弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年9月16日

収容所から来た遺書

著者:辺見じゅん、出版社:文春文庫
 司法修習生の原田さんから、最近読んで面白かった本としてすすめられて読んだ本です。
 関東軍は終戦直後には主要部隊を南方戦線に引き抜かれ弱体化していたところ、国境をこえて侵攻してきた150万のソ連軍にたちまち圧倒され、8月15日の終戦後、武装解除のうえ捕虜となりました。そしてシベリアへ連行されていくのです。その数、60万人と言われています。最近まで政財界の裏で暗躍していた瀬島龍三もシベリア送りとなり、日本人捕虜の団長として活動したことがありました。
 ラーゲリと呼ばれた収容所で辛く厳しい捕虜生活が始まります。この本を読むと、その辛さ、厳しさが想像できます。空腹にさいなまれ、希望を失って死んでいく捕虜が続出しました。
 この本の主人公は、満鉄調査部でソ連研究にあたっていたインテリでした。ところが、ソ連は彼を日本のスパイだと疑ったのです。ときはスターリン治世下ですから、それも当然のことです。
 主人公は私の亡父の一つ年下にあたりますが、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)のロシア語科に入りましたが、1928年の3.15事件のとき、共産党シンパとして逮捕され、退学処分を受けていました。
 ラーゲリで主人公たちはこっそり集まり、俳句をつくっていました。アムール句会と名づけられています。仲間たちが次々に日本へ送還されていくのに、主人公はずっとラーゲリに残されたままです。そのうち不治の病にかかります。ソ連当局が十分な治療を拒否し、いよいよ誰の目にも死期が迫ります。周囲で相談し、主人公に遺書を書いてもらうことになりました。
 書かれた遺書は全部で4通、ノート15頁にわたるものでした。その遺書を仲間たちが丸暗記して日本へもち帰ることにしたのです。というのも、ソ連当局に見つかるとスパイ行為として重労働25年の刑を受けてシベリア奥地に送られるからです。そうやって暗記された遺書が、日本に帰った仲間たちの手によって復元され、日本で帰りを待ちわびていた妻のもとへ届きます。それも1通や2通ではありません。なんと7通もの遺書が届いたのです。
 つくづく人間愛っていいなと思い、胸が熱くなりました。1954年8月に亡くなった主人公の自宅に7通目の遺書が届けられたのは1987年のことです。実に33年もたっています。すごいことです・・・。

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