弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2005年10月25日
自民党迂回献金システムの闇
著者:東京新聞取材班、出版社:角川書店
例の橋本元首相が料亭で1億円の小切手を受けとった事件を東京新聞が連載記事で追跡していったのを本にまとめたものです。歯科医にはぜひ読んでもらいたいと思いました。
まるでデタラメな世界ですね。歯科医師会というのは・・・。あまりの腐臭に鼻をつまみたくなりました。
歯科医師会の会長選挙は、かつての日弁連会長選挙と同じで、代議員による間接選挙です。会長候補は全国141人の代議員を買収してまわるのです。高級スカーフなどの手みやげと10万円から30万円の現金を配って行脚します。このほか、学閥(有力なのが6つあるそうです)の同窓会長には多額のお金が動きます。このような会長選での代議員の買収は今にはじまったことではなく、長らくの慣例になっていました。逮捕された臼田前会長は、代議員の買収資金だけで8000万円つかったそうです。しかも、それは自腹を切ったのではありません。自分が会長をしていた日大歯学部同窓会の資金を横領していたというのです。ひどいものです。呆れてモノが言えません。歯科医師の意識って、そんなに低いのでしょうか。なんだか信じられません・・・。
歯科医師会は政治連盟(日歯連)をつくって歯科医師に都合のよい政策を実現するため、自民党議員に多額の政治献金をそそぎこみました。たった1人のペーペーの議員にも、役に立つと思ったら1億円以上も貢いだというのですから、半端じゃありません。
公明党の坂口厚生大臣(当時)にも2000万円を政治献金しようとして、400万円手渡しましたが、8ヶ月後に戻され、事件にはなりませんでした。同じように、橋本元首相の1億円についても立件されず、村岡元官房長官1人が在宅起訴されて終わりました。おかしなことです。トップはいつも安泰なのです。
日歯連は年間18億円の予算を動かし、自民党の最大のスポンサーになっています。臼田元会長が3000万円を横領しても発覚しないシステムが確立していたのです。驚くべき伏魔殿としか言いようがありません。
日歯連は自民党へ3年間に15億円も献金していました。いえ、もちろんストレートではありません。国政協という迂回献金システムがあるのです。国政協とは国民政治協会という自民党の政治資金団体です。総務省に登録されています。政策をカネで買うというのを日歯連は文字どおり実践していたのです。自分の会長選も横領したお金で代議員を買収して勝ちとったくらいですから、他人のお金をつかって政策を買収するのに、何のためらいもなかったのでしょう。
お金を日歯連からもらっていた議員が実名で何人か登場しています。石原伸晃(慎太郎の息子のひとりです)、鴻池祥肇、そして福岡の古賀誠と山崎拓議員です。でも、みんな団体から政治献金をもらって何が悪いの、と開き直っています。
やはり、政治献金は個人からに限るべきです。企業も団体も政治献金はできないと立法で定める必要があります。ところが、小泉首相は、自民党に迂回献金はないと絶叫しながら、迂回献金を禁止する法改正に反対して、つぶしてしまいました。
日歯連が毎年、政界にばらまいてきたお金は7億円にもなるそうです。すごいものです。だから、元首相にポンと1億円を献金したりするわけです。全国の歯科医が会費として拠出したのがこうやって自民党に流れていって裏金になっているのです。それが、どれだけ日本の政治をダメにしているのか、歯科医師のみなさんには大いに反省してほしいものだと心の底から思いました。
その意味で私は、歯科医師会とその政治連盟を相手に裁判し、自動的に日歯連の会費を徴収するのをやめさせた勇気ある歯科医師の方々には大いなる敬意を表明します。
2005年10月24日
50歳からの旅行医学
著者:篠塚 規、出版社:講談社α新書
50代も半ばを過ぎている私たち団塊の世代には大変役に立つ実用書で、旅行にもっていくべき薬の名前が具体的に書かれていたり、参考になるところがたくさんありました。
著者も団塊世代のお医者さんです。日本旅行医学会の専務理事という肩書きがあります。
旅は毎年、定期的に行くほうが健康効果が高い。旅への準備期間が長くとれ、健康面でも周到に準備できる。ふだんの生活にも励みとハリが生まれる。
私は、40歳になってから、少なくとも年に1回は海外旅行に出かけるようにしています。といっても、全世界をまわるつもりはありません。なるべく言葉の通じるところがいいからです。これまで行ったことのある国は、多い順にいうとアメリカ、(日本はアメリカの何年か後を追いかけていっている社会ですから、弁護士会の視察先としては、どうしても多くなります)、中国、フランス、韓国(以上が、複数回、行きました)、マレーシア、タイ、ニューカレドニア、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、オーストリアです。アフリカにも行ってはみたいのですが・・・。
まず荷物は少なくする。1グラムでも軽くすることが原則。無駄なものは持っていかない。私は大賛成ですし、実践しています。この点、観光立国スイスはたいしたものです。フライ・バゲージという便利なシステムがあります。外国で重いスーツケースをかかえてウロウロする必要がないというのは大変に助かります。
健康のために梅干しをもっていることはあっても、日本食などは絶対にもっていきません。ミネラルウォーターをスーツケースに何本も入れている人がいたのを見たときには、驚きのあまり言葉を喪ってしまいました。着替えも最小限です。ホテルで洗濯しますし、わが家にある古い下着をもっていって、旅先で捨ててきます。紙製ブリーフなども愛用します。
今回のフランスに携帯湯わかしを持っていかなかったのは失敗でした。どのホテルにもポットがありませんでした。中国のホテルだと、毎日、お茶の入ったポットを持ってきてくれるのですが・・・。やっぱり、熱い日本茶を飲みたいときがありますから、そんなとき、海外旅行用の携帯湯わかしは必需品だと思います。
靴はウォーキングシューズを2足もっていきます。この本の著者は1足で足りるとしていますが、やはり2足あった方がいいように私は思います。
下痢しないためには氷にも気をつける。私はマレーシアでかき氷が出されたので困ってしまったことがあります。日本でも、大人になってからはほとんど食べないので、写真をとるふりをしてカメラをかまえて席を立ってごまかしました。
下痢したときには、すぐ下痢止めの薬を飲んではいけない。悪い菌を体外に出してしまったあとに薬は飲むべきで、2日ほどがまんした方がよい。知りませんでした。そして、水分と塩分をとる。アルコールや、お茶、コーヒーは下痢を悪化させるので、絶対に避けるべきだ。うーん、なるほど、そうなんですか・・・。
海外旅行で下痢や便秘を防ぐには、毎朝、ヨーグルトを食べるといい。牛乳だとおなかがゴロゴロするが、それは乳糖のせい。ヨーグルトは、その乳糖を分解し、整腸作用があるから、おすすめ。
朝食はいつもより軽目にし、ディナー夕食の予定があるときには昼もサラダなどで軽くすませた方がいい。まったくそのとおりだと思います。昼は、2人で1本のサンドイッチを分けてすましたりしました。フランスでは、サラダといっても日本と違ってたっぷりのボリュームがあります。
ひとつの都市に最低2泊、できれば3泊以上するのが、おすすめ。まったくそのとおりだと思います。3泊すると、あいだの2日間を、ゆっくり過ごすことができます。とても心が落ち着きます。もう50代になっているのですから、あわただしく動きまわすのは似合いません。ゆっくり、じっくり自分の足で動きまわるのがいいように思います。
ふむ、ふむ、なるほど、かなり既に実践しているところがあるぞ、うん。でも、知らないこともたくさんあって、とても役に立ちました。今度はどこへ行こうかな。やっぱり久しぶりに南フランスに行ってみようかな・・・。
2005年10月21日
美姫血戦
著者:富樫倫太郎、出版社:実業之日本社
幕末の箱館(今の函館)、五稜郭をめぐる維新政府と幕府軍との最後の戦争を舞台とした小説です。といっても、主人公は松前で日本初のパン屋を開業した和菓子職人なのがユニークです。そうなのか、日本で初めてパンをつくるために、職人はパン種(だね)を手に入れるのに苦労したのか・・・、よく分かりました。
新選組の土方歳三も箱館にまで流れてきていました。ここで、戦死したのです。
松前藩の内部での勤王派と佐幕派との内紛も背景となっています。維新政府軍は、新式の大砲や小銃ももっていましたが、烏合の衆のために統制がとれず、初戦ではなかなか苦戦したようです。それでも援軍を次々とくり出して幕府軍を追いつめていきました。小説ではありますが、箱館戦争の様子がよく分かりました。
そして、パンづくりです。最大の問題はパン種をどうするかということでした。当時、箱館にはロシアの領事館があり、パンをつくっていました。でも、パン種は厳重な秘密になっていたのです。大金をつかって教えてもらうか、弟子入りして作り方を盗むしかないという状況でした。それを、日本人の助手から玄米からでもつくれるということを教わり、試行錯誤のうえ、なんとか成功したのです。味噌をつかって味のいいパンをつくることができたということも描かれています。
主人公が慕う姫君は結核にかかっていました。結核は当時はまったく不治の病でした。父の仇をとろうとして、治療も放棄して銃をとって戦おうとする、いじらしい姫君がいとおしく思われてきます。幕末の函館の姿を知ることのできる小説です。
素数ゼミの謎
著者:吉村 仁、出版社:文芸春秋
アメリカには、17年ごとに地上にはい出てきて鳴くセミがいます。地域ごとに、仲間の群れが何十もあって、それぞれの地域で13年あるいは17年ごとに出てくるのです。
氷河時代を生きのびたセミたちは、温かくなって身体が大きく育つまで、ひたすら天敵の来ない地下で生活します。それも17年という気の遠くなりそうな期間です。すごいものです。偶数だと、地上に出たとき別の種のセミしかいなくて、同種のセミに会えずに終わる危険があります。いろんな種類のセミが混ざりあってしまわないためには、素数しかないのです。大自然の巧まらざる偉大な工夫のひとつです。
