弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年4月14日

フランス暴動

著者:陣野俊史、出版社:河出書房新社
 フランスでは、日本と違って、ストライキが生きた言葉として通用しています。デモも同じで、大衆デモが時の政府を大きくつき動かします。日本のマスコミが街頭デモをまったく無視し、危険視しているため、政治に対する影響力が大きく減殺されているのとは大違いです。
 1968年5月。私も大学2年生としてベトナム反戦デモに参加していましたが、フランスでは600万人がストライキに参加し、ドゴール政権の弱体化をすすめました。
 1986年12月には、シラク首相(今のシラク大統領)の教育改革に大学・高校生が反発し、100万人の参加するデモがありました。ドヴァケ高等教育相が辞任しました。
 1995年には、ジュペ首相による公務員の社会保障改革に対して200万人がデモに参加し、ジュペ内閣は1997年の総選挙で大敗して退陣しました。
 2003年5月には、公的部門の労働者が年金制度改革に反発し、200万人が参加するデモが起きました。
 そして、この2006年3月に始まったCPE(初期雇用契約)法への反発です。既に法律は成立したものの、事実上凍結され、ついに撤廃されました。はじめは高校生・大学生から始まったデモでしたが、フランス全土での労組ストライキに発展していきました。すごいエネルギーです。日本も大いに見習うべきだと思います。
 ところで、この本はCPEではなく、移民の若者たちが起こした2005年10月に始まる暴動の内情を探ったものです。
 北アフリカ出身の移民労働者が多数を占めるクリシー・ス・ボワ市では、失業率が20%に近い。暴動は3週間ほどで沈静化した。
 1968年に反抗した若者たちはブルジョワ家庭で育った学生たちだったのに対して、2005年秋に反抗したのは主に移民の2世および3世たち。社会の片隅に追いやられ、失業状態に苦しむ人や、学歴のない人たちがほとんど。
 1968年に反抗した若者たちのリーダーは、フランスやドイツでは、政財界の中枢にいるようです。そこも日本と違うところです。かつての全共闘の闘士だった人が何人か国会議員になったりはしていますが、日本では団塊世代で政治家になった人は、その世代比率の高さに反比例して圧倒的に少ないというのが現実です。いったい、なぜなのでしょうか?
 ラップが暴動をあおったとしてフランス政府からにらまれたそうです。いったいどんな歌詞だったのか気になりますので、少しだけ紹介します。
 オレたちの社会は多民族社会、一緒に行動しよう、そして共同体をつくろう、なぜって、ずっと以前から、そう、あまりに前から世界が世界である以上、色は境界線だったから、バリア、それは明らかだった
 オレは宣言する。全世界へ向けて、権威主義の裏側にある戦争を、オレは一掃する。闘う。一人また一人と打ち倒す。
 FN、スキンズ、アパルトヘイト、ゲットー。お前の色がどうであれ、お前の性格がどうであれ、どんな人種も優れちゃいない、ということを。なぜなら、成功者になるためには色なんて関係ないからさ・・・ NTM「白と黒」より
 なんだか、すごく政治的な歌詞ですよね。感心しました。

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