弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2005年12月28日
9.11 生死を分けた102分
著者:ジム・ドワイヤー、出版社:文芸春秋
2001年9月11日。9.11のあのとき、自分は何をしていたのか。かなりの人が覚えていると思います。私は先輩弁護士2人と小料理屋で会食し、夜遅くホテルに戻って何気なくテレビをつけて初めて知りました。あのとき、映像を見ながら心底が凍えるような、悪寒に震えてしまいました。戦争が始める、いや始まった。そんな恐怖心を感じて、しばらく寝つけませんでした。
1機目が北タワーに突入したとき、ワールドトレードセンターには1万5千人もの人がいました。それから南タワーが崩壊するまでの102分のあいだに現場で何が起きていたのかを刻明に再現していった本です。
北タワーが攻撃されたのは午前8時46分31秒。南タワーは、その16分28秒後に攻撃された。ところが、南タワーの方が先に、午前9時58分59秒に崩壊した。北タワーは、その後、10時2分25秒、つまり29分26秒後に崩壊した。つまり、北タワーでは102分、南タワーでは57分、何千人もの人々が避難する時間があり、実際に避難できた。
ワールドトレードセンター全体で、避難が遅れて建物が崩壊する前に脱出出来なかったために死亡した人は1500人以上にのぼるとみられている。
ワールドトレードセンターでは1993年2月26日にも地下駐車場でテロリストたちが爆弾を破裂されるテロ行為があった。しかし、高層ビル自体はまったく無傷だった。だから、技術者は自信をもち、当時もっとも大きな飛行機であったボーイング707が衝突しても、この建物は倒壊しないと断言していた。
この建物は、たしかに飛行機の衝撃にも耐える強度をもっていた。建物の巨大な重量を縦の線にそって下に逃がし、土台とその下の岩盤で受けとめるようにした。これで十分に余裕のある強度を確保することができた。実は重力より大きな問題があった。それは、風だ。タワーのどの面もハリケーン並の時速200キロ以上の風に耐えられるようになっていた。ふつうの天候の日でも、建物が受ける風の圧力は9.11の旅客機が与えた力の30倍だった。タワーの質量はジェット機の1000倍。この差を考えたら、飛行機がぶつかったあとも、建物がそのまま立っていたのは不思議ではなかった。だが、建物のなかにいる人たちの安全を考慮した設計にはなっていなかった。
高層ビルの火災に対しては、建物自体がそこにいる者を保護することが前提となっている。炎上しておらず、煙も充満していないフロアにいる者は、逃げようとするよりも、そのままそこにとどまった方が安全だというのが基本的な考え方。
ワールドトレードセンターは、建物内の全員が一斉に避難するという事態を想定して設計されていなかった。それでも、各棟には、それぞれ全部で99基のエレベーターが設置されていた。
ジェット機に積まれていた4万リットルの航空機燃料は巨大な火の玉となった。最大時には幅が60メートル、建物の幅と同じくらいに広がった。燃料自体は恐らく2、3分内に燃えつき、その大部分は、建物の外に噴き出したが、一部はエレベーターシャフトを伝って建物内に広がった。北タワーの上層階には、旅客機の突入後も1000人近い人たちが生存していた。
センター内にいた人々は、椅子やコンピューターのディスプレイなどを手当たり次第に投げつけて窓ガラスを割り、新鮮な空気を得ようとした。しかし、その結果、その部屋と、その上の部屋に炎を呼びこんでしまった。
午前9時半までに、南タワーに出勤してきた6000人の大半があともどりして建物を出た。南タワーからの避難は8時46分に始まっていた。9時半の時点では1000人が建物内にいた。このうち600人が生還しなかった。200人は旅客機が突入したとき即死したと考えられる。南タワーにこもっていたエネルギーは、2億7800万ワット時(2億3900万キロカロリー)という途方もないものだった。そのすべてが建物が崩壊した瞬間に放出された。それは原子爆弾100分の1個分のエネルギーだった。アトランタやマイアミといった規模の街に1時間電力を供給できるだけのエネルギーだ。その強烈な衝撃は、400キロメートルも離れたニューハンプシャー州リスボンにある地震計が波動をとらえたほどだった。
警察の高層ビル専門チームが、近くのヘリコプター発着場に集合し、センターの屋上にロープづたいに降りろという命令に備えて待機していた。しかし、警察本部長が、屋上は煙と熱がひどすぎると判断し、ヘリコプターの出動を止めた。
消防局の指導部は、タワーの高層階で燃えている火を消すのは不可能だと考えていた。消防隊員は何十キロの重さの装備を携行していたが、そのような道具を使用して鎮火にあたることは求められてはいなかった。
北タワー上層階にいて、8時46分の旅客機の突入ののちも命があったのに、通れる非常階段を見つけることができなかったため、1000人あまりの人が助からなかった。
北タワーが崩壊したとき、200人もの消防士が建物内にいた。南タワーが崩壊したことを知らされていなかった。これは、警察と消防の間の意思疎通、情報交換がなされなかったことによる。南タワーの78階より上にいて助かったのは、わずか4人。北タワーでは、高層階は死のフロアーになってしまった。
消防士たちが勇敢な救出活動に励んでいたこと、また情報が途絶したために多くの人が殉職していったことが分かります。痛ましいテロ攻撃を根絶したい。つくづくそんな気にさせる本でした。