弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年10月19日

日本海海戦から100年

著者:マヌエル・ドメック・ガルシア、出版社:鷹書房弓プレス
 対馬沖でロシアのバルチック艦隊と東郷平八郎元帥の率いる日本海軍がたたかったのは今から100年前の1905年5月27日でした。この対馬沖海戦をアルゼンチン海軍の大佐が日本軍の戦艦に乗って観戦していたというのです。初めて知りました。ほかにはイギリスの武官も乗っていたそうです。この本は、そのアルゼンチン武官による日本海海戦の戦闘状況と教訓についての報告です。
 なぜアルゼンチンかというと、イタリアの造船所でアルゼンチンのために巡洋艦2隻が建造中だったけれど、アルゼンチンと競争相手にあったチリとの間で和解協定が調印されて、アルゼンチンは購入できなくなったことから売りに出されたのです。ロシアと日本とが競って購入しようとしましたが、タッチの差で日本が購入できました。当時の日本円で 1500万円(153万ポンド)です。そのころの海軍省の予算が年に2900万円、日本の国家財政規模が2億6000万円というのですから、いかにも破格の値段です。日本は言い値のまま即金で購入しました。この二隻が日本海海戦に間にあい、大きな働きをしました。日進と春日です。
 この本を読むと、日露戦争に備えて、日本政府が10年の歳月をかけて着々と準備をすすめていたことがよく分かります。大国ロシアの方は、東洋の遅れた小国の日本なんかひとひねりだと見くびり、何の準備もしていなかったのです。
 著者は、日本とロシアの戦力を対比させて、兵器そのものの優劣というより兵員の教育・用兵上の戦術の違いだということを再三再四、強調しています。ロシア艦隊は、ただひとりロジェストウィンスキー提督によってすべてが統制されており、他の指揮官には自主的な権限は何も与えられていなかった。ところが、日本艦隊の方は東郷長官は細かいことにかかわりあわず、大局的な指揮にあたるのみで、戦闘の細部は各艦隊の指揮官に一任していた。
 日本海軍の水兵たちの士気は高く、その射撃は常に平然と順序だてて実施され、射撃の効果と弾着はよく観察されていた。ロシア側も活発に射撃はしていたが、照準は不正確で発射弾数の割に日本軍への損傷を与えることが少なかった。なるほど集団行動に順応しやすい日本人ですから、そうかもしれませんね。
 日本海海戦で日本艦隊の戦死者は88人、負傷者は611人だったのに比べて、ロシア側の戦死者は6000人に達した。ロシアのバルチック艦隊には1万5000人の将兵が乗り組んでいて、6400人が日本海軍の捕虜となり、1700人が中立湾に逃れ、900人がロシア領土にたどり着いた。
 日本海海戦の実情を知る一つの資料だと思いました。

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