末に勝ちとるもの。ライバルたちに用心しながら必死で守るもの。オス同士が同盟関係を結ぶのは、あくまでお互いが必要だから。
 サルには厳格かつ安定した序列関係ができている。チンパンジーは、ケンカに介入するとき、勝者も敗者も、ほぼ同じくらい支援する。いくら形勢が有利でも、増えるのは敵か味方か予想がつかない。サルは勝者を応援する。これはサルとチンパンジーの社会が決定的に異なる点だ。負け側に力を貸したりすると、上下関係に動きが出てくる。チンパンジーのトップの座はサルの社会に比べると不安定なのだ。
 人間の笑顔は、もとをたどれば懐柔の合図。だから男性より女性のほうがいつも笑顔でいることが多い。うーん、そうなんですね・・・。だから、私は、いつもニコニコしているんですね。
 ボノボのセックス好きは有名です。だから、子どもが見物にいく日本の動物園にはボノボがいないのでしょうね。あれ、何してるの?と子どもたちに訊かれたら赤面して、引率の先生はシドロモドロになってしまうことでしょう。ボノボが交尾に要する時間はおどろくほど短く、平均14秒。だから、ボノボの日常は、いつ果てるともしれぬ乱交パーティーというのではなく、親密な性的接触をスパイスのようにまぶした社会生活である。
 セックスといえば、子づくりと性欲のためと人間は考えがちだが、ボノボにとっては、セックスのためのセックス、宥和のためのセックス、愛情表現の性行動など、あらゆるニーズをセックスで満たしている。めざすところは満足感であり、生殖はセックスの一機能にすぎない。ボノボやチンパンジーのオスは、成熟しきったメスを交尾相手に選びたがる。若いメスには目もくれない。すでに健康な子どもを産んだ実績を重視しているからだろう。
 ゴリラは、家族を守るためなら、死もいとわず敵に向かう。ボノボの生息域にはゴリラはいない。チンパンジーの活動範囲はゴリラとぴったり重なりあい競合している。
 ボノボは、永遠の若さをもつ霊長類だ。頭は小さくて丸みを帯びており、白いふさのような尾がはえたまま。声は甲高いし、メスの性器が全面にあるのも、幼形成成熟のひとつ。おとなになっても茶目っ気が抜けない。
 世界に残された類人猿は、チンパンジーが20万頭、ゴリラが1万頭、ボノボとオランウータンが2万頭だけ。2040年には類人猿に適した生息環境が完全に消えるという予測がある。
 著者の「政治をするサル」(平凡社)を読んだとき、私は本当にびっくり仰天してしまいました。まさしく人間と同じで、いかにも高度の政治をするサルの世界が紹介されていたからです。離合集散みごとな高等芸術でした。自民党の派閥抗争なんか顔負けです。果たして、人間はチンパンジーに似てるのか、それともボノボに似てるのか。また、どちらに似たほうが人間にとって幸福なのか。いろいろ考えさせられる本です。

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