弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年1月 7日

民族浄化を裁く

著者:多谷千香子、出版社:岩波新書
 著者は検事になったあと、ヨーロッパで旧ユーゴ戦犯法廷判事をつとめて退官し、現在は法政大学法学部の教授です。
 実は私は著者と司法試験の口述試験を受ける直前に一緒に口述試問の練習をしたという記憶があります。そのときから英語もフランス語もペラペラで、世の中にはすごい人もいるんだなあと感心したことを覚えています。
 民族浄化の実像は、血で血を洗うバルカンの歴史が生んだ民族の怨念の再来とか歴史の必然などと片付けられるものではない。それは当時の指導者が仕掛けた権力闘争がわざと引き起こしたものにすぎない。共和国の独立による旧ユーゴ連邦分裂の危機を千載一遇のチャンスとして積極的に利用し、他民族の攻撃から自民族を守ることを口実に自分の権力基盤の確立を目ざして、国土の分捕り合戦をしたのだ。他民族が集団殺害を計画していると嘘の宣伝をして、あたかも身に危険が差し迫っているかのような現在の不安を強調したり、他民族に天下をとられて二級市民の悲哀をなめることになるかもしれないという将来の不安を煽った。そして、過激で分別のない若者や前科者などの無法者が民族浄化の実行部隊として使われ、野放しのまま放置された。指導者たちは、表では彼らの犯罪の取り締まりを約束しながら、裏では実行部隊を利用した。
 民族のモザイクといわれる旧ユーゴでも、ボスニアを除けば、それほど異なる民族が入り組んでいるわけではない。
 そして、ユーゴの民族の違いは、客観的事実というよりは、歴史的に作られた各民族の自己認識の問題といった方が正確である。セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、モンテネグロ人は、いずれも5〜7世紀にこの地に南下してきた南スラブ人の一分派であって、血統的にはすべて南スラブ人。言語も南スラブの方言程度の違いしかない。ええーっ、そうなんだー・・・。ちっとも知りませんでした。まったく別々の民族がいりくんでいるのだとばかり思っていました。
 しかし、彼らが独自の民族として自覚し、主張するのは、別々の歴史を歩いてきたことによる。セルビア、マケドニア、モンテネグロは500年にわたってトルコの支配下におかれ、スロヴェニア、クロアチアはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下におかれていた。この違いが大きい。歴史の違いは、埋めることの難しい、宗教や文字を含めた文化の違いをもたらし、各民族の自意識にしみ込んでいった。
 モスリム人も、血統的にはセルビア人やクロアチア人と変わらず、トルコ支配下でイスラム教に改宗した者の子孫にすぎない。トルコは、異教徒には比較的寛大だったが、イスラム教への改宗者には課税しなかった。
 旧ユーゴの崩壊は、国際社会の対応のまずさを抜きにしては論じられない。胎動してきたボスニア紛争の大きな引き金を引くことになったのは、ドイツによるクロアチアの独立承認である。ドイツに批判的だった他の先進諸国も、ドイツに追随してクロアチアの独立を承認したことは、致命的な状況判断の誤りであり、紛争がボスニアに拡大するのをほとんど決定的なものにした。
 民族浄化をすすめた民兵の残虐行為はナチスに酷似している。それが特殊な出来事ではなく、人間性に本来的に根ざしたものであり、これからも起こる可能性がないとは言えないことを示す。暗い一面であっても、変わらないものなら、それを直視する以外、正当な対処方法はない。将来の紛争の予防策は、同じような残虐行為を繰り返しかねないこの人間性を直視することから始めなければならない。
 ユーゴ戦犯法廷の判事の一人に日本人がいて活躍していたこと、それがこのようなコンパクトな形で日本人に知る機会を与えてくれたことに感謝します。

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