弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年10月14日

美女たちの日本史

著者:永井路子、出版社:中公文庫
 いま、女帝を認めるかどうか議論されていますが、著者は、飛鳥時代から奈良時代までは、女帝と男帝は8人ずついて、その比率は五分五分だったのだと強調しています。私も知りませんでしたが、昔から日本では女性が強かったことは体験的な実感としてもよく分かります。女帝は例外でもなんでもないのです。
 推古天皇は、当時の東洋諸国で初めて出現した女帝です。その治世は592年から36年も続いています。中国の則天武后よりも早いのです。その後、元正天皇という未婚の女帝も出現しています。35歳のときのことです。その治世は9年間でしたが、その後も太上天皇として69歳で亡くなるまで共同統治にあたりました。実権を握っていたのです。つまり、女帝が例外だとか、お飾りなど、とんでもありません。
 奈良朝は、天皇家でも貴族でも、一族で殺しあったり、政争や合戦に加わったり、じつに血なまぐさい権力闘争の時代だった。ところが、平安時代になると政争のかたちが変わった。死刑が停止された。権威である天皇が殺されるようなことはなくなった。しかし、平安朝は、あくどいことも平気でやる時代だった。うーん、そうなのかー・・・。
 ぐーんと時代は下がります。日野富子のことが紹介されているなかで、次のように書かれています。
 上流社会では子どもが生まれると必ず乳母がつく。乳母は育てあげた若君がいよいよ成年男子になったとき、セックスについても手をとり足をとって実地教育をすることが多い。つまり、乳母は将軍の恋人でもあった。へーん、そうなんだー・・・。ちっとも知りませんでした。だから乳母の力って無視できないほど強いんですねー・・・。
 戦国時代の政略結婚についても、次のように書かれています。
 この時代は想像以上に情報社会であり、その情報は女性によって婚家から実家へ、実家から婚家へと流れていく。だから、女性を政略結婚の犠牲者だと考えるのは間違いで、彼女たちも国人層の一人としての役目を果たしていた。一方で仲よくしながら、実家に通報してスパイ活動もするというのが当時の女性の役割だった。
 日本史の表と裏に登場してくる女性の果たした役割の大きさを改めて認識させられる本です。まことに日本は昔から女性でもってきた国なのです。私は本当にそう思っています。

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