弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年12月 1日

境界線を越える旅

著者:池 明観、出版社:岩波書店
 私も「韓国からの通信」を愛読した一人です。といっても「世界」に連載されていたのを読んでいたというより、岩波新書にまとめられたものを読んだということです。岩波新書で4冊あります。ここに良心の叫びがある。そんな気がして、毎回、読みながら自分はこのまま何もしなくていいのかと、身もだえする思いでした。
 「世界」の1973年5月号から1988年3月号まで15年間も連載されていました。400字詰めの原稿用紙で1万枚ほどの分量になるというのですから、それだけでもたいしてものです。もちろん、その量よりも質です。その伝える事実の重みに泣きながら書いていたというのですが、惻々とした、いかにも抑えた筆致で、読み手の心に重くズシンと貫きました。
 その著者「T・K生」は長らく謎の存在でした。おそらく韓国内にいる複数の人物(学者)だろうと推測されており、私もそのように想像していました。しかし、それは日本にいる韓国人学者だったのです。本人が名乗り出たわけです。KCIAの探索もはねのけ、長く秘密が守られてきたことにも畏敬の念にかられます。
 この本は「T・K生」こと池明観教授の生い立ちから現在の心境を本人が語ったものです。読みはじめると、人間の良心とはこういうことなのかと、心が震える思いで、最後まで一気に読み通してしまいました。
 著者の父親は貧しい小作農民。精米所のベルトにからまる事故にあってまもなく死亡。著者はこのとき3歳。30代前半の若い母親と2人、苦難の人生を歩き始めた。
 小学校で大酒飲みの進歩的な先生(担任)に出会った。後に出会ったときには、この先生は共産党の幹部になっていて、著者と意見を異にする。しかし、小学生のころの著者に対して絶大な影響を及ぼした。やがて苦学しながら北京に学び、また韓国で師範学校で教え、さらにソウル大学に入った。大学3年生のとき、朝鮮戦争が始まった。
 この戦争は起こるべくして起こった。著者はこのように言い切ります。朝鮮半島は、北も南も、矛盾のなかに大いに荒れすさんでいたからです。
 韓国では、健康な若者は軍隊に引っぱられ、健康の悪い者は棍棒でたたかれて放免された。イデオロギーとは、いったい何のためのものであるのか。戦いの中で人間は残忍になる。人を殺せば勲章がもらえる。この世に生き残れる者は残忍なものだけなのか。
 著者は警備隊に入り、軍隊に入ります。そこで、軍隊の本質を見せつけられます。
 高級将校は避難民の女性を宿舎に隠しているのに、兵士が女性と性行為をすれば、当の女性が強姦などされていないと叫んでも銃殺刑に処せられる。他人には厳しく、自分には甘い。わが身の延命が最優先。軍人による正しい政治など可能であるはずがない。軍隊は腐敗していた。多くの高級将校がそうだった。5年間の軍隊生活のなかで、良心的な高級将校には出会ったことがない。将官級にのぼればのぼるほど、幻滅は増していくばかりだった。軍人生活のなかで優れた人間が育つことはない。
 韓国は軍人社会をくぐり抜けて、ようやく民主化を達成できました。その民主化運動には、著者のような海外にいる韓国人の運動があったことがよく分かります。
 金大中が大統領になった。ところが、その在任5年のあいだに金大中事件のことを調べたら真相は分かったはずなのに、金大中はなぜか真相を明らかにしなかった。これは現代史の謎のひとつだ。
 著者は、1993年4月、20年ぶりにソウルに戻りました。そして、今では韓国側から日韓問題について意見を述べています。
 日本は門戸を開放して世界交流をなしたときに繁盛し、その門戸を閉ざしたときに敗北している。これは厳然たる歴史的事実である。
 なるほど、そうです。そうなんです。教科書問題といい、小泉首相の靖国神社参拝といい、自らの過去を反省せず、海外友好を考えないでは日本の繁栄はありえません。
 著者は、いまの廬武鉉(ノムヒョン)大統領にも苦言を呈しています。廬武鉉は軍事政権と戦ってきたはずなのに、国民のなかに敵と味方をつくりあげている。これが韓国の政治状況全体を暗くしている。革命を口にしながら反革命に傾斜している。
 うーむ、厳しいな。思わず、私はうなってしまいました。それでも、日本の小泉首相よりはよほどまともな大統領だと思うのですが・・・。

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