それにしても、13年とか17年に1度だけ、何億匹も大量発生し、あたり一帯では話もできないほどうるさいというのは驚くべきことです。そして、地上に出て鳴くのは、わずか2週間だけなのです。これは日本と同じです。17年セミの大きさは日本のセミより小ぶりだそうです。
写真と図解によって、この素数ゼミについて解明されています。大変分かりやすい本です。セミが恐竜時代からの生き物であることも、この本で知りました。たかがセミ、されどセミなのです・・・。
全核兵器消滅計画
著者:中嶋 彰、出版社:講談社
地球上のすべての核兵器をニュートリノをつかって消すことができる。うーん、すごい・・・。これはSF(サイエンス・フィクション)ではない。本のオビのそう書かれています。
核軍拡競争の結果、今や地球上には2万発もの核兵器が存在します。それも、次第に小型化していますので、いつアルカイダの自爆テロの武器にならないとも限りません。恐ろしいことです。
原爆に大爆発を起こさせる条件は、核物質の十分な合体とイニシエーターによる中性子の大量供給。プルトニウム240は、この2つの条件をことごとく台無しにしてしまう。だから、プルトニウム240の割合を減らして、プルトニウム239の比率を大幅に高めないと原爆は完成しない。
ニュートリノは、身近な存在だ。太陽で発生したニュートリノは、地球にも降りそそいでいる。その数は、1平方センチあたり毎秒600億個にのぼる。ただし、ニュートリノは幽霊のような素粒子で、頭の上にやってきたニュートリノは、気がつかないうちに身体のなかを通過し、地球を貫通してどこかへ去っていく。電気的には中性で、検出するのは非常に難しい。そのニュートリノにも質量があると考えられている。予想によれば、ニュートリノの質量は電子の100万分の1。
「超高エネルギーのニュートリノビームを利用した核爆弾の破壊」という論文を菅原寛孝が発表した。粒子加速器(ミュー粒子蓄積リング)で超高エネルギーのニュートリノを発生させ、ニュートリノを地球の裏側にある核爆弾に向かって発射する。そして、このニュートリノは、直径が1万3000キロメートルある地球の内部を光に匹敵する速さで通過して核爆弾に達する。すると、核爆弾は未熟爆発を起こし、バラバラに分解されてしまう。
これに必要なニュートリノを発生させるには、瞬間的とはいえ、原子力発電所50基分が必要となる。つまり日本の発電設備の4分の1を投入しなければならないわけである。
それでも、地球上の全核兵器を不能兵器に化してしまえるんだったら安いものだ。
まさに、すごい発想の本です。でも、この本を読んでいると、なるほど、これもありうるんじゃないの、そんな気がしてきました。地道に核兵器の廃絶をめざす運動に取り組むのは、もちろん必要なことです。いずれにせよ、科学者には科学者の責任があるということも改めて考えさせられる本でした。
2005年10月20日
国際離婚
著者:松尾寿子、出版社:集英社新書
外国人の伴侶を見つけて国際結婚をしたいと願うのは、圧倒的に日本人女性の方が多い。彼女らは、決して小額とは言えない費用を支払って国際結婚紹介所に登録する。彼女らは、映画やテレビで見た世界から連想するようなアッパークラスの生活を夢見る。しかし、上流クラスの人たちと結婚することが、どれだけタフな神経を要求されることなのか、彼女たちは肝心なことが分かっていない。言語を操れるのは当たり前。それよりも話す内容が重視される。料理ができるかなんて、そんなのは問題じゃない。とてつもない錯誤がある。しかし、その錯誤によって、国際結婚紹介ビジネスは成りたっている。
私の住む小都市にも、国際結婚紹介業を営む40歳代の男性がいます。近所にできた大手スーパーにおされて家業が倒産したあと、ショーパブで働く外人タレント向けの宝石販売業をしていましたが、もっともうかるビジネスに転身したのです。成約すれば、かなりの一時金が入ってくるそうです。では、そのあとで破綻したら、どうするのかと訊いたら、それなりのフォローはするけれど、もちろん責任をとることはないということでした。
国際結婚は年間3万件。国際離婚は年1万5千件。日本人夫と外国人妻の離婚が1万2千件。日本人妻と外国人夫のそれは3千件。
イギリスでは、離婚に合意しているときの別居期間が2年間、合意がなくても5年間の別居を証明できれば離婚できる。ドイツでは、それが1年と3年と短く定められている。
日本と海外とでは、このように離婚に関する手続が異なっている。海外では専業主婦は不利に扱われることが多い。
イスラム社会では、マフルという日本の結納金にあたる慣習がある。夫が離婚したいと行っても、このマフルを全額支払わない限り、夫側に離婚の権利はない。
アメリカは、経済力が高い配偶者が親権を主張すれば、それが認められる国。もし母親が無職なら、働いている父親に親権がいくことはめずらしくない。
結婚が破綻したとき、これからどういう人生を送っていきたいかと問いかけて答えられない日本人女性が少なくない。自分の人生すべてを国際結婚にかけ、結婚にあわせた人生設計をしてきたからではないか。それは時代に逆行している。
離婚して子どもを連れて日本に帰ってきても住みにくい国。これが日本なのに、ちっとも分かっていない・・・。
私の娘も海外に2年ほど住んでいました。それこそ国際結婚でもするのかと心配していましたが、なんとか独身のまま帰国してきました。生活習慣の違いなどを乗りこえるのがいかに大変なことか、この本を読むと改めてよく分かります。
関東地方に育った私の配偶者は、いまでも豚骨スープの博多ラーメンは性にあわないといって食べようとしません。ラーメンは、やっぱりしょう油味がいいというのです。逆に私には、あんな水っぽいラーメンなんて本物のラーメンじゃないとしか思えないのですが・・・。
2005年10月19日
日本海海戦から100年
著者:マヌエル・ドメック・ガルシア、出版社:鷹書房弓プレス
対馬沖でロシアのバルチック艦隊と東郷平八郎元帥の率いる日本海軍がたたかったのは今から100年前の1905年5月27日でした。この対馬沖海戦をアルゼンチン海軍の大佐が日本軍の戦艦に乗って観戦していたというのです。初めて知りました。ほかにはイギリスの武官も乗っていたそうです。この本は、そのアルゼンチン武官による日本海海戦の戦闘状況と教訓についての報告です。
なぜアルゼンチンかというと、イタリアの造船所でアルゼンチンのために巡洋艦2隻が建造中だったけれど、アルゼンチンと競争相手にあったチリとの間で和解協定が調印されて、アルゼンチンは購入できなくなったことから売りに出されたのです。ロシアと日本とが競って購入しようとしましたが、タッチの差で日本が購入できました。当時の日本円で 1500万円(153万ポンド)です。そのころの海軍省の予算が年に2900万円、日本の国家財政規模が2億6000万円というのですから、いかにも破格の値段です。日本は言い値のまま即金で購入しました。この二隻が日本海海戦に間にあい、大きな働きをしました。日進と春日です。
この本を読むと、日露戦争に備えて、日本政府が10年の歳月をかけて着々と準備をすすめていたことがよく分かります。大国ロシアの方は、東洋の遅れた小国の日本なんかひとひねりだと見くびり、何の準備もしていなかったのです。
著者は、日本とロシアの戦力を対比させて、兵器そのものの優劣というより兵員の教育・用兵上の戦術の違いだということを再三再四、強調しています。ロシア艦隊は、ただひとりロジェストウィンスキー提督によってすべてが統制されており、他の指揮官には自主的な権限は何も与えられていなかった。ところが、日本艦隊の方は東郷長官は細かいことにかかわりあわず、大局的な指揮にあたるのみで、戦闘の細部は各艦隊の指揮官に一任していた。
日本海軍の水兵たちの士気は高く、その射撃は常に平然と順序だてて実施され、射撃の効果と弾着はよく観察されていた。ロシア側も活発に射撃はしていたが、照準は不正確で発射弾数の割に日本軍への損傷を与えることが少なかった。なるほど集団行動に順応しやすい日本人ですから、そうかもしれませんね。
日本海海戦で日本艦隊の戦死者は88人、負傷者は611人だったのに比べて、ロシア側の戦死者は6000人に達した。ロシアのバルチック艦隊には1万5000人の将兵が乗り組んでいて、6400人が日本海軍の捕虜となり、1700人が中立湾に逃れ、900人がロシア領土にたどり着いた。
日本海海戦の実情を知る一つの資料だと思いました。
2005年10月18日
戦争民営化
著者:松本利秋、出版社:祥伝社新書
2005年5月、1人の日本人兵士が戦死した。そのことで、にわかにクローズアップされた戦争代行業、民間軍事会社。世界に300社あり、総年商は10兆円を超す。売春とともに人類最古の職業である傭兵産業の実態に迫る。
このようにオビに書かれています。
戦争によって利益を得る連中が確かに存在するのです。この本は住友商事、NEC、三菱重工がイラクの戦後復興事業に参入して利益を得ようとしていることを明らかにしています。このところ、日本のマスコミの怠慢から、この種の報道がありませんでした。
2003年11月2日、住友商事とNECはイラク国内での携帯電話事業につかう通信設備の一部を65万ドル(7,150万円)で受注した。次いで、2004年3月27日、イラク南部のバスラにあるハルサ発電所の修復プロジェクトを三菱重工が600万ドル(6億3000万円)で受注した。これには日本政府の援助金が充てられる。
うーん、そうなんです。日本のODAのかなりの部分がこのパターンです。日本政府の援助金(もちろん私たちの支払った税金です)が、現地に進出した日本の企業に支払われ、日本国内に環流してくるのです。このとき、日本の政治家に莫大なリベートが支払われます。それは「決まったこと」なのです。知らぬが仏は、私たち日本国民だけです。
軍事請負会社の最大手であるアメリカのMPRI社は、ペンタゴンと深く密接な関係をもち、アメリカ軍の訓練まで担当している。年間売上は1兆円にのぼる。
イラクに駐留するアメリカ軍は13万人だが、それをサポートする民間軍事会社の社員は2万人もいる。アメリカ政府がイラク復興事業のために用意していた180億ドル(2兆1600億円)の25%、5400億円が開戦以来、今日までに民間軍事会社に支払われた。
