弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年12月28日

性と生殖の近世

著者:沢山 美果子、出版社:勁草書房
 明治になって民衆の堕胎は日本史上初めて犯罪になった。堕胎は近代に至るまで犯罪ではなかった。堕胎が処罰されるようになったのは、富国強兵策の重要な柱である人口増加政策として制定されたもの。
 以上は、いわば今日の私たちの常識のようなものです。しかし、この本はそれは間違いだと強調しています。江戸時代、藩レベルで堕胎・間引きは犯罪として取り締まられていたというのです。津山藩には「赤子間引取締」(1781年)があり、産まないことの禁止・取締に重点をおいていた。仙台藩には赤子養育仕法があって、産むことを奨励し、その救済に重点を置いていた。
 天保2年(1831年)に津山藩主となった松平斉民は、堕胎・間引き禁止政策の一つとして、「西洋書」でみた「露西亜」の育児院のようなものができないかと諮問し、町奉行が育子院構想を答申した。ええーっ、そんなことが江戸時代に考えられていたとは、驚いてしまいました。ロシアに漂流した大黒屋光太夫が日本に帰国してロシアの事情を語った「北槎聞略」などを藩主が読んだらしいのです。
 岡山藩では、捨子養育者に褒賞を与える措置がとられていました。藩が捨子の養育に措置したため、拾われることを期待した捨子をうむことにもなったそうです。
 一関藩の育子仕法では、妊娠・出産について節目で届出が求められていました。月経が停止して5ヶ月たつと、着帯届をしなければいけませんでした。これは、妊娠・出産の管理の意味をもっていたのです。2人目の子どもまでは自力で育てるべきだけど、3人目からは養育料が貸与されていました。ただし、生活が困窮しているかどうかの調査がありました。
 また、この本は江戸時代から明治にかけて津山市で活躍していた女医(光後玉江)が紹介されています。そんな記録が残っていたこと自体が驚きですが、それを現代文にして世に紹介した人もすごいと感心しました。
 江戸時代について、考え直させる本でした。

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