弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年12月28日

刀狩り

著者:藤木久志、出版社:岩波新書
 この著者の本には、いつも目が大きく開かされる思いです。難しく言うと、刮目(かつもく)に値する本です。
 秀吉の刀狩りによって日本人は武装解除され、それ以来、日本人はながく丸腰の文化を形成してきたというのが今の私たちの常識です。でも、この常識は本当なのか。この本を読むと、まったく違った日本人像をもたざるをえなくなります。
 ちなみに、私は、日本人は聖徳太子の「十七条の憲法」以来、和をもって貴しとなしてきた、争いごとを好まず、裁判沙汰を嫌う国民性があるという常識も間違っていると考えています。だって、あの「十七条の憲法」をよく読んでみてください。このところ(もちろん、聖徳太子のいた当時のことです)、裁判があまりにも多い。裁判官も賄賂をもらっていいかげんにしている。もっと仲良くしないとダメじゃないかと、当時の日本人に反省を迫っている文章なのです。争いごとを好まないどころか、あまりに争いごとを好むから、ホドホドにして、せめて裁判は減らせと聖徳太子は言ったのです。
 まちがった常識のひとり歩きは恐ろしいものです。戦国時代に日本にいた宣教師ルイス・フロイスは、「日本史」のなかで、このように書いています。
 日本では、今日までの習慣として、農民をはじめとして、すべての者が、ある年齢に達すると、大刀と小刀を帯びることになっている。
 このころ、刀と脇差は、自立した男たちのシンボルでした。それは、なにも武士だけでのことではなかったのです。つまり、武装解除された丸腰の民衆像というのは、虚像でしかありません。
 当知行(とうちぎょう)の原則とは、中世の山野河海は、村々の自力(武装と闘争)によって、つねに確保できているかぎり、自分の村のものであるという鉄則のこと。
 自検断(じけんだん)とは、村の治安を守るために、また、ナワバリ争いのときに守るために武器をつかい、人を殺す権利も村ごとに行使すること。
 同じ宣教師ロドリゲスは、成人の祝いとしては、名前を変えること、前髪をそること、刀・脇指を帯びることの3点セットで成り立っていたと指摘している。
 サムライとは武士ではなく、刀をさすおとな百姓のことであり、刀をさす資格のない小百姓をカマサシと呼んでいた。 山村では、ふだんの山仕事のとき、村の男たちは脇指をさして山に入っていた。
 ルイス・フロイスは、秀吉の刀狩りのポイントは、武士でない者からすべて刀を没収すること、つまり刀のあるなしで、武士と武士でない者とを峻別しようとすることにあるとした。刀狩令は身分を決めるためのものと見抜いたのだ。
 刀狩りのあと、村々の現実はどうだったのか。徳川時代にも、村々には、弓・ヤリ・鉄砲・長刀・刀など、さまざまな武器がたくさんあり、祭りの場でつかわれ、紛争の場に持ち出されていた。
 寛永18年(1641年)に、新潟・魚沼と陸奥・会津との間で国境争いがあった。このとき、会津方は、鉄砲150挺、弓60張、ヤリ100本ほど持ちだしたと越後側は非難した。それほどの武器を会津の村々が持っていたというわけである。
 徳川幕府は、秀吉の刀狩令について積極的に受け継いだ形跡はなく、また廃棄した様子もない。
 肥後の加藤忠広(清正の子)が改易され、小倉から細川忠利が移ってきた。寛永10年(1633年)、忠利は次のように指令した。
 庄屋は刀・脇指をさすこと。百姓は脇指をさせ。持たない者は、すぐに買い求めてさせ。もし、ささないなら過料をとる。
 1635年(寛永12年)に、肥後藩内に1603挺もの鉄砲があり、天草一揆のあとの1641年には、2173挺へ136%に増えていた。それほどの鉄砲が村々にはあった。
 1642年(寛永19年)、尾張藩は、町人や百姓がふつうの刀・脇指はいいが、大刀、大脇指はダメ。ただし、鞘の色は派手すぎてはいけないという法を出した。外観だけ規制されていた。江戸町人も同じで、長刀や大脇指をさしているのを取り締まる必要があるとされたほど(1648年)。町人たちは、ふだん外出するときも、脇指を身につけていた。
 一揆のときには、鉄砲をつかわないという原則が人々のあいだに貫徹していた。それは領主側も同じことだった。うーむ、すごいことですよね、これって・・・。
 第二次大戦が終わって、全国で武器が没収された。このとき、長野県だけで5万本をこえる日本刀が、熊本県でも2万本をこえる日本刀が没収された。拳銃は1万挺、小銃も猟銃も、それぞれ40万挺近くが没収された。これほど日本人は武器を持っていたのである。日本刀は全国で530万本はあったとされている。つまり、日本人はこれだけ大量の武器をもっていながら、自ら抑制し凍結してきて今日に至ったのである。平和を守るための強いコンセンサス(共同意思)が働いていたというわけである。
 なるほど、なるほど、日本人は決して丸腰ではなかった。それでも、平和を守ってきた。ルールを守って平和を維持してきたのだ。このことがよく分かる素晴らしい本です。

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