弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年4月 4日

少年裁判官ノオト

著者:井垣康弘、出版社:日本評論社
 少年Aの事件が起きたのは1997年3月から5月にかけてのこと。もう9年も前のことになりました。鑑定主文を少しだけ紹介します。
 非行時、現在ともに顕在性の精神病状態にはなく、意識清明であり、年齢相応の知的判断能力が存在している。未分化な性衝動と攻撃性との結合により、持続的かつ強固なサディズムがかねて成立しており、本件非行の重要な要因となった。
 直観像素質者であって、この顕著な特質は本件非行の成立に寄与した一因子を構成している。低い自己価値感情と乏しい共感能力の合理化・知性化としての「他我の否定」すなわち虚無的独我論も本件非行の遂行を容易にする一因子を構成している。
 家庭における親密体験の乏しさを背景に、弟いじめと体罰との悪循環のもとで、虐待者にして被虐待者としての幼時を送り、攻撃性を中心にすえた、未熟、硬直的にして歪んだ社会的自己を発達させ、学童期において、狭隘で孤立した世界に閉じこもり、なまなましい空想に耽るようになった。
 思春期発達前後のある時点で、動物の嗜虐的殺害が性的興奮と結合し、これに続く一時期、殺人幻想の白昼夢にふけり、食人幻想によって自慰しつつ、現実の殺人の遂行を宿命的に不可避であると思いこむようになった。
 Aの場合、男性器は正常に発達して射精もするようになっていたが、脳の暴力中枢から分化して発達する性中枢の発育が遅れているため、暴力中枢が興奮すると射精するというメカニズムになっていた。
 著者は死刑必至の事件で、人を殺すためだけの手続の主宰という違和感を感じたといいます。それが、刑事裁判官を一生の仕事にしたいと思っていた生き甲斐、誇りをこっぱみじんに打ち砕いたそうです。ところが、いま私の担当している死刑必至事件では、裁判長は、まさに人を殺すためだけの手続でよいという態度で、まったく「余計なこと」に耳を貸そうとしません。いったいこの人の良心はどうなっているのかと疑うばかりです。
 著者は裁判官として少年審判を担当していたころ、記録を3回は読みこなし、自らの言葉で少年と親に説明できるように準備して審判にのぞんでいたそうです。その真剣なとりくみには頭が下がります。
 少年Aは、今や23歳。中学・高校の教育を受けさせ、大学教育まで受けさせたら、自分の言葉で、自分のことを説明できるようになるのではないか。本人が自分の経験を言葉に紡ぐことができるほど、自分の力を高めることのできる教養を身につけさせたい。事件の前の経過から、今後どうしたいのかまで、あらゆることを本人の口、あるいは文章でいいから語ってほしい。
 著者の願いに私もまったく同感です。とかく切り捨ての論理がまかりとおっている現在の日本ですが、そんなに切り捨てていっていいとはとても思えません。逆に、切り捨てたらどうなるのか、体験者の話をしっかり聞いて、みんなでじっくり考えてみようではありませんか。
 ところで、著者は福岡家裁にもつとめたことのある裁判官です。今は定年退官して弁護士です。45年もタバコを吸って喉頭ガンとなり、声帯もろとも咽頭を切除し、食道ガンで食道の3分の2を切り捨てたそうです。タバコの害の恐ろしさです。私は、いつもタバコを吸っている人に止めるよう忠告するのですが、なかなか聞きいれてもらえないのが残念です。
 著者の近況写真ものっています。声帯を摘出したということは声を失ったということです。しかし、笛式人工声帯で発声し、外に積極的に出るようにしていますと紹介されています。たいしたものです。これからも、引き続き元気に活躍されますよう、はるか福岡からエールを送ります。

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