アメリカ軍の兵士がもらうのは年平均で4万〜5万ドル(450万〜560万円)。ところが、民間の傭兵になると、年収は1800万円から5600万円にもなる。そのほとんどが30代後半から40歳代の男盛りのベテラン戦闘員。
すでにイラクでは何万人もの市民がアメリカ軍に殺されたと報道されています。その裏に、こうやって戦争を金もうけのタネにしている元将兵たちがいるのです。もちろん、彼らの上にはさらに自らは手を汚さず、ぬれ手にアワで金もうけしているチェイニーなどのアメリカ政府トップたちがぬくぬくとしています。本当に許せないことです。
現在のイラクでは、バグダットの中心街から空港までの往復1時間ほどの警護を頼んだら、それだけで2000〜3000ドルを警備会社に支払わなくてはなりません。まさにイラクはどこでも戦場なのです。
この本は、傭兵の歴史が古いこと、史上有名な撤退戦のなかでも、古代ギリシアのペルシアからの大撤退(紀元前401年)ほど困難なものはなかったとしています。へーん、そんな大撤退があったのか、ちっとも知りませんでした。
ギリシアの傭兵軍がペルシアと戦いを優勢にすすめていたところ、総大将のキュロスが戦死してしまったので、大逆転して、それから6000キロもの大逃走をしたというのです。もっと詳しく知りたいものだと思いました。
2005年10月17日
俺たちのマグロ
著者:斎藤健次、出版社:小学館
マグロ漁船で7年間コック長をしていた体験談を語った「まぐろ土佐船」(小学館文庫)を読んでいましたので、今度も期待して読みました。いま、著者は千葉の習志野台でマグロ料理を中心とした居酒屋を営んでいます。東京からちょっと遠いのが難点ですが、ぜひ一度は行ってみたいと思っています。
マグロは世界で202万トンとれ、日本が31万トンとり、ほかに36万トンを輸入している。つまり、世界のマグロの3分の1を日本は消費している。
養殖マグロ。見た目には立派な魚体だ。その頭に包丁を入れると、まるで豆腐を崩すように包丁が入っていく。天然のマグロだったら、それこそ鋸でさえはね返すほどの堅さがあるのに・・・。これが本当にマグロと言えるのか。
日本に名高い青森県大間(おおま)のホンマグロ。残念ながら、私は一度もお目にかかったことも、食べたこともありません。2000年の初セリで200キロのマグロ1本になんと2020万円という超高値がついて大騒動になりました。普通でも1本200万円から300万円します。このときは1キロ10万円もの値段がついたのです。シーズン中に、100隻あまりの漁船が出て、1日でたった4本のマグロしかとれないこともあたりまえの世界のようです。いったい、どんな味がしてるのでしょうね・・・。
津軽海峡はエサが豊富で、そのエサを追う漁群もある。太平洋からきたマグロと、日本海から上ってきたマグロがぶつかる。脂の乗ったサンマ、イワシ、イカなどをたっぷり食べ尽くし、北の冷たい海が身を締める。それが大間のマグロだ。
300キロ近いマグロになると、牛肉と同じで、数日間寝かせていたほうが深い味になるとのことです。
やせたマグロとか色の出ないマグロを安く買って、赤身をよくたたき、食用の植物性油脂を混ぜる。よく練りあわせると、大トロでも中トロでも思いのままに仕上がる。これがスーパーや回転寿司で見かけるピンク色のネギトロ。ホンマグロ入りのネギトロというのは、本当は20%以上、ホンマグロが入っていないとダメなのに、実際にはホンマグロのネギトロとして売られている。
台湾のマグロ船にスカウトされた日本人のベテラン船員の給与条件は次のようなもの。月給40万円。水揚2億円以上のときには、月4万円の手当がつくうえ、水揚げ高の
1.2%の歩合もつく。1航海14ヶ月で4億円の水揚げなら、トータルで1000万円。税金がないので、全額が自分の所得になる。
いま冷凍マグロは、荷をまるごと売買する一船買取引きに変わり、築地市場に水揚げすることはない。商社が毎日、相場を身ながらマグロをセリにかける。これは1976年に卸売市場法改正でセリを通さない相対取引が認められたから。大手の商社はマイナス60度の巨大な冷凍庫をもち、莫大な資金力で、マグロ船一隻分すべて買い上げる。大手スーパーなどの量販店は、市場を通さず、直接に商社へ注文して、大量に買い付ける。これで商店街から魚屋が消えていく。築地の仲卸も代々受けつがれてきたノレンをおろして閉店するところが出始めた。
日本のマグロ・ブームの内情と問題点をかなりつっこんで知ることができます。私はこの本を午前中に読みましたので、昼食は寿司屋に入ってネギトロ丼を食べました。ああ、大間のホンマグロのトロをぜひ一度食べてみたい・・・。
2005年10月14日
美女たちの日本史
著者:永井路子、出版社:中公文庫
いま、女帝を認めるかどうか議論されていますが、著者は、飛鳥時代から奈良時代までは、女帝と男帝は8人ずついて、その比率は五分五分だったのだと強調しています。私も知りませんでしたが、昔から日本では女性が強かったことは体験的な実感としてもよく分かります。女帝は例外でもなんでもないのです。
推古天皇は、当時の東洋諸国で初めて出現した女帝です。その治世は592年から36年も続いています。中国の則天武后よりも早いのです。その後、元正天皇という未婚の女帝も出現しています。35歳のときのことです。その治世は9年間でしたが、その後も太上天皇として69歳で亡くなるまで共同統治にあたりました。実権を握っていたのです。つまり、女帝が例外だとか、お飾りなど、とんでもありません。
奈良朝は、天皇家でも貴族でも、一族で殺しあったり、政争や合戦に加わったり、じつに血なまぐさい権力闘争の時代だった。ところが、平安時代になると政争のかたちが変わった。死刑が停止された。権威である天皇が殺されるようなことはなくなった。しかし、平安朝は、あくどいことも平気でやる時代だった。うーん、そうなのかー・・・。
ぐーんと時代は下がります。日野富子のことが紹介されているなかで、次のように書かれています。
上流社会では子どもが生まれると必ず乳母がつく。乳母は育てあげた若君がいよいよ成年男子になったとき、セックスについても手をとり足をとって実地教育をすることが多い。つまり、乳母は将軍の恋人でもあった。へーん、そうなんだー・・・。ちっとも知りませんでした。だから乳母の力って無視できないほど強いんですねー・・・。
戦国時代の政略結婚についても、次のように書かれています。
この時代は想像以上に情報社会であり、その情報は女性によって婚家から実家へ、実家から婚家へと流れていく。だから、女性を政略結婚の犠牲者だと考えるのは間違いで、彼女たちも国人層の一人としての役目を果たしていた。一方で仲よくしながら、実家に通報してスパイ活動もするというのが当時の女性の役割だった。
日本史の表と裏に登場してくる女性の果たした役割の大きさを改めて認識させられる本です。まことに日本は昔から女性でもってきた国なのです。私は本当にそう思っています。
かわいい孫の愛し方
著者:岡崎光洋、出版社:熊日出版
甘やかしが孫をダメにする。そんなサブタイトルがついています。なるほど、そうなんです。孫がかわいいからといって、ガマンすることを身につけさせるしつけをせずに、どんどんお金にあかせて欲しがるものを買い与えつづけていったら、孫の人間性をゆがめてしまうのは必至ですよね。
おじいちゃん、おばあちゃんが、孫へ直接的な甘やかしすぎたり、逆に冷厳すぎたり、また子夫婦の子育てへ過干渉する。これが問題なのです。
なぜ甘やかしすぎるのか。あるおじいちゃんは、自分の家はかつて貧乏で、何も買ってもらえずに友だちにバカにされた。だから、孫にだけはそんな思いをさせたくない。それだけで、甘やかしているわけではない、と言ったそうです。これでは、おじいちゃんの単なる自己満足でしょう。孫には、ほしいと思っても、ガマンしなければいけないときもあることを教えるべきです。
父親が父親でなく、心理的には「息子」のままにとどまっている男性がたくさんいる。いつまでもだらしなく、わがままで、大人になっていない。
おじいちゃんたちの孫への溺愛や迎合がストレートに孫に届きすぎている。
おじちゃん、おばあちゃんが、子や孫にきちんと伝えるべきことは次の3つ。
ひとつは歴史。ふたつ目は心の大きさ。そして、命のはかなさ。
兄弟20日、孫20日。これは、20日もともに暮らすと、お互いにあきてきて嫌気のさすことが多いということ。なんだか思いあたるフシがあります。皆さんはいかがですか。
たいていの孫は、どんなに祖父母からかわいがられていても、最終的にはいずれは母親を一番慕うようになるし、必要とする。幼いときに、どんなにおばあちゃんっ子、おじいちゃんっ子であっても、いずれ、お母さんを一番求める。
うーん、222頁という薄い本ですが、いろいろ考えさせられました。幸か不幸か、私にはまだ孫がいません。そのうち孫誕生ということになったら、この本を読み返してみようとは思っています。
アリラン坂のシネマ通り
著者:川村 湊、出版社:集英社
私は「冬のソナタ」も「四月の雪」もみていませんが、韓国映画には心魅かれるものが多く、かなりみています。カルチャーショックと言っていいほどの衝撃を受けたのは「風の丘を越えて──西便制」でした。パンソリのすごさにはただただ圧倒され、声も出ませんでした。日本の歌謡曲の源流はパンソリにあるとも言われていますが、この映画に登場するパンソリの迫力にはとてもかなわないのではないでしょうか。
1970年代の韓国の民主化運動のなかで韓国の伝統的な民衆文化が見直され、大学に民俗芸能研究のサークルができ、学生デモの戦闘に農楽隊が立ったそうです。この映画をまだ見ていない人は、ぜひDVDで見てください。強くおすすめします。
ただし、パンソリをうたう芸人は、韓国では社会の最下層に位置する、いわば被差別民だということです。いまでもそうなのでしょうか・・・。どなたか教えてください。
「シュリ」「JSA」「シルミド」「ブラザーフッド」。いずれもすごい映画でした。
著者は、現在の韓国映画の隆盛には、明らかに、その背後に1人の多大な貢献(後見)をなしえている人物がいると強調しています。それは、ご存知の金正日氏です。
