弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年11月18日

吉野ヶ里遺跡

著者:七田忠昭、出版社:同成社
 吉野ヶ里遺跡には何度か出かけました。今ではかなり整備されていますので、1989年の衝撃のデビュー当時の、いかにもにわか仕立ての発掘遺跡めぐりとはがらり様子が変わっています。すこぶる頑丈に想像復元されています。どれほどの科学的根拠があるのか素人の私には分かりませんが、なるほど当時はそういう状況だったのかと、ビジュアルに理解できて助かります。年に50万人もの見学者が訪れるそうです。私も知人が来たら、九州の観光地として、阿蘇と並んで吉野ヶ里を見ることをすすめています。ともかく、ペンペン草のはえるような工業団地になんかしなくて本当に良かったと思います。
 たくさんの甕棺墓があります。首のない人骨が入っていました。そのころにも、戦争があったのでしょうか。弥生時代のお墓が3300基もあるというのですから、半端な数ではありません。吉野ヶ里は、まだまだ発掘途中ですので、今後がますます楽しみです。
 この本には発掘直後の様子と復元後の現状とが写真で対比させられていますので、よく分かります。やはり素人は現地を見ただけでは、その意義がよく分からないのです。
 壮年女性の人骨の両腕にイモガイ製腕輪がありました。右腕に25個、左腕に11個もあったのです。このイモガイは、奄美大島より南でしかとれないものです。
 中国の新時代の銅貨「貨泉」も1枚発見されています。さらに銅鐸が出土して、世間の注目を集めました。また、さまざまな織りの絹布や繊細な大麻布が出土しています。これらは染色もされていました。縫製技術まであったのです。このことは、特別な身分の人々が存在したことも意味します。
 本書は、最後に、大胆にも吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の有力な候補地の一つとしてクローズアップされるべきだとしています。九州説の私も、まさかとは思いますが、現地に立つと、あながち考えられないわけでもない、そんな気がしてくるのです。
 もし、これを読んだあなたがまだ一度も吉野ヶ里遺跡の現地を見たことがないのなら、あなたに古代日本を語る資格があるのか、私は疑問を呈したいと思います。さあ、一刻も早く現地に駆けつけましょう。

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