弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2005年9月29日
韓国のデジタル・デモクラシー
著者:玄武岩、出版社:集英社新書
韓国の盧武鉉大統領は、民主的な弁護士団体に所属する弁護士でもあります。日本でいうと自由法曹団とか青法協に相当するのではないかと思います(間違っていたら、ごめんなさい)。いずれにしても、日本では民主的弁護士(人権派弁護士)はおろか、弁護士が首相になるなんて、残念ながら夢のような話です。盧武鉉候補の当選には、世界でも有数のインターネット社会におけるデジタル・デモクラシーの発達があげられています。
インターネットがなければ、盧武鉉側は主流メディアの攻勢で厳しい選挙戦を強いられていたに違いない。世界一のIT強国と自負する韓国で、20〜30代の若い有権者はインターネットを通じて既存の権力による暴露戦略を看破することができた。
韓国社会において「朝中東」つまり「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」の三大新聞は言論権力といわれるまでに権力を振るってきた。韓国の新聞の7割を占める三大新聞の影響は絶対的で、その公正性を欠く報道ぶりは、心ある人からことあるごとに批判されてきた。放送も例外ではない。夜9時のトップニュースはいつも全斗煥大統領の動静だったから、「テン全(チョン)ニュース」とからかわれていたように、公正報道とはほど遠い存在であった。
韓国の歴代軍事政権は、言論への徹底した弾圧をとおして、新聞や放送を権力の統治手段にしてきた。そして、その見返りに、言論機関には独占的利益を、言論従事者へは高い社会的地位を与えてきた。こうした権力と言論との蜜月関係を、韓国では「権言癒着」と呼んでいる。
これって、日本でもそっくりそのままあてはまるんじゃないの。思わず、私はそう叫んでしまいました。先の解散・総選挙のときの「小泉劇場」のフィーバーぶりをぜひ思い出してみて下さい。郵政民営化すれば日本の経済は良くなるかのような、とんでもない嘘を小泉首相がくり返すと、マスコミは無批判にオウム返しに叫びたて(もちろん、申し訳程度にチョッピリ批判もするのですが・・・)、刺客だとかマドンナだとか、世間の耳目を集め、改革に賛成か反対か、「改革」の中味を抜きにした選択を国民に迫ったのです。日本の言論界の堕落ぶりは、放送だけでなく新聞も目を覆いたくなるほどひどいものです。
しかし、韓国はそれをインターネットの活用で乗り切っていったのです。そこが日本とまったく違います。盧武鉉側の「オーマイニュース」は、インターネットを通じて選挙運動の状況を「中継」していきました。1日だけで1910万ページビュー、訪問者数は 150万人(のべ623万人)というのですから、すごいものです。
そして、市民参加型の新しい政治潮流が主流となりつつあるなかで、韓国では2世、3世議員が世襲していくなどというのは非常識になっています。なるほど、日本は遅れているなと、つくづくそう思いました。
おもしろ、おかしく、ただそれだけの記事と番組によって国民を思うままに誘導していく日本のマスコミの現状は、なんとかして歯止めをかけたいものです。そのためには、日本でも、もっとインターネットの活用を真剣に考えるべきではないでしょうか。
もちろん、マスコミのなかにも心ある人は多勢いると思います。でも、いまは、既存マスコミの外から、働きかけというか、立ちあがりが必要な気がします。それも、ホリエモンとか楽天やソフトバンクといった大手メジャーの力を借りないで、私たち自身の力でやり抜かなければいけません。若い彼らは、すでに金力と権力の亡者になりさがっているとしか思えません。強さと自信にみちみちている彼らには弱者の切り捨てしか頭にないようです。とても残念です。
先日の総選挙で自民党が「圧勝」しましたが、多くの若者が投票所に行ったことが投票率のアップにつながったとみられています。でも、その若者たちはインターネットの世界で情報を知り、ほとんど新聞を読んでいないようです。先ほどの話と一見矛盾するかもしれませんが、私はやはり若者の新聞ばなれを危惧します。新聞も一面と三面以外の世論づくりを除くと、論説などけっこう鋭い指摘もあるのです。私の息子も新聞を読んでいませんでしたので、息子に毎日、新聞を読むよう押しつけました。
ちなみに、自民党の「大勝」といっても得票率は4割。それなのに議席占有率は7割。小選挙区制がいかに民意を反映していないか、よく分かります。ところが、復活制がおかしいといって比例部分が削除されようとしています。民主党も比例を80議席減らせという政策です。これでは、多様な国民の声がますます国政に反映されなくなります。
いろんな人間がいて、さまざまな考えの人がいて国は成り立っているのです。少数意見の切り捨ては弱者の切り捨てに直結してしまうのが怖い、そう思うこのごろです。すみわたった秋の好天気の下で庭仕事にいそしみながら、ひとり心配しています。