「シュリ」は245万人、「JSA」は250万人、「友へ、チング」268万人、「シルミド」と「ブラザーフッド」は1000万人。すごい観客動員数です。
それまで、北朝鮮の人間はカッコよく描いてはいけないという暗黙の禁忌があった。ところが、「シュリ」は、北朝鮮の人間をカッコよく描き、「JSA」は人間的に描いた。
「ブラザーフッド」には、アメリカ軍はほとんど登場してこない。いわば、朝鮮戦争を主体思想によって描いた映画だ。このように、38度線があるからこそ、韓国映画の世界は、ヒューマニズムにあふれる優れた作品、感動的な力作や大作をつくることが可能となった・・・。
うーん、なるほど、そういう見方もできるのかー・・。たしかに、社会の緊張感が日本とはまるで違うということを実感させられる映画ですよね。
この本には登場していませんが、最近の映画で、「おばあちゃんの家」もいい映画でしたね。「春香伝」もよかったですよ。少し前の「南部軍」という映画を見たいのですが、DVDになっているのでしょうか。どなたか教えてください。
ソウルにアリラン坂のシネマ通りというのがあるそうです。一度はソウルに行ってみたいと思っています。
2005年10月13日
あなたの子どもを加害者にしないために
著者:中尾英司、出版社:生活情報センター
「少年A」と母親についての分析は鋭く、いかにもなるほどと納得できました。
「少年A」の母は、我が子が納得できない。自分の納得できるA以外は認められない。つまり、目の前の現実をまっすぐに直視できない。これは、目の前のAという存在を母親が否定していることになる。うーん、そうなんだー・・・。
母親は事件のあとAに会う前は、きっと私に助けを求めてくるはずという確信をもっていた。ところが、現実には、「帰れ、ブタ野郎」という罵声が返ってきた。でも、母親はAがなぜそんなに怒っているのか理解できなかった。
これを、著者は、母親とAの関係は母子関係というより、支配者と被支配者の関係だとみています。Aの母親は、絶対的支配者としてAの上に君臨し続けていたというのです。
Aの母親は、物事を白黒どちらかハッキリさせなければ気がすまない性格だと自分を規定しています。著者は、これをラクに生きたい人が陥る性格だと指摘します。というのも、世の中に白黒決着のつく問題はほとんどないからだというのです。
うーん、なるほど、そうなんです。弁護士を30年以上していて、本当にそう思います。たとえば、小泉首相は本当に無責任な嘘をつく人だと私は思いますが、世の中の多くはそう思っていません。ことは簡単に決着つかないのです。
謝罪とは、傷つけた相手の気持ちを自分が受けとめたことを相手に伝える行為。だから、相手の気持ちを共感的に受けとめる心があれば、自然と謝罪の言葉は出てくる。ところが、Aの母親は、その謝罪ができなかった。
Aは、小学3年生のとき、「僕のすべて」であり、唯一絶対の存在であった母親が、実は自分のことを支配していただけで、自分のことはまったく理解しようとしていなかったことを明らかにさとった。そして、ケンカした理由を聞かれることもなく、帰宅したばかりの父親に一方的に殴られたとき、Aは、いつか両親に自分のことを理解してもらえるかもしれないという希望の糸が切れた。Aは自分がネグレクト(無視・放置)されていることを思い知った。
人は、自分を認めてくれる人に忠誠を尽くす。人は、自分を理解する人間を裏切ることはできない。それほど、人は人に認めてもらいたい存在なのだ。人は、自分の存在が無視されることに耐えられないため、あらゆる手段をつかってストロークを得ようとする。ストロークとは、その人の存在を認めさせるために働きかけること。たとえば、万引するスリルとは、否定的であるにせよ、自分の存在が認知されるという快感のこと。万引という行為のウラには、社会的ルールを犯してまで自己の存在を証明したいという孤独な魂の悲鳴があるのだ。うーん、そうなんだー・・・。
人は最初から大胆な行動ができるわけではない。最初はちょっと手を出して当たりを見る。その時点で、生命にかかわるようなことであれば、ガツンと分からせなければならない。最初が肝心だ。万引は犯罪の源である。
本気で叱られたとき、子どもはうれしいもの。自分のことを思ってのことだと分かるから。なによりも、自分と正面からぶつかってくれるから。自分から逃げずに、かつ、自分を育成してくれている。これに勝る生きる喜びはない。
叱るときは短く、が鉄則。このときに伝えなければならないのは、親の思いであって、理屈ではない。本当にお前のことを心配しているよ、という思いだ。
親は子どもを見放さず、見守ることが大事だ。
読んでいるうちに、私自身の子育てについても大いに反省させられるところが多々ありました。一生懸命、子育てにはとりくんできたつもりではいるのですが・・・。周囲を見まわしても、経済的にはかなり恵まれた条件のもとであっても、子育ての難しさに悩んでいる親(弁護士)は決して少なくありません。
2005年10月12日
自衛隊指揮官
著者:瀧野隆浩、出版社:講談社α文庫
自民党が4割の得票率で議席では7割を占めて「大勝」するなか、民主党はタカ派が代表となり、日本国憲法(とくに9条)は今まさに風前の灯です。小選挙区制の得票数では、与党の自民・公明をあわせた票より野党全部の票が200万票も多いというのです。本当に民意を反映しない制度です。亡くなった後藤田正晴元代議士をはじめ、多くの戦争体験者は9条を無視して自衛隊を海外へ派兵するのはいかんと叫んでいます。ところが、戦争を知らない若い40代が、日本を強い国にするために9条をなくせと居丈高です。本当に怖い世の中になりました。
この本は防衛大学校出身の新聞記者が書いたものです。毎日新聞社会部編集委員という肩書ですが、国家の安全はどう守るのかとオビに書かれています。そこでいう国家には、弱者を守る視点が本当に入っているのか、読みながら絶えず疑問を感じました。自衛隊が「国家を守る」というとき、その実体は我が軍すなわち自衛隊を守るということです。つまり、自衛隊の周辺で、一般市民がウロウロしていたら、それは邪魔者しかありません。もし違うというのなら、ぜひ、そうでないという確かな根拠を訊きたいものです。
古今東西、軍隊は敵の軍隊とたたかうことと、自己の保身しか頭にないのです。国家を守るというのは、いわばとってつけたものでしかありません。そもそも、いったい国家とは何をさすのでしょうか・・・。
この本を読んであっと驚いたのは、地下鉄サリン事件が起きた1995年3月20日よりも3日前の3月17日に、陸上自衛隊の化学隊がサリン防衛に動き出していたという事実がさらりと書かれているということです。しかも、なんと戦闘用防護衣まで用意されていたというのです。
オウム教団がサリンをつかってテロ攻撃することを3日前に自衛隊はつかんでいて、すでに400着の防護衣まで用意されていました。著者はそのことを何ら問題とすることなく、現場の自衛隊指揮官がいかに勇気があったかをほめたたえています。私にはとてもついていけません。事前に情報をつかんでいたのなら、地下鉄に乗りあわせていた一般市民が被害にあわないようにすべきだったのではないのでしょうか・・・。
現場の第一線にいる指揮官が生命をかけていることは私も認めます。しかし、そんなことを言うのなら、私たちの日常生活を守るために生命をかけている人はほかにもたくさんいるのではないでしょうか。たとえば、電柱にのぼって配線工事をしている人、トンネル工事などに従事している人など・・・。なにも、人を殺す武器をもっている自衛隊だけが生命をかけて国民(とその日常生活)を守っているのではありません。
私は、防衛大学校を卒業した人たちが、自衛隊を退官したあと、どんな生活をしているのかについて、すごく関心があります。三菱重工業や小松製作所などの兵器(軍需)産業に多くの人が就職(天下り)していっているのではありませんか。どうなんでしょうか。どなたか詳しく事実を教えてください。
2005年10月11日
アポロとソユーズ
著者:ディヴィッド・スコットとアレクセイ・レオーノフ、出版社:ソニー・マガジンズ
いったい月世界にアメリカの飛行士たちは本当に着陸し、歩いたのか・・・。それを知りたくて読みました。ソ連の宇宙飛行士だったアレクセイ・レオーノフとアメリカのスコット宇宙飛行士がかわるがわる語っていく形式をとっていますので、当時の米ソの宇宙開発競争の実情がよく分かる本です。
ソ連のガガーリン少佐が世界初の宇宙飛行に成功したのは1961年4月のことです。
私は中学生でしたが、人間が宇宙に羽ばたいていったことをすごいことだと感嘆しました。手塚治虫の鉄腕アトムの世界が目の前で現実のものとなった気がしました。
宇宙飛行士になるテストのひとつに片耳だけ氷水を注ぐというのがあるそうです。片耳が温かく、片耳が冷たい状態になったとき、そのアンバランスに内耳がどう反応するのかを調べるテストです。脳は初めてのことで勝手が分からず、目玉がぎょろぎょろ動き出すのだそうです。いい気分ではないでしょうね・・・。
宇宙酔いを克服するもっとも有効な対策は、実際に酔ってしまわない程度まで、くり返し頭を揺すぶることです。吐き気をもよおすほどの不快さをレベル4として、レベル2程度までくり返し頭を揺すぶって、身体を適応させるのです。ええっー、いやですね、こんなこと・・・。
アメリカでもソ連でも、多くの優秀な宇宙飛行士たちが事故にあって死んでいきました。宇宙船内では不具合が続出し、原因不明のまま必死に対応しているうちになんとか地球に帰還できたものの、そこはマイナス30度の世界だったという状況もありました。
宇宙船内になぜか水があふれ出してくる。無重力では水は落ちない。水はくっつきあって大きな水滴となり、その表面張力でゆっくりとはじけるように宙を漂っている。だから、どこから水漏れしているのかをつきとめるのは至難のわざ。うーん、怖い・・・。
月に着陸したアメリカ人の宇宙飛行士は12人います。スコット飛行士は7人目です。
地球人にとってもっとも印象的なことは、月世界の静けさ。空気もなく、風邪も起こらず、月面で動いているのは影だけ。花も草もなく、動物も鳥もいない。自然の息づかいは月面にはまったくない。
