弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年2月 2日

安田講堂

著者:島 泰三、出版社:中公新書
 1969年1月、安田講堂の攻防戦がテレビで実況中継されました。東大闘争とはこの攻防戦のことと思いこんでいる人があまりに多いので、私の親しい友人は、そのような誤った認識を少しでも解消しようと「清冽の炎」(花伝社)第1巻を発刊しました。
 この「安田講堂」は、社青同解放派のメンバーとして安田講堂に残留し、機動隊と「華々しく」闘い、懲役2年の実刑を受けた人による本です。
 要するに、安田講堂から東大生は卑怯にも全員逃亡したと世間から思われているが、実は、70人も残って闘ったのだ。そして、著者をはじめ懲役刑を受けた東大生が何人もいたということが著者の言いたいことです。そこには何の反省もありません。悪かったのは日本共産党系の学生であり、全共闘は正しかったという言葉のオンパレードです。いえ、考え方が違うのは、お互い、どうしようもないことです。でも、事実をこんなに曲げてしまっては困ります。私は当時、駒場の一学生でしたが、駒場には全共闘対日本共産党系学生そして右翼の学生しかいなかった、などと単純に片づけられていることにはすごい異和感があります。
 著者はマダガスカルのなぜのサル、アイアイの研究者でもありますので、私も、それらの本は感心しながら読みました。しかし、この本は、全共闘賛美につらぬかれているだけではなく、宮崎学の本「突破者」をうのみにした間違いが多すぎて嫌になってしまいます。「東大闘争資料集」を参照したのなら、もう少し事実を確認してほしかったと思います。
 たとえば、11月12日の総合図書館前の激突について、全共闘がぶつかったのは宮崎学らが指揮する「あかつき部隊」500人だとしています。全都よりすぐりの暴力部隊、暴力のプロだとされています。たしかに都学連部隊が予備として控えていたそうです。しかし、ここで全共闘と激突したのは駒場の学生(東大生)が主力でした(私も、その一人です)。
 12月13日の駒場の代議員大会についても、「日本共産党系部隊の公然たる暴力のなかで開かせ、その暴力で実現した会議決定」というのには、とんでもないデタラメさに噴き出してしまいました。あまりに全共闘を美化すると、こんなにも世の中のことが見えなくなるのですね。むき出しの暴力をふるったのは、当時すでに少数・孤立化していた全共闘の方だったことは、駒場の関係者に少し聞いたらすぐに分かることです。
 1月10日夜の駒場寮の攻防戦にしても、「部屋のひとつひとつの取りあいという市街戦に似た攻争」というのはまったくの間違いではないにしても、全共闘が制圧したのは三棟のうちの一つ、明寮の1階のみです。寮生であった私は、その2階にいたので(たまたま1階にいたら、全共闘に攻めこまれて2階へ逃げたのです)間違いありません。私の周囲には、ほかにも大勢の寮生がいました。いわゆる民青の外人部隊が大勢いたのも事実です。そして、このときには、たしかに「あかつき部隊」が来るというマイク放送があっていました。それにしても、中公新書という伝統を誇る新書にこのような間違った記述があると、それが歴史的事実だとして定着するのでしょうね。本当に恐ろしいことです。
 私の友人の本(先ほどの「清冽の炎」)は小説ですし、すべて真実だとは言いませんが、やはり歴史を語るのであればもっと客観的な事実をふまえてほしいと思います。「清冽の炎」はちっとも売れていないそうです。このままでは、2巻目以降の発刊は危ぶまれています。みなさん、ぜひ買って応援してやってください。

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