弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年12月28日

大江戸の姫さま

著者:関口すみ子、出版社:角川選書
 寛永11年(1634年)、大名妻子の江戸在府制が確立した。そこで、大名家ごとに「江戸にいる姫さま」が誕生した。幕末の文久2年(1862年)まで、これは続いた。この間の228年間、江戸で多くの姫さまが暮らしていたわけである。
 姫さまのペットに狆(ちん)がいたというのを初めて知りました。といっても、平たい顔で耳の垂れた小さな犬を、みんな狆と呼んでいたようです。狆を抱いた姫さまの肖像画も初めて見ました。狆のお墓まであったというのです。昔も今も変わりませんね。有名なシーボルトは狆の剥製をオランダに持って帰り、今も残っています。
 姫さまは歌舞伎も好きだったようです。有名な絵島生島(えじまいくしま)事件では御年寄りの絵島も役者の生島も、ともに配流・島流しになっています。紀州家の姫君(豊姫)が行列を組んで芝居を見に行ったことが問題となり、姫君は国元へ押込め、重臣は1人切腹させられ、ほかにも解雇された事件があったそうです。逆にいうと、それほど芝居は昔から人気があったというわけです。
 八代目の市川団十郎は人気絶頂のとき、32歳で自殺してしまいました。すると、女性が大勢泣き叫んで大変だったそうで、その姿を描いた絵が紹介されています。現代のヨン様騒動を思わせる熱狂ぶりです。これまた、昔も今も変わらないのですね。
 綱吉も吉宗も、その娘たちを有力大名に次々に嫁にやり、支配基盤を固めようとしました。吉宗は、島津家になんとか嫁にもらってもらおうと、いろいろ画策したそうです。
 吉宗はよその娘を養女にして身分を格上げしてから、大名の奥方として、壮大な儀式をとりおこなって次々に送り出していきました。これは、妻の地位が夫より高くなることにもなるので、「夫は妻を主君のごとくあしらい」という事態になっていると荻生徂徠が批判したとのことです。つまり、妻の地位は江戸時代に、それほど低いものではなかった、否、むしろ妻の地位の方が夫より高いことは不思議でも何でもなかった、ということです。
 ちなみに、八代将軍家斉は50数人の子どもをもうけたことで有名ですが、その子どもたちを男子は有力大名の養子として、女子は姫君として嫁がせています。ところが、男子の大半は20歳になるまでに亡くなり(50歳をこえたのは1人)、女子は12人のうち6人が若くして亡くなり、残る6人だけ50歳をこえています。やはり、相当なストレスがあったのではないかと考えられます。
 江戸に住んでいたお姫さまたちの生活の一端を知ることができました。

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