弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月26日

メディアの支配者

著者:中川一徳、出版社:講談社
 上下2巻の大部の本ですが、なかなかの読みごたえがありました。
 今をときめくホリエモンが、ニッポン放送の株を50%も手に入れ、その乗っとりが大騒動をひきおこし、日本中を騒がせたことはまだ記憶に新しいところです。あまりに世間を騒がせたことが財界中枢の怒りを買ったせいか、ホリエモンは東京地検特捜部ににらまれ、ついに逮捕されてしまいました。
 それはともかくとして、乗っとられようとしたフジサンケイグループの日枝会長が、実は、自分自身も同グループ議長(鹿内宏明)を追放して乗っ取った張本人であることを知り、因果は巡ると思いました。しかも、日枝会長は若き日に、労組を認めないという右翼的な会社のなかで隠密裡に労働組合を結成したうちのひとりだったのです。変われば変わるものです。
 フジサンケイグループが躍進するきっかけとなったのは、箱根にある彫刻の森美術館だった。これにも驚きました。今では年間200万人もの見学者があり、経営としても安定している美術館です。私も、ずい分前のことですが、一度だけ行ったことがあります。見晴らしのいい高台にヘンリー・ムーアの大きな彫像があったことを覚えています。
 この美術館はグループ各社からの寄付金で成り立っているが、オーナーの鹿内(しかない)一族は自分たちの私有物であるかのようにふるまってきた。
 社内の人事抗争の激しさでは、産経新聞も人後に落ちない。
 1992年7月21日、午後1時から産経新聞の取締役会が開かれた。2つ目の議案に移ろうとしたとき、突然、鹿内宏明の解任を求める緊急動議が提出された。予定の議題にはない。鹿内議長は予定議題に「その他」がないので認められないとして却下しようとする。しかし、議長は特別利害関係人になるから交代して別の人が議長になるべきだという動議が続いて、ついに鹿内議長の不信任が可決された。クーデターが成功したわけだ。
 この本では、このクーデターが成功するまでの根まわしの詳細がことこまかに紹介されています。会社内で子飼いの部下のいない鹿内宏明はまるで裸の王様だったようです。
 産経新聞でクーデターが起きて自民党が心配したことは、その報道姿勢が朝日や毎日のようになったら困るということでした。だから、クーデター派は、そんな心配はいらないと必死でうち消しました。いかにも自民党好みの産経新聞です。
 司馬遼太郎は産経新聞OBだとのこと、私は知りませんでしたが、このクーデターにいちはやく祝辞を寄せ、クーデター派を力づけたそうです。右寄り史観の司馬らしい行動です。
 こんなクーデターがあったフジサンケイグループに、あるべき社史が存在しないのも当たり前のことかもしれません。これまでの日本史教科書を自虐史観として否定して右翼教科書のキャンペーンをはってきた産経新聞は、実は自らの歴史を編むことすらできない。こんな痛罵を著者は投げかけています。ふーむ、そうなんだー・・・、と思いました。
 ニッポン放送は共産党に対抗するためのラジオ放送としてスタートしたということも初耳でした。うまれる前から財界御用達の放送局だったわけです。フジテレビも、面白くて視聴率が高ければいいという軽薄さで若者を引きつけました。
 フジサンケイグループは中央マスコミで唯一、世襲が実現し、成功した。それは組織をあげて利益追求に突進する集団だったからだ。
 テレビ局は政官財有力者の子弟がコネで入社するのが横行するところだ。
 産経新聞は、ほかの新聞に比べて組織購読が多く、個人読者が少ない。その組織というのは、警察そして自衛隊だ。それから宗教団体。なーるほど、ですね。右翼新聞を支える実体が分かりました。
 日頃、面白ければいいと高言していたフジサンケイグループがホリエモン攻勢にあうと、一転して、メディアは公器だと言いはって心ある人の失笑を買いました。右翼テレビ・新聞のお寒い実体をまざまざと知らされる本です。

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