スコット飛行士は、月面のくぼみに、月面到着レースの過程で亡くなった米ソの宇宙飛行士14人の名前を刻んだプレートを埋めました。ほかにも死んだ飛行士が2人いたようですが、それにしても14人(16人)とは多いですよね。
月面を歩いた12人が一堂に会したことは1回もないそうです。そして、6人のパイロットは、うつ病とアルコールに苦しんだ人、プロの画家になった人、宗教にのめりこんだ3人、上院議員と地質学の研究者を続けた人に分かれた。6人の船長は、事業家兼大学教授(アームストロング)、銀行家、NASA、そして事業家2人になった・・・。
いや、ともかく私は本当に彼らが月面を歩いたという見える証拠がもっとほしい。そう思ってしまいました。なにしろ、スコット飛行士だけでも月面に3日間もいたというのです。もっとたくさんの写真があれば・・・、と思いました。
34年も前に月世界におりたち歩いた人類は、今ではそんな高度な技術があったのか不思議に思われるほど、後退してしまった印象があります。それは今回のスペースシャトルの出発と帰還がヒヤヒヤの連続だったことにもとづきます。米ソの宇宙開発競争には、まだまだたくさんのことが隠されている気がしてなりません・・・。
ところで、私の夏の夜の楽しみは、寝る前にベランダに出て望遠鏡で月の素顔を眺めることです。静かな海とか、月面のクレーターの陰影などを見ていると、はるか彼方にある月世界がとても身近に感じられ、逆に地球上の煩わしい人間関係のしがらみや俗世間のことをしばし忘れることができます。
2005年10月 7日
江戸の男色
著者:白倉敬彦、出版社:洋泉社y新書
男色(なんしょく)は、日本では奈良・平安時代の公家・僧侶の社会、鎌倉・室町の武家社会、そして江戸時代には庶民をもふくんで連綿と続いてきた性風俗です。
織田信長と小姓の森蘭丸の関係はあまりにも有名です。これは主人と小姓との間の忠義(主従関係)と、武士間の年長者と年少者との念契(男色上の契約)という二重契約が成立していたと著者は指摘しています。武家社会では男対男の関係が、女色に優先していたという特徴があります。
江戸時代、男色は梅の香のごとく清らかに芳(かぐわ)しい、というのが当時の主張(考え)であったそうです。とても本当だとは信じられません。
この本にはたくさんの浮世絵、いわゆる笑い絵です、が紹介されています。いずれも、男色がいかに横行していたかということを意味しています。
江戸時代、上級の武士たちが若者を男色の相手として楽しんでいたのですが、若衆狂いは女性も負けていなかったそうです。
三代将軍家光の男色好きは有名だったとのことですが、五代将軍綱吉となると、寵童(ちょうどう)を150人もかかえていました。恐るべき人数です。
江戸の武家社会は男色・女色とりまぜての融通無碑だったのです。
男色を売る陰間茶屋が繁盛しましたが、18世紀中期以降は、役者買いの主役は女性にとってかわりました。
それにしても、武士の息子たちまでが長振袖などを着て町中を闊歩していた、坊主が白昼堂々と陰子(男色を売る若い男)を連れて物見遊山に出かけていたというのです。江戸時代を固苦しいものと考えていると、とんだ間違いをしてしまうようです。
ローマのガリレオ
著者:W・シーア、出版社:大月書店
ガリレオは、立ち上がるとき、それでも地球は動いている(エプール・シ・ムオーヴェ)と小声でつぶやいたと一般に言われている。心の中ではそう確信していたかもしれないが、判事たちの前ではそれを出さないだけの思慮深さはもっていた。
ガリレオを呼び出して裁いた検邪聖省の法廷は、ガリレオに対して七つの贖罪の詩篇を向こう3年間、週1回20分間唱えるという判決を下した。判決文が読みあげられたあと、ガリレオは膝まずいたまま暗唱し、正式な異端教棄の宣誓書に署名した。宣誓書は次のようなもの。
私は異端の疑いが濃いという判決を受けました。それは、私が太陽は世界の中心にあって不動のものであり、地球は世界の中心にはなく動いているという説を信奉していたことによるものです。私は異端を放棄します。これから先、二度と口頭でも著述の形でも、ふたたび私に疑いがかけられるようなことを口にしたり断言したりいたしません。
ガリレオは1632年に監獄に収監するという判決をうけたものの、実際には、トスカーナ大公のメディチ荘に移され、その後はシエーナ大司教の招待を受けて2、3ヶ月を過ごした。大司教はガリレオを善良なカトリック信者の賓客として扱い、夕食に招いた。それから、フィレンツェに戻った。フィレンツェではガリレオの著書である「対話」の値段が急騰した。もともと半スクードだったのが、6スクードにまではね上がった。
ガリレオは、聖書が誤るはずはないが、その解釈には誤りが生じうるという立場だった。
異端審問所の法廷では、被告は召喚されたら、自分の弁護はできず、ただ誤りを認めて撤回するしかなかった。自らの罪を認めて告白する方が賢いというよりは、無理やりそうするようにし向けられた。ただ、有罪が確定していたとしても、その量刑は尋問のあと初めて決定される。ガリレオの人間像に迫った本です。
非武装地帯
著者:イ・キュヒョン、出版社:PHP研究所
1979年、韓国の朴正熈大統領がKCIA部長に暗殺されました。以後、49日間にわたって大統領が不在という非常事態のなか、北朝鮮軍の精鋭部隊が非武装地帯に侵入してきます。それを韓国軍の捜索隊が阻止して、戦闘状態に入ります。
当時、実際に部隊の一員として非武装地帯の警備にあたっていたという体験にもとづく小説だけに、圧倒的な迫力があります。
北朝鮮軍が南侵のために掘りすすめていた地下トンネルが、これまでに4本発見されています。地下50メートルから160メートルの深さで、長さは2キロから3キロもあります。幅は2メートル、高さ2メートルほどです。北朝鮮は一貫して南のデマ宣伝だとしてきましたが、北朝鮮がつくったものであることは間違いないようです。この本では、北朝鮮による地下のトンネル掘進工事を発見するのを任務とする韓国軍の部隊がいたことを明らかにしています。
この本や、「JSA」「シュリ」「シルミド」「ブラザーフッド」などの韓国映画を見ると、韓国と北朝鮮が朝鮮戦争後も、何度も本格的戦闘行為の寸前までいったことがよく分かります。それほど緊張度の高い社会だったわけです。
それにしても、徴兵制度のある韓国に生まれなくて幸いでした。軍隊の理不尽かつ野蛮な鉄拳制裁には、「軟弱な」私なんか、とても耐えられません。しかし、そんな道理の通らない軍隊生活のなかでも要領よく泳いでいく人間がいるのですね。やはり暴力だけでは上に立てないようです。コネとお金と運をフルに駆使して上にはい上がっていくわけです。そうみると、案外、いまの「平和な」日本社会だって本質的にはそう変わらないのかもしれません。勝ち組、負け組などという嫌味な言葉が平然とまかり通る世の中なのですから。あー、やだやだ・・・。
E=mc2
著者:ディヴィッド・ボダニス、出版社:早川書房
アインシュタインがE=mc2 の論文を発表して100年になるそうです。
光の速さを測定する方法というのを知りました。ガリレオの時代です。ある夏の夜、1マイル離れたふたつの丘の中腹に、それぞれランタンを持った人が立ち、1人がランタンの覆いを先にとり、その光が見えた瞬間にもう1人も覆いをとる。そこで生じた時間差が、光が平地をわたるのに要した時間というわけだ。しかし、この実権はもちろんうまくいかなかった。光があまりにも速すぎることが知れただけで終わった。
18世紀のフランス。ヴォルテールの庇護者であり愛人でもあったデュ・シャトレ夫人は重りを柔らかな土の上に落とす実験をした。小さな球体を、前に落としたときの2倍の速度で落としたところ、球は土に4倍の深さの穴をつくった。速度を3倍にすると、深さは9倍になった。こうやって、物理学者は、物質の質量に速度の2乗をかけるということに慣れ、その物質のエネルギーを示す便利な指標を手に入れた。これがmc2の源なんですね・・・。
ナチス・ドイツはノルウェーの工場で重水をつくりはじめていました。その開発を阻止するために、イギリス軍が精鋭をノルウェーの工場へグライダーで送りこんだ。しかし、 30人の若い兵士たちはナチス・ドイツに発見され、全員殺されてしまった。次いで、9人の亡命ノルウェー人が派遣された。今度はなんとかうまくいって、重水の製造工場は爆破された。これによってナチス・ドイツによる原爆開発は阻止されたのだ。
こんなことがあったなど、ちっとも知りませんでした。
2005年10月 6日
危ない食卓
著者:フェリシティ・ローレンス、出版社:河出書房新社
著者はイギリス人の女性です。フランスで休暇を過ごしたときのことを次のように書いています。
フランス人が食文化を守りつづけていることに感心した。フランス人は地元で生産したものに誇りを持っていて、それを食すことを楽しんでいる。店の人は常に「ボナペティ」(たんと召しあがれ、という意味)と声をかけ、正午には店を閉めて帰宅し、3時間の昼休みをとる。
そうなんです。3時間の昼休みはともかく、私がフランスに行きたいのは、美味しいものを楽しく味わうフランス人の生き方に賛同しているからでもあります。イギリスでは、それがありません。
ファーストフードを大急ぎで胃の中に流しこみ、自宅のディナーでも調理ずみチキンと袋から出したカットサラダを盛りつけるだけ。
著者はスーパーで売っているチキンの解体現場に潜入して働きました。実は、私の依頼者が先日、鶏肉生産工場に就職したのですが、その苦悩のほどをたっぷり聞かされました。要するに毎日、生きた鶏の首を包丁で切り落とす仕事なのです。この本では頸動脈切断機という言葉が出てきますので、イギリスでは、その仕事は機械化されているのかもしれません。私に話してくれた人の職場では、人間が手作業でしているそうです。殺される鶏の方も、危険を察知して、ひとしきり、ひどく暴れるそうです。そして、糞尿を周囲にばらまいたりして必死に抵抗するのです。それを抑えて短時間で次々に殺していく作業です。上司からは、誰かがやらなければいけない仕事だ。モノだと思えばいいし、そのうちに慣れてくるからと慰められたそうです。でも、私にはとても耐えられません。いかにも、辛そうな口調で語ってくれました。うーん、そうかー・・・、そうだろうなー・・・。私は、何と言ってよいか、返す言葉が見つかりませんでした。
