弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年12月16日

清冽の炎

著者・神水理一郎、出版社:花伝社
 1968年の東大駒場寮に住む寮生がセツルメント活動にうちこみながら、東大闘争がはじまると、そちらにも参加しつつ、自分の生き方をあれこれ悩んでいくという展開で第1巻が始まりました。
 私も同じころ駒場寮で生活していました。6人部屋です。カーテンもなにも仕切りはなく、机とその上の本棚だけが区切りになっていました。ベッドが6台あり、床はリノリウム張りです。スリッパでペタペタ歩いていました。学生運動はなやかなりし頃ですが、セクトの活動部屋もあったものの、700人からの寮生は平穏に生活していました。いえ、もちろん、ときにはストームもあったりして、騒々しい夜もありました。でも、たいていは真面目に本を読み、勉強していました。テレビは見た覚えがありませんが、マンガ本はよく読んでいました。「あしたのジョー」とか「カムイ伝」とかに熱中していました。
 6人部屋で、当然20歳前後の学生ばかりでしたが、猥談をした記憶はほとんどありません。経験に乏しく、そのネタもなかったのでしょう。よくダベっていましたが・・・。
 アメリカによるベトナム侵略戦争に反対するのは当然だという雰囲気でした。将来、自分は何になるのか、何をめざすのかという青臭い議論を真面目にしていました。といっても、そんな議論を冷ややかに眺めて、傍観している寮生もいました。
 囲碁のプロをめざすと高言して全然授業に出ない寮生がいて、みんなで心配したこともあります。
 クラスに出ると、自家用車を乗りまわす都会派のカッコイイ金持ちのボッチャンが多くてコンプレックスを感じました。それでも寮に戻ると、貧乏学生でも気にならない、そんなアットホームな気分に浸ることができました。方言まるだしで、家庭教師に出かけて恥ずかしい思いをしたこともあります。関西弁はどこでも堂々とまかりとおっていましたが。
 東大闘争がどうして始まったのか。なぜ、あれほど一時期、過熱したのか。そして闘争のあと、みんなおとなしくなりすぎたのはなぜなのか。これは私の一生かけて解明したいと思っている謎です。団塊世代からの政治家って、本当に少ないでしょ、人口比の割に。かつて学生時代に騒いだ割には、あまりにも政治に関わっている人が少なすぎると私は考えています。保守的な気分の強い無党派層の中核をなしているのが、大卒の団塊世代だという分析を知り、本当に驚いています。打倒・自民党というわけではないのです。団塊世代は会社に入って企業戦士になったと言われていますので、体制打破というより体制に順応してしまったのですね。
 見るべきほどのことは見つ。そんな心境なのでしょうか。内ゲバと浅間山荘事件などの悪影響が尾を引いているのでしょうか。サルトルのアンガージュマンの提唱に心ひかれた学生が多かったと思うのですが・・・。
 学生が地域に出かけていき、現実とふれあうというセツルメント活動は、今こそ残念ながらありませんが、当時は大変な盛況で、全セツ連大会には何百人ものセツラーが集まっていました。そして、今の40代の人々までは一定の影響力をもっています。そのセツルメント活動って、どんなものだったのか、何をしていたのか。その記録がほとんどないのが私には残念でなりません。この本は、子ども会活動そして青年部サークルのことが紹介されています。
 東大闘争というと東大全共闘ということになりますが、もう一方には民青(民主青年同盟)がいましたし、クラス連合(クラ連)というノンセクトもいました。
 この本は、そんな学生集団の動きを当時の記録をもとに忠実に再現しながら、悩める青年たちの恋愛を描く小説としてたどっていこうとする意欲的な労作です。読みものとしてはもうひとつという気がしますが、1968年のあの息吹を伝えるものとして、一読を強くおすすめします。
 今朝の朝日新聞の一面下に広告ものっていますので、ぜひ本屋に注文してください。

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