弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年10月28日

西都原古墳群

著者:北郷泰道、出版社:同成社
 九州にある古代遺跡として、吉野ヶ里と並んで名高い西都原(さいとばる)古墳群について解説した本です。宮崎県の高台にある本当に広々とした雄大な規模の古墳群です。まだ見たことのない人には、ぜひ一見するよう強くおすすめします。私は3度行きましたが、やはり九州は日本の文明発祥の地だと行くたびに確信しています。
 なにしろ、前方後円墳だけでも宮崎県には177基もあります。ちなみに、福岡県は筑後の44基を含めて186基です。
 前方後円墳の規模からすると、九州での上位10位のうち5基が日向にあり(大隅を旧日向とすると計7基)、残るは筑後(岩戸山と石人山)と豊後(小熊山)になります。このように日向の地は突出しているのです。
 西都原の前方後円墳は、4世紀の前半には誕生したとみられています。金製耳飾りや歩揺のついた金銅片、馬具類が出土しています。
 大阪府堺市にある仁徳天皇陵と伝えられる大仙古墳について、ゼネコンの大林組が築造期間を積算したそうです。それによると、1人2000人、1日8時間、1月25日として、15年8ヶ月、のべ680万7000人を要したとのことです。それからすると、西都原古墳にある女狭穂塚の築造には、のべ50万人で2年半を要したと推測されています。当時、それだけの人間を集中できるだけの権力をもつ人物が宮崎にいたわけです。
 この本は、八女市にある岩戸山古墳(6世紀)よりもはるかに大きい前方後円墳である女狭穂塚古墳の被葬者は誰なのか推測しています。結論からいうと、それは仁徳天皇の妻(髪長媛・かみながひめ)だとしています。つまり、古墳時代である5世紀前半に、畿内の大王家(当時は、まだ天皇とは言っていませんでした)と婚姻関係をもった南九州の豪族が宮崎(日向)に存在していたのです。
 西都原古墳は発掘・整備がすすんでいます。鬼の窟古墳など、見ごたえある古墳がたくさんあります。ぜひぜひ見てきてください。

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