この本では、そのような悩みの次の場面が問題となっています。解体して生産されているトリ肉は、いったいどこの国で生産されたのか不明なほど、あちこちの国のトリ肉が混ざっていて、食品ラベルはウソだらけだというのです。
チキンナゲットはトリの皮からできている。イギリス人はトリのむね肉を好み、日本ではもも肉が人気だ。足は中国で、砂袋はロシアで好まれる。膨大な量のトリ皮が残るので、トリ皮はチキンナゲット加工業者をめざして世界中を旅することになる。実は、風味のあるナゲットをつくるにはトリ皮を15%入れるのがちょうどいい。
オランダ産の業務用チキンから、ブタのたんぱく質と大量の水が検出された。ウシ廃棄物を混ぜたトリ肉はイギリス全土に流通していて、チキンナゲットのメーカーがそれを使っている。最近の鶏舎には、3万羽から5万羽のニワトリを入れている。給餌も給水もコンピューター管理。ニワトリに与えるえさと水に寄生虫退治の薬や、必要に応じて大量の抗生物質が混ぜられる。
1957年、食用ニワトリの平均生育期間は63日で、体重1キロあたり3キロのえさが必要だった。1990年代には生育期間は42日、えさは1.5キロですむようになった。2007年には、体重2キロのニワトリを生育する日数は33日になる予定。半減する。ところが、ニワトリ自身の健康が危なくなってきた。
うーん、トリ肉もチキンナゲットも恐ろしい食品だったのかー・・・。
この本は、また、食品の危険性だけでなく、巨大スーパーの進出が社会機構を壊すことも強調しています。
地域の食料品店というのは食べ物を買う機会だけではなく、いろいろな社会機能をもっている。近所の人と出会って会話をかわす場であり、お年寄りや小さい子たちのふれあいがあり、人のつながりと安心感をもたらす場なのだ。ところが、郊外型ショッピングセンターができると、そのような機会も機能も喪われ、人の住む地域は「食の砂漠」地帯と化してしまう。
イギリスでは、6大スーパー・チェーンが食品市場の4分の3を支配している。イギリスの食品の半分は1000軒の大型スーパーで売られている。いや、実は世界の食品小売業トップ30社は全世界の食品売り上げの3分の1を支配している。
アメリカのウォルマートは世界一大きな小売業であるだけでなく、世界一売上高の大きい企業でもある。その売上高は2450億ドル。第二位はフランスのカルフールで、売上高は650億ドル。ウォルマートの4分の1でしかない。今後5年間で、小売が食品供給連鎖を完全に支配することになる。つまり、全世界の食をほんの数社の巨大グローバル企業が支配することになるのだ。
日本人の好むエビ、あのブラックタイガーについても取りあげられています。
抗生物質と成長ホルモンにどっぷりつかっている。ブラックタイガーは肉食動物なのでエビ一匹を育てるために、その体重の2倍以上のたんぱく質を与えてやらなければならない。えーっ、そうなんだー・・・。日本人は東南アジアの環境破壊の元凶なのか・・・。エビを食べるのも、ほどほどにしなくっちゃ。
食は生きるうえでの最上の喜びのひとつ。そのために買い物をし、料理をし、食卓を囲むことで、人と人とは結びついてきた。人は人と食事を共にすることで、社会を築いていく。食を考えることは、私たちはどんな社会の一員でありたいのかを考えることでもある。
うーん、怖い。いろいろと毎日の食生活のあり方の根本を考えさせられる本でした。
2005年10月 5日
パンツの面目、ふんどしの沽券
著者:米原万里、出版社:筑摩書房
いやあ、まいりました。知らないことだらけでした。よくぞ、ここまで調べあげたものです。つい、降参、降参と叫んでしまいました。著者はロシア語通訳の第一人者です。
ソ連の小学校では、裁縫の授業で女の子がまっ先に教わるのは下着のパンツの作り方。第二次大戦が終了するまで、ソ連では下着のパンツがまったく工業生産されていなかった。
戦後のドイツ・ベルリンに駐屯したソ連軍人の妻たちは、ネグリジェやシュミーズ姿で、あるいはレースのパンツとブラジャーだけで町を歩いていた。綺麗なレースの縁取りのついたシルクのパンツやブラジャーが、まさか下着だろうとは夢にも思わず、よそ行きの装いのつもりで町を歩いていたのだった・・・。この話は、私も前に聞いたような気がします。てっきり、いつもの西側による反共宣伝かと思っていたら、そうではなかったのです。うーん、そうなのかー・・・。えーっ、それにしても、まさか・・・と驚いてしまいます。
笑うときに口元を隠す習慣は日本人にしかない。えっー、そうなんだ・・・。
イエス・キリストが十字架にはりつけられたとき、パンツを着用していた可能性は高い。
アダムとイブは、いちじくの葉を一枚だけ前隠しにしていたのではない。腰紐で葉をはさんでつるしていた・・・。なるほど、なるほど、そういうことかー・・・。
現在の世界では、商品化された使い捨てのナプキンを使える女性の方が圧倒的な少数派。それがないのは北朝鮮に限らない。うむ、うむ、きっとそうなんだよねー・・・。
ズボン形式の衣服の誕生は、今から3万年前の石器時代にさかのぼる。人が乗馬を覚えた6千万年前よりもはるかに前のこと。つまり、馬に乗るためにズボンが考案されたのではなく、ズボンを着用していたから、馬を乗りこなせるようになったということ。
ところが、ヨーロッパでは、男はズボン、女はスカートという固定観念が強い。15世紀、フランスの英雄ジャンヌ・ダルクが火あぶりの刑に処せられたとき、その罪状のひとつが、男用のズボンを着用したことだった。
実は、この本に書かれていることが、あまりにも衝撃的であり、かつ、トイレでの行動様式など具体的で、尾籠な話に徹しているので、紹介するのをいくつも遠慮してしまいました。どんな話なのか、この分野に興味と関心をお持ちの方には一読をおすすめします。
ところで、著者は私よりいくつも若いのに、「あとがき」によると悪性の卵巣癌があり、手術したものの再発したとのことです。著者のエッセーは、いつも大変小気味よく鋭い切れ味なので、感心しながら読んできました。どうぞ、身体に気をつけて、引き続き、あまり無理されることなくがんばってほしいと心から願っています。
2005年10月 4日
闘えない軍隊
著者:半田 滋、出版社:講談社α新書
イラクのサマワに派遣されている自衛隊について、その実情が紹介されています。
はじめ政府が考えていた場所は別の場所だったし、派遣する時期も二転三転した。陸上自衛隊はイラク南部のサマワかナシリアを希望していた。それが、バグダッドに変わった。ところがアメリカが不満をみせて、北部のバラドを示した。慌てた日本政府が危険を理由に拒否し、振り出しのイラク南部に戻った。
そもそも、自衛隊員が生命をかけるのは日本の平和と独立を守るため。それが、なぜイラク派遣になるのか。国連平和維持活動(PKO)ならともかく、イラクは死者が増え続けている戦地でもある。だから、派遣の大義が必要だった。サマワが選ばれたのポイントは、イラクへの効果的な復興支援ではなく、いかに自衛隊の安全が確保できるかだった。それには、アメリカ軍から離れている地域であることが、きわめて重要だった。
実は日本政府も、はじめ自衛隊を守ってくれるのはアメリカ軍しかいないと考えていた。しかし、そのアメリカ軍がイラク人や武装勢力の反発を買って次々に襲撃されている。サマワなら、アメリカ軍のいるバグダッドから300キロも離れていて遠く、アメリカ軍を狙った攻撃に巻きこまれることはない。そこで、サマワが選ばれた。
サマワの自衛隊宿営地に入る道路には何の標識もない。訪れる人を歓迎するより、安全のために存在を隠すことに重点が置かれている。
よその国の軍隊は国旗を小さくしているが、自衛隊だけは日の丸を大きく目立つようにつけている。この「目立とう作戦」はイラクで日本の人気が高いことを利用したもの。それは、日本が1970年代から80年代にかけて、ODA(政府開発援助)で惜しみなく注いだことによる。なるほど、そういうことなんですね・・・。
イラクにいる自衛隊員がもし死亡したときには、3億円近いお金が遺族に支払われることになっています。大変な特別待遇です。
イラクは今なお戦地である。創設以来、一度も実践を経験したことのない自衛隊は、「最初の一発」を海外で放つかもしれない状況下での活動が続いている。自衛隊のイラク派遣の意義は、復興支援を行うことではなく、あくまでイラクに居続けることなのだ。イラク(サマワ)に自衛隊が安全で居続けられるように、日本政府は、サマワに本格的な火力発電所を建設する資金として127億円を無償援助することにした。途上国支援が目的のODAが、自衛隊を守る武器になっているのです・・・。
自衛隊のなかには、憲法改正するより、今の規定で活動可能な分野で国際貢献すればよいという現実主義的な声は強い。イラクの復興を日本政府が真剣に考えているのではない。ひたすらアメリカの要請の応じ、自衛隊を派遣すること自体が日米同盟維持の手段であり、目的である。それ以上ではない。復興のために文民を派遣することはまったく眼中にない。
著者は最後に次のように言っています。
日本が海外で武力行使をしない特殊な国として戦後60年間過ごした実績を捨て去るのは愚かしいことだと思う。
私もまったく同感です。アメリカの言いなりになって、そのうしろについていったら、いつのまにか、殺し殺される世界が日本国内でも生まれてしまいます。平和な社会がたちまちのうちにこわされてしまうのです。その点を私たちは自覚すべきだと思うのです。
2005年10月 3日
「最後の一葉」は、こうして生まれた
著者:斉藤 昇、出版社:角川学芸ブックス
O・ヘンリーは私の好きなアメリカの作家です。9.11の前から久しくアメリカには行っていませんが、アメリカに行く前には、いつもO・ヘンリーの短編小説のカセットブックで英語に耳を慣らして出かけるようにしていました(私はフランス語は少々話せますが、英語はまるでダメなのです。でも、せめて、聞けるようにはなりたいと思って・・・)。その見事なドンデン返しには何度聞いても聞きあかせないものがあります。どこか、ほのぼのとした人間性を感じさせてくれるからでしょう。どれも、深い味わいのある、また切れ味のいい名文だと思います。
