弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年9月 2日

馬・船・常民

著者:網野善彦、出版社:講談社学術文庫
 奈良時代、大きなお寺が金貸しをしていたという話がでてきます。人に貸せるお金は神や仏のもの。仏や神のものならば、貸して利息がとれる。だから、意識的に銭を神仏のものにすることによって、自由に投資・貸借できるものになる。だから勧進という形態をとる。うーん、そうなんだー・・・。
 平安時代の遊女の社会的地位はかなり高かったという話も出てきます。
 貴族が自分の母親は遊女の出だということを系図に平然と書いていた。遊女の子どもでも、徳大寺実基は従一位太政大臣になっている。
 女性は、昔も今も平気で一人旅に出かけていた。旅に出たとき、たまたま一緒になった男性と関係しても何もとがめられることもなかった。現代日本でも、地方によって二腹(ふたはら)、三腹(みはら)という言葉がある。これは何人の男の子どもを生んだかということ。日本は、性に関して、昔からおおらかな国なのだ・・・。
 このほかにも、いろんな面白い話が盛り沢山です。なかでも私の興味をひいたのは名前の話です。氏の名前は、天皇という称号が確定したころ、天皇から与えられる形になった。そして、戸籍をつくって、国家の支配下に入ったすべての人の氏名・姓名を全部書き上げようとした。逆に、天皇は氏名・姓を失うことになった。
 律令国家が確立して以来、天皇には氏の名前も姓もない。天皇は氏名を与える立場に立ったが、自分には与えてくれるものがない。中国だったら天が皇帝の地位を与えるが、日本の天皇は天命思想を注意深く避けているので、そういうわけにはいかない。それで天皇の氏名はなくなった。
 皇太子が論文を書くとき、名字がないので、徳仁だけでは格好がつかないから、徳仁親王と署名した。しかし、これは本当におかしい。自分に敬称をつけるようなものだから。
 なるほど、天皇には氏(名字)がないのか・・・。その理由を初めて知りました。
 次に庶民です。15世紀になると、一般の百姓、平民は実名を名乗らなくなる。氏名も実名も、もってはいるけれど、公式には名乗らず、二郎、五郎太夫などの仮名(けみょう)だけを使うようになった。それを江戸幕府が制度化して、百姓は、実名、苗字、氏名を公式には名乗ってはいけないことになった。だから、公式な文書に、百姓や一般平民は実名を名乗れない。しかし、実際には、苗字も実名ももっていた。だから、お墓には苗字を書いていた。なるほど、なるほど。私の長年の疑問のひとつがやっと解消しました。
 江戸時代が終わって明治になって、一般平民はそれまで苗字をもっていなかったので、あわてて苗字をつくったという説明を聞いてきましたが、私は本当にそうなのかという疑問をもっていたのです。私の先祖は「由緒正しい」百姓(農家)の生まれですが、江戸時代以前から上杉謙信の落ち武者伝説を引きずってきています。それなのに、明治時代まで苗字がないなんて、おかしいと思ってきました。名前のこともよくよく考えさせてくれる面白い本でした。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー