弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年2月 6日

ディープ・スロート、大統領を葬った男

著者:ボブ・ウッドワード、出版社:文芸春秋
 「大統領の陰謀」は、もちろん私も読みました。誰が新聞記者に情報を提供していたディープ・スロートだったのか、長いあいだの謎となっていました。それこそ日の目を見ずに「迷宮入り」になると思っていたところ、ディープ・スロート本人が名乗り出てきたのです。
 正直いって、この本は犯人の答えが分かって読む推理小説のようなものだから・・・と、読む前は、まったく期待していませんでした。ところが、どうしてどうして、さすがアメリカの敏腕記者だけのことはあります。地下駐車場での会合の様子、連絡のとりあい方などをふくめて、当時の状況がリアルに再現されていて、再びウォーターゲート事件の発覚当時の状況を追体験することができました。
 それにしても、FBI副長官がスパイだったとは・・・。
 ニクソン政権は記者に情報を漏らしている高官を突きとめるため、ホワイトハウスの補佐官の電話回線17本を盗聴していたそうです。日本は、どうなんでしょうか・・・。
 ボブウッドワードがフェルト副長官と知りあったのは、まだボブウッドワードが記者になる前からのことだったのです。人生の出会い、そして体当たり取材の大切さをしみじみ感じました。
 なぜフェルト副長官はスパイ行為をはたらいたのか。今にして思えば、フェルトは自分がFBIを護っていると自負していたのだ。ウォーターゲート事件に無数の触手があることを示す材料をFBIはつかんでいたが、それらは顧みられず、葬り去られていた。政治的理由からFBIを操ろうとしたニクソン政権とそのやり口を、フェルトは徹底的に侮蔑していた。フェルトは恐らくボブウッドワードを自分の諜報員と見なしていたのだろう。
 ところで、ニクソン大統領はフェルトがディープ・スロートだということを補佐官から知らされた。そのときの秘密録音テープには次のような会話がある。
 「フェルトはFBIのトップの地位が欲しいのです」
 「やつはカトリックか?」
 「いいえ、ユダヤ教徒です」
 「なんだと、ユダヤ人がFBI上層部にいたのか?」
 「それで万事説明がつくでしょう」
 このやりとりは、ボブウッドワードの周辺に、つまりポスト紙にもディープ・スロートがいたことを示しています。
 フェルトはたしかにフーヴァーFBI長官が死んだあとの長官になるつもりでいました。ところが、それが2回も裏切られてしまったのです。ただし、それだけが原因でポスト紙への情報提供者になったのではないようです。
 フェルトはFBI副長官として、1972年当時の現場捜査官の不満と疑念を知っていた。FBI局内は、ニクソンは嘘をついている、ホワイトハウスはもみ消そうとしているという叫び声があがっている。
 ニクソン政権がFBIにとってきわめて由々しい問題になったのは、上層部ぐるみで支配権を握ろうとしたから。FBIの中立公正とそれにともなう優位をふたたび強化する道具としてフェルトはウォーターゲート事件を利用した。最終的には、FBIは深刻ではないものの長い歳月癒えない損害をこうむった。ニクソンの痛手はさらに大きかった。いや、すべてを失った。大統領職、権力、道徳的権威の残滓。ニクソンは汚辱にまみれた。マーク・フェルトはそれと対照的に、わが道を歩み、ひそかな人生に耐えて生き延び、勝利をおさめた。
 ニクソンの側近のほとんど全員がニクソンを裏切った。証言し、回顧録を書いた。ニクソンの不満や怒りについて語り、大統領の権力を利用して仮想の敵や現実の宿敵に対する過去と現在の借りを返すのにいそしんでいたことを明らかにした。
 ウォーターゲート事件が起きたのは1972年6月のことです。当時、私は司法修習生でした。当時、私たちのクラスに青法協についてスパイ活動をしているとしか思えない人もいました。日刊のクラス新聞を出したり、堂々と活動していたのですが、研修所当局からは目の上のタンコブみたいに思われていたのでしょうね。なにしろ、研修所に入所する前に、司法修習生の全員について公安調査庁が身元調査をしていたのですから。今はしていないのでしょうか・・・。
 やがてニクソン大統領が辞任発表するに至ったわけですが、アメリカって本当に奇妙な国だなと感じたことを今でも覚えています。

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