この本を読んで、O・ヘンリーの一生について詳しく知ることができました。O・ヘンリーが銀行員をしていたこと、横領事件で刑務所に入っていたことは知っていましたが、その詳細を知ることができたということです。詳しいことを知ってガッカリしたということは全然ありません。それどころか、ますますO・ヘンリーの書いた小説をもっともっと読みたくなりました。
O・ヘンリーの書いた本は、その死後10年間だけで500万部売れたそうです。ところが、1950年代には低い評価が与えられたというのです。
O・ヘンリーの世界は、知的に不毛なサハラ砂漠である。
よくぞケチをつけたものだと思います。とてもO・ヘンリー をまともに読んだ人の評とは思えません。
O・ヘンリーの母は、彼が3歳のとき肺結核のために早死にしていますが、文才も画才もあり、ユーモアを解していたそうですから、その才能は母親ゆずりのようです。
O・ヘンリーは学校には行かず、叔母のもとでヨーロッパ文学書を読破していきました。そして、小さいころから画もうまかったのです。ところが、お金がないため、15歳から薬剤師として働かざるをえませんでした。そして、その経験が刑務所に入ったときに役立ったのです。
その後、銀行出納係として働くようになったのですが、当時の銀行は、かなりいい加減だったようです。従業員がちょっと借りて後で返してもとがめられなかったのです。でも、O・ヘンリーは横領罪に問われてしまいます。そして、裁判中に保釈で出ていたときに南米のホンジュラスに逃亡するのです。しかし、妻の重い病気を知って帰国し、裁判を受けて懲役5年の実刑判決を受けました。5654ドルを着服したという罪です。法廷では一言も弁解しなかったのですが、控訴はしたようです。でも、ダメでした。
模範囚としてつとめましたから3年3ヶ月で出所していますが、このことを生涯にわたって娘には隠し通したそうです。死後6年たってはじめて娘は父の前半生を知りました。最初の妻が病死し、作家として売り出してから再婚しましたが、実は、その相手は幼なじみの女性でした。O・ヘンリーの本を読んで、自分が子どものころ一緒に遊んでいた男の子ではないかと手紙を送ったのがきっかけでした。それほど、O・ヘンリーの本は細部にわたって情景描写が行き届いていたというわけです。
O・ヘンリーは、娘とは違って、再婚相手には自分の過去をすべて明らかにしたといいます。並々ならぬ誠意のあらわれだと著者は評していますが、同感です。
ところが、O・ヘンリーは過度の飲酒による重篤な肝障害そして糖尿病と心臓病とを併発してしまいました。ついに48歳のとき、ひとり淋しく亡くなったのです。1910年6月5日のことですから。今から100年近く前のことです。
O・ヘンリー・サプライズという言葉が紹介されています。O・ヘンリーの作品のほとんどは2000語内外の短編です。意外性のある結末に読み手は心がぐいぐい魅せられ、強いインパクトを与えられます。
社会の弱者に対する優しさ、人間の根底にある慈愛にみちたヒューマニズムの視点がどの作品にも認められるとしていますが、まったく同感です。3年3ヶ月の刑務所生活のとき、薬剤師の仕事を医師の下でしながら、受刑者たちの話を親身になって聞いていたことが、このように昇華していったわけです。
もし、あなたがO・ヘンリーの短編をひとつも読んでいなかったとしたら、それは人生の大きな損失です。すぐさま本屋か図書館に走っていかれることを強くおすすめします。
2005年10月31日
金沢はおいしい
著者:金沢倶楽部
大人のための金沢極上案内というサブタイトルがついています。いかにも美味しそうな料理がカラー写真で紹介され、店のマップもついているので、便利このうえもありません。
久しぶりに金沢へ行きましたので、私もその前にこの本でしっかり予習し、お店も予約して出かけました。
人生、健康に生き、元気に死ぬには、なによりも、おいしいものをおいしくいただくことが大切。このなかから、あなただけの「運命の一軒」が見つかりますように・・・。
この本にはこう書いてあります。まったくそのとおりです。私も、その「運命の一軒」を探りあてることができました。
まずは、日本料理の「つる幸」です。あとで金沢の弁護士に聞くと、自分たちも滅多に行かない(行けない)店だということでした。6頁にわたってお店と主(あるじ)そして料理が紹介されています。
なにげない素材をはっとするほどの味に仕上げる工夫は何人も真似ができない。上品、たおやか、そして静謐なたたずまいのひと皿ひと皿に、まさに日本料理の真髄が凝縮されている。料理は楽しく美しく、そして美味しい。一汁一菜の端々にまで、いのちを削った覚悟がこめられている。二代目の主はまだ37歳と、若い。若々しさがあふれる中にも、二代目ならではの力強さがいっそう極まってきたと評判。
私が行ったのは秋(10月)でしたから、香りのよいホンモノの松茸も出ました。ともかく一皿一皿が本当に手のこんだ料理です。見た目に美しく、眼で秋を感じて楽しませ、舌で味わせてくれるのです。栗のイガイガまで本物そっくりにつくられているのに驚嘆しながら、味わい尽くしました。最後の栗ごはんは、ついつい、日頃になく2杯目を食べてしまいました。若いころと違って、肥満を気にせざるをえないのが残念です。
翌日は、やはり金沢のお寿司屋さんに出かけることにしました。もと金沢大学が近くにあって、大学の先生方がよく利用していたという「千取(せんとり)寿し」へはるばるタクシーに乗って出かけました。長くて広い板目も見事なカウンターの向こうに、寿司職人が4人も立っています。
寿司は小ぶりで、ネタとシャリのバランスが実に絶妙である。
この本に書いてあるとおりです。おまかせコースを最後まで全部食べ尽くし、甘エビに似た「ガス」と呼ぶエビと白い貝殻のむき身を追加して食べました。甘エビにもいろんな種類があるようです。ここでは基本的に金沢近海ものを食べさせてくれます。目の前で、あざやかな手つきで寿司を握ってくれるのを、一つずつしっかりかみしめて味わっていきました。ホンモノの寿司を食べたぞ、と叫びたくなるような満足感にみちみちて店をあとにしました。そして、値段の方も案外に高くなかったので、さらにうれしさが募りました。
近江町市場にも2度、顔を出しました。生きのいい魚たちがたくさん並べられていました。金沢のおみやげで特筆すべきなのは不室屋の麩です。「宝の麩」を買って帰りました。モナカのような格好をしていますが、お椀に入れて、お湯をそそぐと香りも高いおすましができ上がるのです。これは重宝です。しかも麩ですから、軽くて、お土産品にはもってこいです。それやこれやで、しっかり金沢を堪能してきました。もちろん兼六園にも行き、百万石通りもブラブラしてきました。
いったい金沢に何をしに行ったのか、ですか。もちろん会議に参加したのです。これからの弁護士はどうあるべきか、しっかり勉強もしてきたのですよ、ホントに。
2005年10月28日
天文学入門
著者:嶺重 慎、出版社:岩波ジュニア新書
子ども向けの本なのかもしれませんが、大人である私が読んでも楽しく、勉強になりました。なにより、星のカラー写真が見事です。
私の夏の夜の楽しみは月を眺めることだというのは前に紹介しました。その月はどうやって誕生したのか。
地球がまだ完全に固まっていないころに、火星ほどの大きさの天体が衝突して地球の中身をえぐり出し、飛び散った放出物が集まってできた。だから、月の岩石を分析すると、地球の内部にあると考えられている岩石によく似ている。
ところで、アポロは実は月面に降りていないという内容の本を私が紹介したところ、トラックバックで、アポロが月面におりたのを信じないとは、と嘆かれてしまいました。NASAのホームページに写真がたくさんあるのを見れば一目瞭然だということです。申しわけありませんが、まだ見ていません。ホンモノなのでしょうか。それにしても、公刊されている月面写真の背景が真っ黒で、星がちっともうつっていないのはなぜでしょうか。NASAのホームページの写真は背景に星がちゃんとうつっているのでしょうね。
人間の身体と宇宙にある星との結びつきも紹介されています。
人間の身体のおもな成分である炭素や酸素や窒素などは、かつて天の川銀河のなかで輝いていた恒星の内部でつくられたもの。だから、人間は星の子ともいえる。人類の文明社会に不可欠な金・銀・銅やウランなどの物質は、超新星爆発の瞬間につくられたもの。
宇宙の年齢は137億歳。うーん、その前には、宇宙はなかったのか。なかったとしたら、それは無からうまれたということか・・・。まるでよく分かりません。
でも、今も、この瞬間にも、広大な宇宙のどこかで星が誕生し、また死滅していっているのですよね。広大というにはあまりにも広すぎます。無限大といいたいところですが、有限なんですよね。でも、有限といっても、一人間として、手の届く範囲ではありません。うーん、どうしよう・・・。といっても、何ができるわけでもありませんが・・・。今度、日本人の青年実業家が23億円も出してロシアの会社による宇宙観光旅行に出かけるようです。お金のある人にはいいのかもしれません。今度はホリエモンが乗り出すそうです。値段も2割とか1割に大幅にダウンするといいます。大金持ちの道楽にはいいでしょう。でも、どっちにしても普通の市民にとってはまるで夢のような話でしかありません・・・。
なぜ夜空は暗いのか。星が無数にあるのだったら、空は一面光り輝いているはずなのに・・・。そのこたえは、天体の年齢は有限だから。人間が見渡せるのは光速と宇宙年齢のかけ算の距離にすぎない。天体からの光の量をすべて足しても無限大とはならない。夜空が暗い、ということは、宇宙に歴史があることの反映。うーん、宇宙に果てはあるのか。
宇宙はいずれなくなってしまうものなのか・・・。秋の夜長に虫の音を聞きながら、私の悩みも深まる一方なのです・・・。
10月半ばの日曜日、夕方から庭に出て畑仕事をしていました。太陽が沈むと、たちまちまん丸い満月が出て一番星が輝きはじめました。星の輝きがあまりにも鮮烈で、しかも空高く揺らいでいるように見えましたので、一瞬、飛行機かヘリコプターかと思いました。あわてて双眼鏡やら望遠鏡をもち出して星を眺めました。キラキラと宝石のようにまばゆいばかりの輝きでした。きっと宵の明星だったのでしょう。なんとなく高価な宝石を手にしたような、そんな得した気分になりました。
町工場こそ日本の宝
著者:橋本久義、出版社:PHP研究所
東京の下町の小さな町工場にいながら、いわば世界を動かしている岡野雅行氏に大学教授がインタビューしてできあがった本です。なるほどなるほど、と思わせ、町工場を見直すと同時に、チョッピリ日本の将来に自信も持たせてくれます。
岡野氏はあくなき探求心にみちみちています。オレは、値段が高いのか安いのかしか言わないような企業には愛想が尽きた、と小気味のよいタンカを切っています。こんな言葉を聞くと、つい拍手をおくりたくなります。
町工場が強いのは、大企業はみな自分の身内で足を引っぱりあっているからだという言葉も出てきます。うーん、なるほど、そうなんだー・・・。
やはり社長は現場を知っていなければダメだ。現場を知っていると、お金のことを言わない。人間、お金のことを言うようになると、もうダメ。そうなんですねー・・・。
機械は調子を見ながら、具合の悪いところをすぐに直していかないと、元に戻らなくなる。ちょっとしたガタや引っかかりの原因をその都度とり除いていく。ネジを締め直す。油を塗る。ときに、ちょっとヤスリをかける。そうやっていつも注意して見てないと、どうしようもない壊れ方をしてしまう。中国の企業が新しい機械を入れても、新しいうちはいいけど、いったん壊れたら、もう使いものにならない。だから、3年たってもカタログどおりの性能が出る日本製品が売れる番になるんだ。なるほどー・・・。
ものづくりの現場では、ハイテク製品は雑貨から生まれている。ローテクの雑貨をやっている人は、そのノウハウをすぐハイテク製品に転用できる。
岡野氏は痛くない注射針をつくりあげ、大量に生産・販売していることで有名です。この注射針は、全長20ミリあり、80ミクロンの穴が通っているのに、溶接せず、穴を開けているのでもないのです。金属の板が溶接なしで丸まってぴったりあわさり、ハリの中を通る液は漏れません。すごーい・・・。感心してしまいます。
今では、岡野氏の町工場は修学旅行のコースにもなっているというのです。本当にいいことだと思います。子どもたちにモノづくりの楽しさを見せて、実感させるって、素晴らしいことじゃありませんか。
日本って、もうダメな国なんじゃないか、日本をあきらめよう。そう思ったときに、ちょっと待って、この本を手にとってみて下さい。案外、日本も捨てたもんじゃないぞ。そんな気にさせてくれる本です。
西都原古墳群
著者:北郷泰道、出版社:同成社
九州にある古代遺跡として、吉野ヶ里と並んで名高い西都原(さいとばる)古墳群について解説した本です。宮崎県の高台にある本当に広々とした雄大な規模の古墳群です。まだ見たことのない人には、ぜひ一見するよう強くおすすめします。私は3度行きましたが、やはり九州は日本の文明発祥の地だと行くたびに確信しています。
なにしろ、前方後円墳だけでも宮崎県には177基もあります。ちなみに、福岡県は筑後の44基を含めて186基です。
前方後円墳の規模からすると、九州での上位10位のうち5基が日向にあり(大隅を旧日向とすると計7基)、残るは筑後(岩戸山と石人山)と豊後(小熊山)になります。このように日向の地は突出しているのです。
西都原の前方後円墳は、4世紀の前半には誕生したとみられています。金製耳飾りや歩揺のついた金銅片、馬具類が出土しています。
大阪府堺市にある仁徳天皇陵と伝えられる大仙古墳について、ゼネコンの大林組が築造期間を積算したそうです。それによると、1人2000人、1日8時間、1月25日として、15年8ヶ月、のべ680万7000人を要したとのことです。それからすると、西都原古墳にある女狭穂塚の築造には、のべ50万人で2年半を要したと推測されています。当時、それだけの人間を集中できるだけの権力をもつ人物が宮崎にいたわけです。
この本は、八女市にある岩戸山古墳(6世紀)よりもはるかに大きい前方後円墳である女狭穂塚古墳の被葬者は誰なのか推測しています。結論からいうと、それは仁徳天皇の妻(髪長媛・かみながひめ)だとしています。つまり、古墳時代である5世紀前半に、畿内の大王家(当時は、まだ天皇とは言っていませんでした)と婚姻関係をもった南九州の豪族が宮崎(日向)に存在していたのです。
西都原古墳は発掘・整備がすすんでいます。鬼の窟古墳など、見ごたえある古墳がたくさんあります。ぜひぜひ見てきてください。
2005年10月27日
談合業務課
著者:鬼島紘一、出版社:光文社
大林組の課長だった人が、自分の体験にもとづいて談合の実際を実名をあげて告発した本です。汐留・丸の内・六本木ヒルズなどの都心の一等地を大林組が相次いで落としていった内幕が赤裸々に暴露されています。大手ゼネコンがからむ建築はすべてゼネコン同士の談合によるものだということがよく分かり、寒々とした思いにかられてしまいます。
もちろん、談合は犯罪です。だからゼネコンとは会社ぐるみ違法集団だということにもなります。ゼネコンが昔からヤクザと親密な関係にあるのも当然なんですね。なんとかならないものでしょうか・・・。
「業務」(談合のことです)担当者から入札金額が指示されますが、その際のメモも現物が紹介されています。入札1回目の金額と2回目のそれとが具体的に書かれたものです。動かしがたい迫真のメモです。
もちろん、大林組だけが談合をやっているわけではありません。どのゼネコンも同じです。ただ、社員数1万3000人の大林組に途中入社して12年間在職していたというだけに、その体験にもとづく談合の告発はなるほどと思わせます。
大林組の本社ビルには、100人ほどの天下りOBのいる部屋がある。建設省や運輸省、道路公団などから天下ってきたOBの巣窟になっている。OBたちは、それぞれの出身母体から仕入れた情報を切り売りする。それは、お隣の机にすわる人にも軽々しくは口外できないほどの価値がある。
談合という不正な方法で落札した企業が利益を得たとき、それは国民に余計な税金負担を強いたことを意味する。談合がなければ、予定価額の1.5倍から2倍で売れた可能性があるのに、低い価額で売却されていった。
談合がないときには、ゼネコン同士が叩きあいで採算割れとなってしまう。
この本は談合に政治家は介入していないとしています。本当でしょうか・・・。その一方、政治家への上納金は、工事受注額の3%が定価だともされています。私は、やはり談合には政治家と暴力団の双方が介入していると確信しています。
予定価額を直接に聞き出せないとき、入札保証金の額を銀行関係者などから聞き出し、それによって予定価格を推定するという方法もとられています。この入札保証金の額についても、絶対に外部にもらさないものになっているはずです。ところが、大林組は、この入札保証金の額を、なぜか事前につかむことができたのです。
おおっぴらに談合ができなくなった今日、業務担当者は他社の業務担当者と会社名を暗記しなくてはいけない。しかし、すべては裏で決まっていく。ゼネコンは事件にならないようにするため、積算書に会社特有の項目をたてたり、当初の数値を少しばかり変化されたりするなどの対策をとっている。
毎日毎日、この「業務」に従事している人はどんな気持ちなのかなあ、と不思議に思いました。良心のとがめはもうなくしてしまったのでしょうか・・・。だから、この本をいまも大林組に残って勤めている人が読んで、どう思うのか、関心があるところです。
2005年10月26日
プリズン・ガール
著者:有村朋美、出版社:ポプラ社
24歳の日本人女性が日本脱出。ニューヨークで知りあったのがロシアン・マフィア。恋人としてつきあっていたら、ドラッグ密売組織に関係したとして懲役2年の実刑。そして連邦刑務所で22ヶ月すごしたという恐ろしい体験記です。
フワフワした日本人の若い女の子が、カッコいい白人男性にうまく騙されてしまったという、よくある定番の話なんですが、22ヶ月の連邦刑務所の体験記が明るくサラッと描かれていますので、最後までさっと苦もなく読み通すことができます。そして、連邦刑務所の「自由な」生活ぶりに、日本の刑務所とのあまりの違いに驚かされます。
彼女が入れられた連邦刑務所の人種構成はラテン系50%、アフリカ系40%、残る10%が白人とアジアパーク系。白人は少ない。アメリカの女子刑務所は、レズビアン社会でもある。
刑務所内には電子レンジが2台あり、朝から晩まで常にフル稼働している。みんな電子レンジで料理をつくっている。食材は売店で買えるもののほか、キッチンから裏ルートで持ち出され、隠れて肉や魚が売り買いされている。ステーキ、バーベキュー、魚のグリル、中華料理など、すべて電子レンジでつくることができる。
連邦刑務所は組織犯罪がらみの囚人が多い。それは麻薬ビジネスがほとんどだから。組織的な麻薬ビジネスに対する量刑はきわめて重い。殺人や強盗などの暴力系犯罪は、ほとんど州刑務所に入る。だから、州刑務所より連邦刑務所の方が、はるかに所内の雰囲気がまともであり、穏やかだ。
連邦刑務所の食事は、下手なニューヨークのレストランより、よほど美味しい。朝はパン3枚、ゆで卵2個、コーンフレーク取り放題。飲み物はドリンクバーで、飲み放題。
昼は、スープバーとサラダバーがある。毎日、一品が日替わり。
夕食も、ハンバーグやスパゲティなど毎日一品が日替わり。日曜日はローストビーフ。食堂以外でも、電子レンジをつかって美味しいものが食べられる。
刑務所から外へ電話をかけることもできる。2つの刑務所から同時に外部に電話して、別々の刑務所にいる囚人同士が電話で話すという芸当もありうる。しかし、これは見つかったら処罰される。さらに国際電話もOKだ。1回の通話は15分まで話せる。ただし、有料だし、当局から傍受されている。
著者は、刑務所のなかで日本語を教え、ピアノも教えていました。芸は身を助けます。
フワフワした軽い女の子が、アメリカの刑務所のなかで、最後まで希望を失わずに生きのび、こうやって日本に戻って体験記を書いてくれました。これによってアメリカの一面を多くの人に知らせることができたのですから、彼女もしっかり日本人の役に立っています。私はそう思いました。